火の幽霊

アーチー

 太陽が真上に来ようかという時間に、私は自分の家を出発する。青井さんは夜型なので、私の出勤は遅いのだ。文化アパートのガタガタする扉を出ると、もうテオ君が待っていた。光に透ける体で爽やかに挨拶してくれる。


「ハイ!心葉ちゃん!」

「おはよう、テオ君。毎日お迎え来てもらってごめんね」

「ナナに行って来いって言われてるからね。ナナったら言うこと聞かないと、もうチェスしないとか言うんだよ~」


 ほっぺたをぷりぷり膨らませてテオ君が私の周りをくるくる回る。あれから二人は、毎日私を介してチェスをして楽しんでいた。


「自分だって遊びたいくせにね~」


 私が笑いながら木の扉に鍵をかけると、テオ君が私のアパート全体をぼんやり見つめる。


「僕が言うのもなんだけど、心葉ちゃんの家は幽霊が出そうだよね」

「日本語でボロいっていうんだよ」

「ぼろぼろ~」


 築50年に古い木造文化アパートはもうぼろぼろ。風が吹いても倒れそうと言われている。大福係になったからと言って家賃の高い家に移り住む気はない。ここで十分だ。陽菜のためにいくらでもお金は必要なのだ。このボロ家に住み続け、貯め続ける。


「まんぷくちゃん、いってきまーす」


 隣の部屋の前には、どっしり太ってまるまるした灰色のハチワレ猫が鎮座している。貫禄ある体なのに首に巻いた赤リボンがキュートだが、体は透けている。


「あの猫、幽霊だよね?」

「存在感あるから最初生きてるかと思った」


 隣のどっしり猫幽霊に手を振ってから、青井さんの家を目指してゆっくり歩き始めた。人に聞かれない程度にテオ君と話しながら歩く。


「どうして青井さんはテオ君をお迎えに寄越すの?私、一人でも平気だけど」

「うーん、これ言っちゃダメなんだよね~ナナの言いつけ守らないと遊んでくれなくなるから。ごめんね心葉ちゃん」

「しっかり教育されてるね」

「さすがナナだよね。人の弱み突くの天才」


 二人で青井さんは人の弱みに付け込むのが上手いなんて話しながら、やっと青井さんのエレガントハウスに到着した。合鍵や指紋認証、網膜認証まである面倒な玄関を抜けてリビングに入ると、赤いソファで青井さんが寝ていた。


「珍しい……」


 私はアイランドキッチンの影から、こっそり青井さんの様子を伺う。神経が細かそうだから、起こしてしまいそうで気を使う。猫みたいに丸まっている青井さん。私は静かにリビングを出て、二階への階段を上る。テオ君もふわふわついて来た。


「ソファで寝ちゃうなんて青井さん昨日、何かあったの?」

「不機嫌そうに仕事してたよ。中国マフィアの大口取引事件で緊急だからって依頼が来て」

「ま、マフィア?!」

「ちゃんと捕まったからニュースになってるかも?」


 私は階段の途中で止まってスマホで検索してみた。最新のニュースで、中国系マフィアの麻薬密売組織を検挙との見出しが出ていた。これか。テオ君にスマホの画面を見せる。


「この事件に青井さんが手を貸したってこと?」

「ナナがそこにいるってバレると、滞在国からヘルプ来ちゃうんだよ。今回は日本から。助言的な立場だったよ昨日は」

「すごい……本当に世界的名探偵なんだ青井さんって」

「ナナ、凶悪犯とかテロ犯とかマフィアとの読み合いっこ得意なんだよね。どっちがより性格悪いかの勝負だから。昨日は余暇中ですがってチクチク十回は言ってけど」

「言いそう。なんかそう聞くと……幽霊事件ってカワイイ事件に見えてきた」


 私は階段を上りきり、普段誰も使っていないゲストルームからブランケットを一枚取り出した。ブランケットを抱えて再びリビングへ向けて階段を下りる。


「だからナナは余暇に幽霊事件に取り組むのかもね~。本職の事件なら指揮的立場のことが多くて、現場に出ることないんだよ。ナナからしたら幽霊事件って簡単で、現場で実際に謎を解くの楽しいんじゃないかな」

「幽霊事件の解決は青井さんにとって楽しい謎解きタイムか」


 リビングに戻って、静かに抜き足差し足で青井さんの眠るソファに近寄った。目の下の隈が酷くて、死んでるのではと思うほど寝顔の顔色が悪い。もっと肉を食べさせないとと思いながら、ブランケットをふわっとかけて退散する。


