【KAC20255】人斬り天下無双
ジャック(JTW)🐱🐾
宿場町の娘
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戦国時代のとある場所に、人斬り〝天下無双〟と呼ばれた男が居た。戦場で斬り伏せた人間は数知れず、その異名を聞いたものは震え上がり逃げ出すほどの剣豪であった。
元は何処にでもいる農民の子であった。しかし戦乱に巻き込まれて親兄弟を殺され、ただひとり生き延び
当て所なく彷徨っていたが、落武者が落とした刀を拾ったことが転機となった。それは無銘の刀であったが不思議と手に馴染む。何故だか、刀に守られているような感覚があった。
そして、物陰から襲い掛かってきた野盗を、彼は躊躇いなく斬り伏せて、荒い息をついた。当時まだ幼子であったが、戦火に巻き込まれて尋常ならざる経験を経た彼の眼差しは悪鬼のようであった。
彼には人斬りの才能があったのだ。
やがて彼は戦場を彷徨い、剣豪として名を馳せていくことになる。彼は人斬りに手を染めるうちに、自らが呼ばれていたほんとうの名前を忘れてしまった。だからこそ、他人から呼ばれる人斬り〝天下無双〟という名が、彼を表す呼び名となった。
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人斬り〝天下無双〟は、ある時、寂れた宿場町に逗留した。
戦場と戦場の中間地点にある宿場町で、路銀を使って宿を取った。鍋で煮込まれた味噌汁の香りが、食堂に漂っている。
食事を摂る彼の前に、若い踊り子が舞っていた。
薄汚れて、寂しげな宿場町。そんな場所にはに使わないほど麗しい、墓場を彩る花のように美しい娘だった。
彼女の名はウズメ。
恐らく本名ではない。アメノウズメノミコトのような美しい舞踊から名付けられた異名の類いであることは察しが付いた。
長く美しい黒髪と、黒真珠のような美しい瞳が印象的な娘。彼女はよく響く朗々とした声で歌い、詩吟に合わせて舞い踊った。
――焔消えし 家の跡には 残る香……
――母が手折りし 花の匂いぞ……
――朽ち木にも なお残りたる 面影よ……
――父の手触れし 刀の輝き……
ウズメの歌声に惹かれて、彼の記憶は、幼少期に遡ってゆく。未だ彼がほんとうの名前で呼ばれていた頃の、なつかしい記憶に。
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彼が追想を終えると同時にウズメが踊りを終える。品のない囃子とともに、お捻りが飛び交った。人斬り〝天下無双〟も席から腰を上げて、彼女の傍に在る籠に近づくと、幾ばくかの銭をチャリンと入れた。
ウズメが礼をする傍ら、彼の持つ刀を一瞬、見つめた。その視線の意味するところは分からなかったが、彼は事前に取っておいた宿の部屋へと歩を進めた。
部屋には、薄い布団が敷かれていた。綿が少なく、干からびた魚のような印象を受けたが、それが嫌だというわけではなかった。彼が幼い頃使っていた布団によく似ていた。母が何度も繕いながら、ぼろぼろになるまで使っていた懐かしい布団に。
煎餅のように薄い布団に寝転がりながら、彼は追憶に浸った。ウズメの何処か悲しげな歌声は、彼の幼い頃の記憶を呼び起こしていたのだ。
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彼の生まれた村は、何処にでもあるような素朴な寒村であった。
元々実り豊かな土地ではなかったが、それでも開墾によって少しずつ作物が育ちつつあった。米が食える、それを楽しみに、幼い彼も農作業を手伝っていた。
そんなある日、村は戦禍に包まれた。近隣で戦を行っていた軍による略奪の被害に遭ったのだ。何の罪も犯していなかった父も母もきょうだいも無残に斬り殺され、生き延びたのは彼だけであった。幼い彼は、おぞましい人斬りへの憎悪を膨らませた。
血を流した父と母ときょうだいは、彼に向かってこう告げた。
『逃げなさい』と。
それが、彼等の最期の言葉となった。
それから、逃げて、逃げて、逃げた果てに、彼はかつてあれほど憎んだ人斬りに成り果ててしまった。そして、幼い頃呼ばれていたありふれた名前も忘れて、人斬り天下無双などというあまりにも罪深い仇名をつけられてしまった。
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破れた襖から差し込む仄かな月光に照らされて、薄ぼんやりとした光景が彼の目に映る。黴の生えた天井を見あげながら、煤けたいぐさの香りを嗅いで、何処か心地よさを覚えた。かつて彼が暮らしていた家も、狭く窮屈で、黴が生えていた。けれども、何処よりも温かくて幸せな居場所であった。
(
人斬り〝天下無双〟の両の手は、べったりと汚れた血で赤く見える。其れは、いつからか見るようになった幻覚であった。洗っても洗っても取れぬ幻影に疲弊しながらも、彼にはどうしようもなかった。
(
男は、思い悩んでいた。家族に助けられた命を、このまま人斬りとして終えていいものだろうかと。懐かしい遠き日々に思いを馳せながら、人斬り〝天下無双〟は、襖の前に立つ人物に声を掛けた。
