第3話 私は優等生を目指すことに決めた

 由梨先輩が言った、使い捨てカイロという言葉の意味を考えてみた。

 冬の寒い季節、肌にぴったり密着させるが、温かくなくなったらそれで終わり。

 ポイと捨てられてしまい、誰も見向きもしない。

 まして冬が過ぎると、ニューモデルの商品が販売されている。

 

 由梨は使い捨てカイロを使ったことはないが、おかんが遠足のとき、冷えないようにと、弁当箱の敷いてくれたのを覚えている。

 使い捨てカイロは、温度が常温に戻ると堅くなり、役目を終えたらポイするしか方法がないが、私達人間はそういうわけにはいかない。

 まあ、そのためには常に時代のニーズに応えなければならないが。


 やだあ、まっぴらゴメンよ。ポイ捨て人生なんて。

 私は、道端の名も無い花でもいいから、太陽の元で花を咲かせる人生を送りたい。

 立派な人になるためには、勉強が近道なのかな?


 私は、由梨先輩に呼び出された。

「千尋、あんたはなかなか見どころがあるよ。私はあんたに賭けようと思う」

 えっ、どういうこと!?

 私なんてなんの取り柄もない、平凡な子だよ。

「勉強方法を教えようか? ドリルを一冊丸暗記するんだよ」

 えっ、ドリル一冊といっても、五十ページ以上あるんだよ。

 それを丸暗記するなんて、そうとうな時間と根性が必要だ。

 第一、算数なんて答えを丸暗記しても意味ないじゃん???

「算数の場合、この問題はこの公式を使うんだって。

 問題の公式パターンを暗記するんだよ」

 なーるほど。

 さすが由梨先輩、秀才不良の異名をもつだけのことはある。

「わかりました。とりあえずやってみます」

 自分でも不思議なほどに、心身共にすっかり勉強になじんでくるのを感じる。

 今までの私には、考えられなかったことだ。


「千尋、この頃どうしちゃったの。勉強ばかりして、母さんは嬉しいかぎりよ」

 この頃のおかんは、ニコニコ顔である。

 ムリもないだろう。

 初めての一学期の中間テストで、平均点八十点のまずまずの成績。

「千尋って、一応珠算は三級だけど、勉強は苦手だったろう。

 中学生になって、落ちこぼれて不良にでもなったらどうしようと、母さんは心配だったんだよ」

 おかん、勉強のできない不良なんて、もう過去の遺物にしかすぎない。

 そういう子は、携帯用カイロみたいに捨てられる運命にあるんだって。

「しかし、何が原因でこんなに勉強するようになったんだい。

 母さんに教えてよ」

 由梨先輩の影響でしかないが、由梨先輩のことは、おかんに話す必要はない。

 おかんは心配性ゆえに余計な詮索をするにきまっているし、第一、私の由梨先輩のことは勉強方法以外に、知るよしもない。

「母さんは、定時制高校しか出ていないけれど、千尋には進学校を卒業してもらいたいんだ。マスコミで取り上げられた義石先生と言うのは、勉強のできる不良として上から三番目の高校に進学したけれど、男女交際を反対され、担任の髪の毛をライターで焼いたという前代未聞の事件を起こしたということで、退学になった末、北海道の高校に行き直したんだって」

