第2話 逃亡

「は?」


山と住宅街の境目。通勤通学の人間も増える中、俺は何の誇張もなく顎が外れて取れそうになるくらいに口を開き、手前で食い止めつつ、目の前の男に聞き返す。


「え。その……今なんと」


目をキラキラさせた里野もけは両手をグーにして胸元で構え、よりあざとさを増加させたうえで台詞を復唱する。


「はい。ずっと前から好きでした。付き合ってください」


「……ひ……」


「ひ?」


「………ひぎゃああああああああああああ!!!」


「うわっ、エミさん!何ですか、急に走り出すなんて……ちょっ、速すぎっ!!」


理性は全て吹き飛んでいた。今の俺は捕食者を目の前にした被食者。


生物としての全てを掛けた逃走本能はアドレナリンやら何やらを全開にし、足の筋肉はその分泌に全力以上で応えた。


通学しているリーマンも散歩しているおじいさんも高校生も中学生も誰も皆、血走った目で全力疾走する俺に視線を移している。


が、もはやそんな事はどうだって良い。


逃げねば!!


「ぜぇ……はぁ……、待ってくださいよぉ〜!!まだ話は終わってません!!」


「うわぁああああアイツまだついていてやがる!もう話は終わりなんだよぉおお!!」


俺の100メートル走のタイムはだいたい12秒。長距離走にも自信がある、なんとか振り切らねば…


「ターンだ!」


住宅街に突入。比較的新しく造られたこの場所はルートがさいの目状に区切られている。今は登校できるかどうかとかどうでもいい、不規則に曲がって奴の視界から脱出するしか!


「待ってくださーい!僕はまだ答えを聞いていませんよぉ〜!!」


「うるせぇええええ!!もうお前には金輪際二度と確実に一生会わん!!」


確実に声が遠くなっている。


右折。左折。左折。右折……住宅街を駆け抜けた先、市街地に出る。コンビニを見つけた俺は一目散にそこに駆け込み、息を整えた頃には……


「はぁ……はぁ………」


コンビニの、多目的トイレに居た。


「巻いた、か………?」


ん?


なんだか、パンツの中がケバい。もこもこする。


……まさか。


肩で息をして落ち込んでいた首を上げ、鏡を見る。


「げぇえええええっっっ、マジか……最悪だ」


耳が出ている。どころか、顔が、ほぼ元に戻っている!


「人間に見られた…?ってか、いつからだ…?」


久々に"自分の姿"を見た。幼馴染から焼き芋みたいだねと例えられた、黄色い毛並み。


狐としての自分………


5年ぶりだろうか?


「ああっ。そこまで俺は心が揺さぶられてたのか」


狐の変身は、心がブレると解けてしまう。耳が出て、尻尾が出て、そして、徐々に元の姿に戻るのだ。このままでは登校どころではない。


「ふうーーーーっ………ふぅーーーっ……」


深呼吸で心を落ち着かせ、鏡を見ながら身体をゆっくりともとに戻していく。抜け落ちた黄色い毛が何かしらの証拠にならないよう、丁寧に拾い集めてかばんにしまっておく。


「うげぇ……」


ぐったりとした表情で外に出ると、店員のお姉さんが心配そうにこちらを伺い、


「……あの、大丈夫ですか?不審者に襲われてたりするなら、警察に通報を…」


と聞いてくる。お姉さん…それ、割と合ってます。


「あ。その、お気遣いありがとうございます。ですがお構いなく……えと、これ…買います」


店員も他のお客さんも、みんなが俺の方を向いている。視線が痛い。彼らは、何処まで戻った俺を見てしまったのだろうか?


「あ、ハイ。えー、138円です」


必携食のぶどうグミ。いつもは購買で買うのだがトイレを借りた以上致し方ない。店員の皆さんにお礼と謝罪をした後、汗を拭い外に出る。そして俺は、今日何度目かの絶望をした。


「ここ、どこ…?」


現代の高校生にも関わらず、俺はスマホを持っていない。無我夢中で走ったことにより、あまり見慣れない場所に来てしまったようだ。


思えば別に、通報してもらっても良かったのかも知れない。だが、何かそうしないほうが良い気がして躊躇ってしまった。


これからようやく高校2年目、夢に一歩ずつ近づいているこのタイミングで人間の警察の世話になるのはあまりに気が重い。


「学校、何処だろう」


やぁ、エミさん。さっきぶりですね?貴方、スマホ持ってないって聞いて、道に迷っているのではと心配だったんですよ〜!!


などと言いながら奴が角から出てくるのではないかと警戒したが、一先ずその予兆はない。


「魍魎高校は小高い丘の上にある。このへんは中心市街地とは言え建物もそう高くはないし平地だから、見渡せば何処かに……あ!」


ナイス俺。ビジネスホテルや駅のすき間の向こうに、校舎らしき建物の端っこが見える。


「気を取り直して登校しよう。里野もけは一学年下…つまり。教室で会うことは無い」


ぞわっ。


その瞬間、背筋に寒気が走る。何だ?


俺は今、何か取り返しのつかないフラグを立てたような気がする。


何か見落としている要素があるとでも言うのか。だが、自分でそれに気が付けない。いやそもそもの話、魍魎高校2年生は8クラス。何かの間違いで奴が同級生だとしても、単純計算で鉢合わせる確率は8分の1なのだ、焦ることはない。


「落ち着け円月エミ。怯めば正体が露見する…己の夢を忘れたか?現界こっちに勾留し続ける。何としてでも……」


両頬を強めに叩いて、校舎へと駆け出す。コンビニで時刻を確認したのだが、この距離感では遅刻は回避できそうにない。


今は8:15、始業まであと15分だ。


「クソ。皆勤賞狙いが早々に…!おのれ里野もけぇ!末代まで祟ってやるからなぁ!?」


今の俺、昔話の狐なら最終的にこっぴどくやられそうな感じの、とんだ小物だ。


「走るかぁ」


逃走劇で疲れた足を軽くさすって、また走り出す。遅刻確定とは言え、1秒でも早く学校には着きたい。

















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