第36話:進むべき道と方法
「……あの、ちょっと待ってください!」
立ち上がろうとした俺の腕を、美咲がそっと引き止めた。
「ん? どうした?」
美咲は周囲を警戒するように見渡しながら、小声で俺に尋ねた。
「先輩、私たちの格好……これ、大丈夫なんですか?」
その言葉に、俺も改めて自分たちの服装を見下ろした。
——確かに、この世界の雰囲気にまったく馴染んでいないな
俺たちが今着ているのは、もちろん登山時の服装そのままだ。
俺は黒の速乾性Tシャツに、ブラウンの薄手マウンテンパーカーを羽織り、カーキのトレッキングパンツを履き、足元は登山靴。美咲も同じような格好で、白のウィンドブレーカーを羽織っている。ザックには登山用のギアが詰め込まれており、この世界では違和感が抜群だ。
「……そういえば、スーツや学生服なら“渡界者”と認定されやすいみたいだったな。俺も前はスーツだったからよかったが、今回はどう判断されるか分からないぞ……」
過去の異世界転移では、現地の人間が俺を”渡界者”と認識してくれたおかげで、大きな問題にならなかった。しかし、今回はスーツでも学生服でもない。これでは、単純に不審に思われるだけかもしれないな。
「うーん、ちょっと持ち物を確認してみるか」
俺はザックの中を探りながら、美咲にも荷物を確認するよう促した。
山登り用の装備はある程度そろっている。レインウェアもあるが、透湿防水の登山ジャケットなので、これを羽織ったとしても、現状から見た目に大きな変化は生じない。色合いもアウトドア向け特有の派手めな差し色が入っていて、この世界の雰囲気にはそぐわない。
「先輩、これじゃぁ、かなり目立っちゃいますね……」
美咲が自分のザックの中から、俺のモノと同じようなレインウェアを引っ張り出して、苦笑する。
「ああ、そうだよな……あ、そういえば!」
俺は荷物の中をさらに探り、あるアイテムを取り出した。
「これなら、使えそうじゃないか?」
手にしたのは、カーキ色のエマージェンシーシートだ。極薄のアルミ素材で作られた防風・防寒・防水シートで、災害時や遭難時に羽織ることで体温保持ができるものだ。通常は銀色や金色のものが多いが、俺が持ってきたやつはミリタリー仕様のカーキ色だ。
「あ! いいですね。これなら汚せばそれっぽく見えそうな気がします」
美咲がシートを手に取り、しばらく考え込む。
「でも、これをマントみたいにするには、ちょっと加工が必要ですね……。何か、留める道具とかありませんか?」
「そんなものが、あったかな……?」
俺は何かないかと、再びザックの中を漁ってみる。
「これは……!?」
俺が取り出したそれを、美咲が驚いたように見つめた。
「あっ、それ……見たことありますね。たしか先輩が手品をしたときの?」
「実はあの時って、異世界から帰還した瞬間だったんだよ。それは後で詳しく話すとして、ともかくこれは、コッチで手に入れた“魔法の収納袋”なんだよ」
俺がザックから取り出したのは、異世界で手に入れた“魔法の収納袋”だった。
この前の異世界転移時に手に入れた不思議な収納袋で、想像以上に多くの物が入る便利な代物だ。
「そうだ……調子に乗って、家の物置部屋にあった道具をいろいろ詰め込んでたんだった。持ってきていて良かったよ」
「えっ!? そんな異世界テンプレなアイテム、本当に存在するんですか!? いや、それを普通に持ってる先輩もどうかしてます!」
美咲が驚いたように目を丸くしていたが、とりあえず放置して収納袋の中を探る。
「……あったぞ! 麻紐とアウトドア用のシザーナイフだ!」
美咲がぱっと顔を輝かせた。
「やった、これならいけますね!」
美咲は手際よくエマージェンシーシートを二つのマントに仕立て上げた。シザーナイフで適切な長さにカットし、端を麻紐で結んで留めるだけの簡単な加工だが、それでも服装の違和感をかなり緩和できている。
「よし、あとは……これを土で汚せば、それなりに見えるんじゃないか?」
俺は地面の土を手に取り、シートの表面を擦った。もともと薄いカーキ色だったのが、さらに汚れ、古びた布のように見えなくもない。