 私は思わず頷きながら言った。

「その話、マスメディアでも有名になってるよ。でもどうして義石先生は、ヤンキーになっちゃったのかな?」

 おかんは、少々哀れそうな表情で答えた。

「義石先生曰く、自分は母親の不倫からできた息子だったんだって。

 母親の夫、いわゆる義石先生の義理の父親からは、やはり本当の息子と分け隔てされながら、冷たい目で見られ差別されたんだって。

 不倫の子は、知的障害に決まっているなどと悪態をつかれ、その反動で塾にもいかず、勉強だけは頑張ったんだって。

 大学では弁護士を目指していたが、断念して教師になったんだって」

 なるほどなあ。それで、教師になれたわけか。

「母さん思うんだけど、人間、時間と勉強だけは平等なんだ。

 それ以外のスポーツや芸能、事業は向き不向きがあって、なかには多額の借金を背負い込むケースもあるけどね」

 母さんは、ボクシングの試合を見ながら言った。

 格闘技であるボクシングも、相撲も柔道も女性部門は見当たらない。

 芸能世界も、芸能学校は誰でも入れる広き門であるが、デビューできるのは千人に一人という狭い世界でもある。

「狭き門から入れ。滅びに至る門は広く大きいであろう」(聖書)

 私はおかんの言葉に反応した。

「そうね。偉い人になりたかったら、まず勉強ね。

 勉強ってしたくてもできない人だっているものね。

 私、本で読んだんだけど、伝説のアウトロー田岡一雄組長は、不倫の子として高知県に生まれ、実母は五歳のときに亡くなってから、神戸の親戚に預けられたけど、そこではひどい虐待を受けた。

