2−2 トマソンへの扉か、それとも異世界への扉か

不気味に軋む階段、果てなき道の先は――


天井からぶら下がる錆びついた金属の梁が、淡い光を反射しながら不気味な陰影を作り出している。妙に静かだ。

ダンジョン特有の時間の歪みが、この場をより不思議なものにしている気がした。


その時――視界の端に何かが映る。


「お?」


カメラを寄せてフォーカスを合わせると、そこには半ば崩れかけた階段があった。


上へと続いているが、入り口部分が埋もれている。

どこにも繋がらず、ただそこに存在する。

何の意味もない――だが、その無意味さ自体が芸術的。


「これ……まさか……?」


俺は思わず息を呑み、慎重にカメラのズームを調整する。

確かめるように、ゆっくりと手すり部分をなぞる。


《コメント》

【来たか!?】

【これは……純粋階段(トマソン)か?】

【ズボン、また伝説を見つけた?】

【美しい無駄の極み】

【純水、来たー!】

【これは歴史的発見では??】

【超芸術発掘職人、爆誕】



俺は慎重に一歩踏み出し、カメラの角度を変えながら念入りに構造をチェックする。


「いやいや、まだ確定じゃないぞ。だが……これはかなり期待できる……」


と、その時――コメント欄に“純水”の文字が飛び込んできた。


「……って、純水じゃねぇ!!」



《コメント》

【ズボンの純水フィルターが発動しました】

【違う、そうじゃない】

【いつの間にか純粋→純水が定着してるw】

【この階段、純水100%ですか?】

【また新しいトマソンジャンルが生まれてしまった】




俺は軽く頭を抱えながら、「いいか、お前ら、今回は純水じゃなくて純粋階段だ!」と訂正する。

だが、コメント欄はもう“純水階段”のノリで固まりつつある……。


「くそっ……今に見てろよ、ちゃんとしたトマソンを証明してやる!!」


俺は意を決し、慎重に階段の側面へ回り込み、さらなる調査を開始した。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


まずはカメラを別の角度に切り替え、階段の構造をじっくりと映し出す。

錆びついた手すり、途中で崩落した段差、行き先の見えない上階――。


何度か角度を変えながら観察しているうちに、ふと違和感が生まれる。


トマソンらしい無意味な構造、そう思ったが……


「これは……純粋階段というより、無限階段?」


その瞬間、コメント欄が一気に盛り上がる。


《コメント》

【発見の瞬間!?】

【ズボンの超芸術レーダーが反応した】

【今日もいいトマソン日和ですね】

【早く登って確認しようぜ!】

【無限階段!? 新ジャンル爆誕か】

【無限階段ってことは、もしかして……ループする?】

【ズボン、ついに四次元空間に到達】

【現実世界にも無限階段って存在するんだな】



俺はコメントを流し見ながら、慎重に階段の近くまで歩み寄る。


確かに奇妙な雰囲気はある。

階段の上は闇が続いているように見えるが……何かが引っかかる。


「いや、焦るな。まずはちゃんと構造を確認する」


一見、完全な純粋階段に思えたが……この違和感の正体を確かめるべく、さらに調査を進めることにした。


俺は慎重に階段を登りながら、カメラを回し続ける。


崩れかけたステップ、錆びついた手すり、壁に刻まれた奇妙な傷跡――。


そして何よりも、階段の先が見えない。


「……おかしいな。登ってるはずなのに、景色が変わらない」


《コメント》

【あれ? これ、さっきの場所と同じじゃね?】

【いや、ズボン、これ……ループしてる?】

【無限階段、マジだった!?】

【ダンジョンの謎事象、発動か!?】

【ズボン、四次元世界に迷い込む】



俺は足を止め、改めて周囲を見渡す。


「……やっぱりおかしい。こんな単純な構造の階段で、行き止まりもなければ上のフロアにも出られないってのは変だ」


少し考え、カメラの視点を戻し、再び階段を登る。

数段分進んだところで、さっきと同じ柱、同じ壁の剥がれを見つける。


「……これ、登った場所が戻ってる?」


その瞬間、ダンジョン特有の異常な現象――俺たち探索者の間で『遷移歪曲シフト・ディストーション』と呼ばれるものが発生していると確信した。


「ちっ……これはヤバいな」


《コメント》

【シフト・ディストーション発生!?】

【これはトマソンじゃなくて、ダンジョンの怪異枠か?】

【ズボン、転送されてる説】

【閉じ込められる前に脱出しろ!】

【まさかの異世界行きフラグ】


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「やべぇな、ほんとに。これはトマソンじゃない、完全にダンジョンの罠だ」


俺はカメラを引きながら、一度階段を降りてみることにした。

一歩、二歩、三歩……すると、さっきの崩れかけた手すりがまた現れる。


「戻ってる……ってことは、ここ一方通行の転移がかかってるな」


このまま登り続けても、俺は永遠にこのフロアから抜け出せない――いや、もしかすると本当にどこか別のダンジョンと繋がってる可能性もある。


「ちょっと検証するか……」


俺は慎重に周囲を観察しながら、片手でフラッシュライトを取り出した。

昔、アメリカの警察が警棒代わりにも使っていたという大型ライト。

その先端部を持ち、柄の部分を肩に担ぐようにしながら、壁面を照らす。


ぼろぼろの壁に光を当て、異変がないか細かくチェックする。

ダンジョンの《遷移歪曲(シフト・ディストーション)》が発生している以上、普通の構造物でもどこかおかしい可能性がある。


そして――


カチッ……!