「──其処の娘。ウズメといったか。某に何用であるか」
怯えたように身を竦ませた音がする。がたんという音で、娘が転んだことが察せられた。人斬り〝天下無双〟は、身を起こして、襖を開けた。
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「……夜分遅くに申し訳御座いません。私、どうしても、貴方様に会って、確かめねばならぬことがございまして」
人斬り〝天下無双〟は、襖を開けて娘を招き入れた。
蝋燭に火をつけて灯し、座布団代わりに
「……貴方様は、旅の御方でございましょう。いつ居なくなるか分からぬゆえ、この機会を逃すわけにはいかなかったのです。どうか、御無礼をお許しください」
「『確かめねばならぬこと』とは、何だ」
「……貴方様の
「……其れは何故だ?」
「――父が、昔所蔵していた刀に似ているのです。とても……」
「……」
人斬り〝天下無双〟にとって、無銘の刀は相棒に等しかった。この刀がなければとうに死んでいた。彼の命を守る、唯一無二の大切な宝であった。しかし、何故だか、目の前の娘には見せなければならないと感じて、彼は無言で刀を差し出した。
「宜しいのですか? 有難うございます!」
ウズメは、無銘の刀を受け取り、丁寧に鞘から出した。そして、刀身を眺めて静かに俯く。破れた襖から差し込む月光が、彼女の頬の涙を照らしている。
「――懐かしい。この白波のような美しい刃文のうねり……。父様が自慢していた頃のままです」
「……元は、其処許の所有物であったのだな」
「はい。私の父の所蔵の刀でした。恐れながら、この刀は、何処で、如何様にして手に入れたものでしょうか……」
「此処からずっと北にある戦場で、落武者が落としていったものを拾った。其れからずっと持っておる」
「……きっと、収奪されたものが、巡り巡って貴方様の元に辿り着いたのでございますね。此処でその刀をもつ貴方様と出会えたのは、きっと、何かの縁でしょう。お話いたします。私の過去から……」
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ウズメは、懐から山桜の形をした紋所の入った印籠を取り出して見せた。その印籠の紋に見覚えはなかったが、由緒の正しいものだろうと直感した。
「――私は、かつて、小さな国の姫でした。領土は狭く、豊かな土地では御座いませんでしたが、領民と助け合いながら生きておりました。しかし、先の戦で敗北を喫し、父母は殺され……。私は、母に庇われ落ち延びましたが、持ち出せたものはこの印籠だけでした」
「……」
「今、貴方様の持つその刀は、我が家に伝わる守り刀でした。無銘ではございましたが、技量を持つ刀工によって打たれたものであるようです。ご先祖様の命を何度も救い、守ってくれた霊験あらたかな刀だと伺っております」
ウズメは、刀身を鞘に仕舞い、両手で捧げ持つような形で彼の手元に差し出した。
「殆ど見ず知らずの私に、大切な刀を託してくださって有難う御座います。貴方様のお陰で、私は、亡き父母との思い出に触れることが出来ました……」
静かに涙をこぼしながら、ウズメは綺麗な所作で頭を下げる。彼は、静かに問いかけた。
「……先祖伝来の刀を、取り返したいとは、思わぬのか」
「その刀が、貴方様の元にあるというのは何かの御縁でしょう。貴方様以外の手に渡っていれば、こうして触れることも叶いませんでした。心より感謝しております」
「…………」
人斬り〝天下無双〟は、ゆっくりと刀を見下ろした。
偶然拾ってから、ずっと彼の命を守り続けてくれていた守り刀。
(──此れからも、この刀を、戦場で血に染め続けても良いのだろうか)
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静寂のなかで、虫の声だけが鳴り響く。どちらも声を出さない沈黙のなか、人斬り〝天下無双〟は、ゆっくりと刀をウズメに差し出した。
「……持っていけ。元は、其処許のものだ」
「え……!?」
ウズメは、目を大きく見開いて、後退りする。決して、無銘の刀を受け取ろうとはしなかった。
「貴方様は、名だたる剣豪とお見受けします。そんな方が持つ大事な守り刀を無償で奪うわけには参りませぬ!
「……金子は要らぬよ。……なに、無償で譲るとは言っておらぬ。ひとつだけ、頼みがある。城主の娘だというのなら、さぞ、様々な物事に造詣が深いのであろう。某には、恥ずかしながら、学がない。だから、どうしたらいいのか分からぬことがあるのだ」
「私に出来ることなら、何なりといたします!」
ウズメは涙ぐんで微笑み、深々と頭を下げた。そんな彼女に、男はゆっくりと低い声で語りかける。
「……某は、もう、
「……金子が必要ないとおっしゃるならば、何をいたしましょう……?」
「某に、新たな名を下さらぬか。この町で、刀に
男は、目を細めて、刀を見つめた。そして、ゆっくりと告げる。
「某はもう、人斬りとして生きたくはない。今まで、某の身を守っていてくれたその刀に、これ以上、人の血を吸わせたくはないのだ……」
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