 学校にも行かせてもらえず、荷物を肩に背負いながら山をふたつ登るなどという、肉体労働をさせられていたらしいわ。

 そののち、港湾の仕事をするようになったが、仕事場の近くの喫茶店で働いていたのが、当時十四歳だった奥さんだったというわ」

 おかんは、目を丸くして聞いていたので、私は話を続けた。

「だから、田岡元組長は親がいて、帰宅する家があって、学校に行かしてもらってそれでいて非行に走るなど、考えられなかったというわ。

 高価な革ジャン、洒落たバイクの暴走族など到底理解不能だったらしいわね」

 おかんはシリアスな表情で言った。

「そういえば、犯罪者に幸せな家庭の人は誰一人いないというね。

 その点、千尋は恵まれた部類に入るということを、覚えておいた方がいいよ」

 私はおかんの言葉に、うなずくしかなく答えた。

「そうだね。でも、勉強はやはりしておいただけ、自信につながるよ。

 勿論、勉強して一流大学に入っても、コネ就職が優先されるというのが現実だし、弁護士や医者になっても成功するという保証はないわ。

 しかし、母さんが思うに、努力することは大切なことよ。

 努力できなかった人は、折れてしまうこともあるよ」

 もしかしたら、由梨先輩も自分に自信をつけるために、勉強しているのかもしれない。おかんは

「勉強したくてもできない環境の人もいる。その点、日本は義務教育だから、誰にでも教育を受ける権利があるわ。

 私は昔のバイト先で見てきたけれど、中国は義務教育がないから1+1=11だと思っている人もいる、というよりも数字の1の意味すらも知らない人もいるよ。

 まあ現在は、条例で日本語の話せない外国人は就労させてはいけないという条令があるというわね。

 またカンボジアやタイは、小学生売春もあるというわ」

 私はゾ~ッとして答えた。

「まあ、日本の場合は未成年者を保護するという法律があるから、それは許されない。だから外国人がどんどん入国してくるのね。

 だいたい、三百円以下で衛生的で美味しいものを食べることができるのは、日本だけだというわ」

 これから日本はグローバル社会になっていくのだろうか。

 そういえば、プログラマーやその上のシステムエンジニアの世界でも、中国人やインド人が活躍しているという。

 ある埼玉県の団地は、数十年は高齢者が多かったが、現在はおおむね、中学人のプログラマーやシステムエンジニアが半数以上を占めるという。

 埼玉県から東京の企業に通うのためには、もってこいだからである。

 おかんが答えて言った。

「この頃は、来日中国人子供が、進学塾に通い一流大学を目指しているというね。

 中国は就職状況が厳しいからね。

 これからは、日本人であることに胡坐をかいていたらいけない時代が到来するかもしれないね」

 そういえば、進学公立高校にもなんと定員割れが起っているという。

 少子化に加え、授業料無償化で私立高校を希望する人が多いからか。

 時代はどんどん変わっていくんだなあ。

 おかんはしみじみ言った。

「私はこう見えてもね、企業で経理部門に十年以上いて、経理課の主任だったわ。

 しかし、ITの時代になって必要なくなり、営業に回されたが、当時はセクハラの嵐だったわ。

 昔のキャリアが役立たなくなっても、これからの時代に合していかなくちゃね」

 令和の今、どんどん時代は変わっていく。

 おかんは、日本伝統である詩吟のCDを聞き始めた。

 琴や三味線、尺八の音色に混じって、民謡のような歌声が妙に新鮮に響く。

 いくら時代が変わっても、伝統文化は味のあるものだ。


「すごいじゃん、千尋。正答率80%だよ。あと20%意地でも頑張りな」

 私のドリル勉強の結果、由梨先輩によるテスト採点後の叱咤激励後の言葉である。

 やはり、やればできるんだと、自信にも似た確信が、生まれてきた。

「はーい。百点満点になるまで頑張ります」

 いつのまにか、由梨先輩は私の家庭教師もどきになりつつある。

 由梨先輩は、珈琲を入れてくれた。

 私も由梨先輩も、ブラック珈琲の苦みが心身共に清めてくれるようである。

 

 由梨先輩は、私の目を見つめながら言った。

「まあ、私の生い立ちは千尋には話す必要はないが、おいおいわかってくると思う。

 しかし、無理な詮索はしないでほしいな」

 ということは、人に話せない辛い人生をおくってきたに違いない。

「はい。週刊誌じゃあるまいし、人の家庭など詮索したってどうしようもないじゃないですか」

 由梨先輩は、母親はいるような、いないようなと言ったが、どういう意味なのかな?

 ひょっとして、産みの親と育ての親とがいて、由梨先輩は養子縁組をしたのかな?

 母親がネグレストで、その腹いせに暴言を吐いているだけなのだろうか?

 もしかして、産みの母親が名乗ってはいけないという特別養子縁組なのかな?

 私は知る限りの知識を、想像してみた。

 それとも、由梨先輩は単に母親にほったらかしにされ、その腹いせに暴言を吐いているだけなのだろうか?

 私には知るすべもなかった。


 その途端、チャイムが鳴った。

 由梨先輩がドアを開けると、そこには中年女性が二人立っていた。

 一人は四十歳くらいの綿シャツにデニムパンツという極めて軽装ないでたちだが、もう一人は五十歳くらいで渋い和服を着こなしている上品そうな女性。

 四十歳くらいの綿シャツの女性が言った。

「由梨ちゃん、元気なの?」

「ん、まあね。それより、おかんこそスパゲッティー風うどん屋の方、儲かってるの?

 煮干しの出汁でとったタレをガーリックで炒めてスパゲッティー風にするなんて、おかんもなかなかトレンディーだね」

 おかんと呼ばれた女性は答えた。

「まあ、今のところは黒字よ。あっ部屋に入るよ」

 由梨先輩は、私を紹介した。

「この子は私の中学の後輩で、沢崎千尋っていうんだ。私の勉強仲間だよ」

 私は頭を下げ、

「沢崎です。由梨先輩には、いつも勉強を指導させて頂いています」

 どうやら由梨先輩の母親らしい。

 和服姿の五十歳くらいの女性は、ドアの隅にじっと立ったままである。

「あのう、おあがり下さい」

 和服姿は、草履を脱いで部屋に入るや否や、いきなり

「さあ、今からお茶を入れてごらん」

と、命令調とも、指導調ともいえるような調子で、由梨の母親に言った。

 由梨の母親は、粉末の緑茶を湯飲み茶わんに入れ、魔法瓶の湯を注いだ。

 和服女性は、一口飲んで顔をしかめた。

「ダメだよ。この程度の味じゃあ、リピート客はつかないよ。

 それでなくても、物価高騰の時代だから、よほど美味しい個性的な商品をださなければ、お客は去る一方だよ」

 

 

 


 

 



 


 

 

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