第15話:セシリアの名?迷?推理

 セシリアの腕の中に抱きしめられたまま、俺はなんとも言えない安堵感に包まれていた。


 長い時間、暗い森の中をさまよい、疲労と焦りに襲われ続けていた心が、彼女の存在によって一気に解きほぐされていく。


 ——いや、それはともかく、鎧が硬い!


「……いや、嬉しいけど、鎧が硬くてちょっと痛いんだけど?」


 俺がそう言うと、セシリアはハッとしたように腕をほどき、少し顔を赤らめながら後ずさった。


「むぅ……。ここは乙女の抱擁に喜び恥じらう場面ではないのか? 恋愛小説では、こういう時は抱擁を喜ぶものだと書かれていたのだが……」


 セシリアは頬を膨らませ、拗ねたような表情を浮かべる。

 俺は苦笑しながら肩をすくめた。


「いや、嬉しいのは本当だよ。でも、痛いものは痛い!」


「まあよい。とにかく、村に入るぞ!」


 セシリアがそう言い、俺の腕を軽く引いた。

 俺は頷き、村の入り口へと向かった。



 村の入口をくぐると、村人たちが集まってきていて、驚きの声が響いた。


「本当に帰ってきたのか!」

「ナオヤ!? 夢じゃないのか?」


 次々と村人たちが駆け寄り、俺の姿を確認して歓声を上げる。


「突然いなくなってしまったから、もう戻らないのではないかと……」


 村長のガルドが、胸を撫でおろすように言う。

 俺は申し訳なさそうに頭をかいた。


「心配かけてすまない……俺も突然元いた世界に戻っちまって、何がなんだか分かってないんだよ」


 村人たちは驚きつつも、安堵の表情を浮かべていた。

 村の風景は大きく変わってはいないが、細かなところに防衛の強化が見受けられる。村の周囲には簡易的な柵が増え、見張り台も増設されている。明らかに、盗賊団との戦いが続いている証拠だった。


「……村は、無事だったんだな」


 俺は思わず呟いた。

 現実世界に戻っていたときから心の奥底でずっと抱えていた不安が、ようやく解けていくのを感じる。



 村の広場に移動して、俺はセシリアや村人たちから、盗賊団との戦いの経緯を聞いた。


「前回の襲撃から五日が経ったが、やつらはまだ完全に諦めてはいない」


 セシリアが険しい表情で説明する。


「直前の戦いでは、奴らに多少になり手を負わせることができた。しかし、敵の殆どは健在で、奴らはじわじわとこちらの物資を削るつもりのようだ」


 村人の一人が疲れた表情で頷く。


「そうだな……今のままでは、持久戦になれば村の方が先に耐えられなくなるだろう」


「……厳しい状況か」


 俺は村の防衛状況を見ながら、考え込んだ。



 そんな状況の中、村人たちが俺を囲み、興奮気味に口々に言い始めた。


「ナオヤ! またあの美味しいカレーを作ってくれ!」


「あれがないと戦いの後に力が湧かないんだ!」


「俺たちも真似して作ってみたが、どうしてもあの味にならんのだ!」


 驚いたことに、俺がいない間に村人たちは俺の作ったカレーを再現しようと試みていたらしい。しかし、俺の作るカレーの方が断然美味しかったという。ふふん、当然だろう?


 そんな彼らの熱意に負け、俺は”仕方ねぇな”と笑いながら、再びカレーを作ることになった。

 セシリアも興味津々な様子で”ふむ、では私も手伝うぞ!”とエプロンを巻いている。


 セシリアや村人たちと協力しながら食材を切り、スパイスを調合し、鍋でじっくりと煮込んでいく。

 カレーの香りが立ち上ると、周囲の村人たちは”おお……!”と期待に満ちた目で鍋を覗き込んだ。


 セシリアは隣で腕を組みながら”ふふん、庶民の技もなかなか奥深いな!”と、また謎な表現で得意げに頷く。


「セシリアさんは前回も手伝ってくれてたけど、ちゃんと覚えてるるもんだな」


「うむ。ちゃんと覚えていたぞ。あまりに美味しかったから、手順を書き留めておいたのでな」


 生真面目なやつである。

 その後も和気あいあいとカレー作りを進め、ようやく完成した。


「さあ、できたぞ!」


 村人たちは歓声を上げ、一斉にカレーをよそい始めた。


「あれ? そういやこれを食べたらまた元の世界に戻っちまうのか?」


 俺がつぶやくと、村人たちは一瞬静まり返り、次の瞬間、ざわざわと不安げに囁き合い始めた。


「え、また消えちまうのか?」


「前みたいに突然いなくなったらどうするんだ?」


「ナオヤ、食べるのはちょっと待ったほうが……」


 そんな村人たちの反応に、セシリアも心配そうな顔でこちらを見つめている。


「うむ……ナオヤが戻ってしまうのは、うん。色々と困ってしまうところがあるが……本来の世界に戻れるなら、戻るべきなのだ」


 そう言いながらも、彼女の表情にはどこか寂しさが滲んでいる。


「でも……ナオヤが戻ったら、このカレーはもう食べられないのでは?」


「そ、それは……! うむ……だが、それとこれとは……」


 村人たちも不承不承頷きながら、俺が食べるのを見守る。

 というか、俺の存在意義はカレーだけですか!?