 私はエプロンを付けて、できる限りアイランドキッチンの奥の方で静かに大福作りを始めた。毎日手を変え品を変え、出来立てを提供だ。テオ君は私の肩に抱き付きながらだらだらお喋りに付き合ってくれる。


「今日は何作るの?」

「かぼちゃ生クリーム大福」


 私は細かく切って柔く茹でたかぼちゃを滑らかになるまですり潰し、鍋で煮始めた。砂糖と塩を入れ、好みの固さまで煮詰める。私は鍋を見つめながらテオ君に話しかけた。大福係は一人っきりの仕事なので、テオ君がいて本当に助かる。


「テオ君って青井さんのこと何でも知ってて、大好きだよね。青井さん友だちいなさそうなのに」

「ふふっ、正解~正解した心葉ちゃんには良いこと教えちゃおっかな~」


 私はテオ君と一緒にくすっと笑う。かぼちゃ餡ができあがり鍋を冷ます間、求肥餅を作るためにボールに材料を入れて混ぜ始めた。混ぜる手が楽しい。


「どうしてナナはわざわざ心葉ちゃんをスカウトしにきたかって話!」

「それは興味ある。青井さんは教えてくれなさそう」

「でしょ~でも心葉ちゃんの大福との出会いを語るにはまず、ナナの辛い話をしなきゃいけなくて」

「辛い話?」


 遠路はるばるイギリスから、私を大福係に誘いに来た理由は知りたかった。だが、大福なんて甘い物の話のはずなのに、辛い話がセットだという。求肥餅に甘さ控えめの練りかぼちゃを加えて橙色に完成した。


「ナナと一緒に長く仕事してた仲間が、実はスパイっていう事件があったんだ」

「うわ……それは辛い」


 私の眉間にくっと皺が寄った。まるでドラマみたいだ。けれど。青井さんの仕事を思うと情報戦のようなイメージなので、スパイも登場して然りな気がする。テオ君は少し声色を低くして、眉尻を下げた。


「スパイだったのは、アーチーっていう六十代の老紳士でね。真っ白でたっぷりの白髪にスーツがかっこよかったよ~イケてるジジイ」

「イケメン老紳士か」

「何でもできて情緒の安定感ハンパなかった。基本的にナナの周りってすぐ人が辞めちゃうんだけど……」


 求肥餅を一口サイズに切り分けたあと、今度は冷蔵庫から生クリームを取り出して泡立てる。青井さんの周りで辞めていく人が続出する理由はわかる。私もテオ君がいなかったら、青井さんに対してもっと不信感が強かったはずだ。


「青井さんの口も態度も悪いから、だよね」

「そう、ド正論の論破し過ぎるから。でもアーチーは年の功でナナを丸く受け止めてくれてね。そっとナナの好きな紅茶を淹れてくれるような、気が利く人だったんだ」

「アーチーさん、良い人に思えるけど……」

「本当に良い人だったんだよ、アーチーは」


 私は求肥餅を広げ、冷めた餡を乗せ、柔くて甘い生クリームを乗せる。沈んだ声を出すテオ君は甘いクリームの香りを嗅ごうとしていた。餡と生クリームを餅でくるんと包む。


「アーチーは娘さんを爆発事件で亡くしてて。その主犯格がナナだって吹き込まれてた。ナナはもちろんそんなことしないから。アーチーは悪い奴らに騙されて、スパイになっちゃったんだよ」


 何度も大福を包む作業を繰り返していた手が自然と止まってしまい、私は顔を上げる。ぎゅうと唇をへの字に曲げるテオ君の顔を見つめた。


「それで……どうなっちゃったの」

「……アーチーはナナ」

「テオ、そのへんにしてください」


 いつの間にかアイランドキッチンの作業台の向こう側に立っていた青井さんが、じっとり私を睨んでいる。どうしてテオ君の声が聞こえていないのに核心に近い所で止めるのか。


「心葉さんの受け答えだけで、だいたい話の内容が予想できます」

「すごすぎません……?」

「テオ、口が軽いのは考えものです。それ以上話したら、チェスしませんので」

「はーい」


 青井さんはできたてのかぼちゃクリーム大福を口にぽいと放り込んで、リビングのドアを開けた。だが、開けたドアの前で一度立ち止まり、私に向かって顔だけを覗かせる。


「ブランケット、ありがとうございました」


 ばんと勢いよくドアが閉まる。私とテオ君は顔を見合わせて笑った。


「「照れてる~」」


 寝てるところを見られて気恥ずかしかったのかもしれない。青井さんの表情は相変わらず無なのだが、たまに感情が察することができるようになってきた。


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