――銃のセーフティ解除音。


「ッ!?」


反射的に振り向き、ホルスターからベレッタを引き抜く。

さっき使った後に撃鉄を戻すのを忘れていたのが、思わぬ利点になった。

銃はすでに発砲可能な状態で、そのまま構えられる。


暗闇の中、すぐに影が動くのが見えた。


相手も即座に俺を捉え、銃口を突きつけてくる――!


「……誰だ?」


冷たい空気の中、低く警戒した声が響く。


「そっちこそ……何者だ?」


互いに銃を突きつけたまま、ジリジリと動きを止める。


沈黙の中、探索者同士の緊張が張り詰める。

月明かりすら届かないダンジョンの奥で、微かなフラッシュライトの光だけが二人の間を照らしていた。


俺は相手の姿をじっくり観察する。


黒ずんだ戦闘服、手には木製の銃床が付けられたカービンライフル。

レバーアクションのそれは、マグナム拳銃弾を使用するタイプかもしれない。

そして胸元にはプレートキャリアのような装備が確認できる。


明らかに実戦経験を積んでいる探索者の装いだ。


だが、このダンジョンに潜る前の申請では、俺以外の探索者がいるとは聞いてない。

ならば、こいつは何者だ――?




《コメント》

【おいおい、マジでヤバい展開じゃん】

【ズボン、いきなりの戦闘モード突入か!?】

【ダンジョンPK発生の瞬間!?】

【これ、誤射したら普通にアウトだろ】

【ズボン、生き残れ!】



俺の指はトリガーにかかっている。

相手の手も、いつでも撃てる態勢に見えた。


威力だけなら相手の方が強力だが、これだけ至近距離なら拳銃だろうが大砲だろうが、一撃でアウトって意味で大差ない。


沈黙が続く。

わずかに指が動いたら、どちらかが倒れる――そんな緊張感が張り詰める。


ゴクリ……


俺はゆっくりと、口を開いた。


「……探索者か?」


相手の銃口がほんのわずかに揺れる。


俺が静かに問いかけると、相手はほんの一瞬躊躇した後、短く答えた。


「……ああ」


低く抑えた声。慎重な口調。

だが、警戒の色は薄れつつある。


俺は少しだけ銃口を下げ、相手も警戒しつつも、徐々に構えを解いていく。


その時、相手の視線が俺の方をじっと見つめるのがわかった。


観察している……


俺の装備をチェックしているのか? それとも……。




《コメント》

【あれ? 相手、ちょっと態度柔らかくなった?】

【銃口の角度が微妙に変わったぞ】

【まさかの和解フラグか?】

【ズボン、敵対者から仲間枠へ?】




「どうやら、お互い誤解だったみたいだな……。

俺はイーヴン。見ての通り探索者だ」


そう言いながら、ここが中国地方の瀬戸内海側にある、かなりマイナーなダンジョンであることを告げる。


すると、相手が微かに目を見開いた。


「……イーヴン?」


俺の名を反芻するように呟き、何か考え込むような仕草を見せる。


「……俺はストレイ・ロード。東北のダンジョンを拠点にしてる」


「ストレイ・ロード? 配信者か?」


「おう。RTA系やってる」


ダンジョンRTA……最速でダンジョンを攻略し、視聴者にその記録を公開するスタイルの配信か。

それなりにリスナーがつくジャンルではあるが、視聴者の期待値が高く、配信者の負担も大きいと聞く。


ストレイは俺をじっと見たまま、なぜか警戒を解くどころか、少し柔らかい雰囲気になっていた。


「イーヴン……お前さ……いや、いや、まさか……」


「?」


ストレイが、なぜか視線をそらしながら咳払いをする。

その仕草が妙にぎこちない。


何か考え込んだ後、彼は急に少し気さくな調子で言った。


「その……悪かったな。つい、警戒しすぎちまった」


……ん? いや、こっちも最初に銃を向けたし、お互い様だろ。

俺がそう言おうとした矢先、ストレイは少し口元を緩めた。


「まさか、こんな場所で出会うとは思わなかったんでな……」


「……え?」


ストレイの言葉が、俺の脳内にうまく入ってこなかった。


「いや、すげぇよ。ここまで一人で来たんだろ? しかも、相当腕も立つ」


「……まぁな」


一瞬、何か引っかかるものを感じたが、戦闘態勢が解けた安心感の方が大きく、俺は特に気にせず相槌を打つ。


それを聞いたストレイは、さらに表情を和らげた。


「イーヴンって、配信者やってるのか? いや、流石にRTAじゃなさそうだけど」


「ああ、一応な。廃墟系とか、探索系だ」


「なるほど……それでか」


ストレイはなぜか納得したように頷く。


「たしかに、そういうジャンルなら珍しくないのかもな」


「?」


何を納得しているのかはわからないが、ストレイは明らかに俺に対する警戒を完全に解いたらしい。

むしろ、少し親しげな空気すら感じる。


……まあ、和解できたならそれでいいか。




《コメント》

【ん? なんかストレイの態度変わった?】

【ちょっと待て、ストレイ勘違いしてね?】

【ストレイ、ズボンのことを?】

【いやいや、そんなわけ……】

【ズボン、まさかの勘違いで友好モード突入www】

【ズボンは一切気づいていません】

【このままいったら、どこでボロが出るんだw】



俺とストレイは、互いに牽制しつつも、どうやってこの状況を打開するか考え始めた。


どうやら、今日はトマソンどころの騒ぎじゃなさそうだ。


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