 俺はスプーンを持ったまま、しばし考え込んだ。

 村人たちの視線が集まり、セシリアは不安げにこちらを見つめている。

 覚悟を決め、ゆっくりとカレーを口に運ぶ——が、何も起こらなかった。


「……戻らない……か」


 俺がそう呟くと、村人たちはホッと胸をなでおろし、セシリアも安堵の表情を浮かべる。


「なんだ、俺に戻ってほしくなかったのはホントなんだな」


 俺はカレーを食べ続けながら、戻れなかったことに疑問を抱きつつも、嬉しさが込み上げてくるのを感じた。



 夜、村の唯一の宿屋に泊まることになった。


 村の中心から少し外れた場所に建つその宿屋は、木造の質素な建物だった。

 壁は長年の風雨にさらされて黒ずみ、扉や窓枠にはところどころ補修の跡が見受けられる。しかし、村人たちの手入れが行き届いているのか、建物自体はしっかりしており、どこか温かみを感じさせる雰囲気があった。


 中へ入ると、広々とした共用スペースがあり、石造りの暖炉が部屋の中央に鎮座している。炎のゆらめきが木製の壁や床を暖かく照らし、柔らかなオレンジ色の光が宿の空気を包んでいた。

 カウンターの奥では、宿の女主人が忙しそうに食器を片付けている。


「ナオヤ、お前の部屋は二階だ。案内しよう」


 セシリアが俺を促し、木製の階段を上がる。階段は少し軋むが、しっかりとした造りで歩きやすい。


「ここだな」


 セシリアが扉を開けると、部屋はこぢんまりとしていたが、必要最低限の家具は揃っていた。

 窓のそばには木製の小さな机と椅子が置かれ、壁際にはシンプルなベッドが一つ。部屋の隅には水差しと洗面用の桶が置かれ、窓からは村の静かな夜景が広がっていた。


 セシリアが出ていき一人になると、俺はベッドに腰を下ろし、深く息をつく。


「……戻ってきたんだなぁ」


 天井を見上げながら呟く。

 長く続いた森の彷徨、村人との再会、カレー作り——怒涛の展開だったが、今こうして落ち着いた時間を迎え、ようやく実感が湧いてきた。


 再び異世界に来たのは偶然なのか、それとも必然なのか。

 俺はしばらくの間、ぼんやりと考え込んだ。


 前回はカレーを振る舞った後に戻ることができた。ならば今回も同じことが起こるのか? しかし、先ほどカレーを食べたが何も起こらなかった。となると、単にカレーが鍵ではないのだろう。


「……やるべきことをやったら、俺は現実世界に戻るべきなのだろうが」


 ここでの生活も悪くはないが、俺の本来の世界は向こうだ。

 村の危機を救いたい想いは強くある。だが、会社の仕事や日常がある。こっちの世界にずっといるわけにはいかない。


 だが、戻る方法は分からない。

 答えを探るには、もっと情報を整理する必要がある。

 そんなことを考えていると、扉を軽く叩く音が聞こえた。


「ナオヤ、起きているか?」


 セシリアの声だった。


「起きてるよ。入っていいぞ」


 扉が開き、セシリアが部屋に入ってくる。


「どうしてまた、こちらの世界に来たのか考えたか?」 とセシリアは真剣な表情で問いかける。


「……それなんだが、まだよく分からない」


 俺は異世界転移について、これまでの経験を整理しながら話し始めた。


「1回目の転移は、居酒屋で発生した。そして、カレーを食べたら戻った」


「2回目の転移は、会社で昼飯を食っていた時に発生した。そして、今回はカレーを作ったのに戻らなかった」


 俺が整理した事象について簡潔に伝えると、セシリアは腕を組み、しばらく考え込む。


「ふむ……ならば、お主が転移した瞬間の行動を詳しく聞かせて欲しい。」


 俺は転移したときの状況を詳しく説明した。

 セシリアはひとしきり考え込んだ後、ふと顔を上げる。


「……カレーだな」


「……は?」


「ナオヤはカレーの話をして、カレーを食べた。そして帰還した。この事象を”揃え”で考えるのだ」


「でも、俺は帰還後に何度かカレーを作ったけど、こっちに転移はしなかったぞ?」


 セシリアは鋭い目を向ける。


「違う。きっかけは“嘘”ではないのか?」


「嘘?」


「お前は1回目の転移前に“カレーを作ってごちそうした”と嘘をついた。そして、それをこちら側で実際に行ったら戻った」


「2回目の転移前は“熊を拳だけで一撃で倒した”と嘘をついた。そして、今ここにいる、ということは……」


 俺は息をのんだ。


「……つまり、俺が実際に熊をワンパンで倒せば、帰還できるってことか?」


 二人は顔を見合わせ、しばし沈黙する。


「……マジかよ」


 俺は額を押さえ、深いため息をついた。

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