「ですね! 遠目に見れば、ちゃんとしたマントっぽいです」
美咲も満足げに頷いた。
「よし、これでなんとかなるだろう……では、いくか」
「はい、先輩!」
◆
俺たちは即席のマントを身にまとい、城壁のある方へと歩き始めた。
道を歩く人々にできるだけ目をつけられないよう、俺と美咲は慎重に歩調を合わせる。他の旅人に追いつかず、また追い越されることもないよう、自然な間合いを保つように心がけていた。
周囲を観察すると、この世界の人々の服装が目についた。
道を歩く商人らしき男は、くたびれたマントを羽織り、その下にはオーバーチュニックのようなシンプルな貫頭衣と、分厚いズボンを着ていた。旅の汚れを感じさせるが、それなりに丈夫な生地のようだ。
カドアビ村で見た村人たちの衣服よりも厚手で、装飾も少し施されている。村人たちの服は、もっと簡素で粗末なものだった。
おそらく、商人の衣服はある程度の財力を示すものなのだろうな。
「とても異世界っぽい服装ですね……」
美咲が興味深げに周囲を見回しながら、俺に小声で話しかける。
「”異世界っぽい”か。中世ヨーロッパ風かというと、それだけって感じでもない。どこかタイの北部の山岳地方の民族衣装にも通じるところがあるな」
そんな会話をしながら、俺は城壁に向かって続く道を見据えた。
今は、この場所において目立たないようにすることが最優先だ。登山用の服装を隠しながら、できるだけ周囲と溶け込むように動かなければならない。とはいえ、どこまでこの格好が通用するか?
「先輩、そういえば……これまでの異世界転移について、詳しく聞かせてもらえませんか?」
美咲が、俺の横を歩きながら尋ねてきた。
「ん? そうだな。気になるよな……さて、何から話せばいいか」
「そもそも、どうして転移するんです?」
「今のところの仮説だが、俺が“何気ない嘘”をつくと、その嘘がきっかけで異世界に飛ばされるらしい」
「えっ……そんな適当な理由で!?」
美咲が目を丸くして驚く。
「まあ、神様の気まぐれってやつなんじゃないかな」
肩をすくめながら、俺は続けた。
「最初の転移は、居酒屋での軽い冗談がきっかけだった。で、気がついたら奈落の森に放り出されていたんだ」
「奈落の森というのは、大陸の東側を埋め尽くす森でしたよね?」
「ああ、そうだ。簡単に言うと、とんでもなく広い原生林だ。強い魔物がうようよいて、人間が深入りするような場所じゃない」
「なるほど……それで、先輩はそこでどうしたんですか?」
「ちょ、ちょっと待ってください! 今、魔物がうようよって言いましたよね!?」
美咲が急に立ち止まり、俺の腕を引いた。
「まあ、そうだな。狼型の魔物とか、でかい熊とか、いろいろいたぞ」
「それって、私たちが遭遇したらアウトなやつじゃないですか!?」
美咲の顔が若干引きつっている。
「運良くセシリアという女冒険者に助けられて、彼女の世話になりながら辺境の村に辿り着いたんだが——」
俺はこれまでの転移のきっかけ、帰還の条件、そして異世界での出来事など……そういったことを美咲に順を追って説明していくと、彼女は時折うなずきながら真剣な表情で聞き入っていた。
「“渡界者”ですか……。過去にも地球からこちらに来た人がいたんですね」
美咲は、考え込むように呟く。
「みたいだな。スーツとか学生服が認知されているってことは、異世界に渡ってきたのは主に日本人だった可能性が高いのかもな」
「異世界人は貴族に囚われるっていうのも、ラノベのお約束だったりしますが……」
美咲が軽い口調で言うが、その言葉には微妙な含みがあった。
「まあ、確かにそういう話はよくあるな。でも、村の人や赤鉤団の連中の反応を見る限り、その危険性は低いような気がする。賢者扱いされそうになったが、否定したら普通に納得されたし。そんなものなんだろう」
ただ、城壁の向こうでは違う扱いを受ける可能性もある。貴族の支配が強い場所なら、異世界人の立場も変わってくるかもしれない。
俺たちは若干の不安を胸に、街道を進んでいった。
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