鉄火神の僧兵

功刀 烏近

回想 ――花園の誓い――

 空は青く、日は落ちてもまた昇る。当たり前の事を当たり前といつしか受け入れ、信じられるようになっていた。

 まるで夢のような話であった。


 幼い頃のサレニア=マルガ=フリンジアは、城の裏山に登るちょっとした散策を好んだ。

 生まれてからのち常に過ごしている王城の美しさが、一目で見渡せるからだという。

 意気揚々と野道を進む我が君の後ろを、つかず離れず追う日課。追うとは言ってもどちらか片方が手を伸ばせば容易に届くような距離が、付き人たるバドゥ=ゼルガルにとっては神聖にして不可侵なる崇敬すうけいの証であった頃の話である。

 バドゥの目にも、確かに見下ろす城は美しかった。白亜、というにはやや青ざめた灰色の石造りは幾ばくかの暗く厳めしい印象を与えるが、周囲の緑深い山々と裾野に広がるベージュ色の城下町が合わさると、冷たかった色彩は荘厳さを現す。青銅色の屋根も、貴石を埋め込んだ王冠のように見えてくる。

 ただ、美しさと言うのなら、バドゥは目の前の主君を超えるものを知らない。主従のひいき目ではない、と言ったら彼を知る者は皆笑うだろうが。

きっと目の前の主君自身を含めても。

 それでも彼女の銀の髪も、黄金の瞳も、白磁の肌も、どれ一つ取っても他と比べる事は出来ない。偽らざる本音であった。

 実際、王家の血族とも彼女は細かいところで相違があった。母方は白金色の髪と碧眼、父方は濃い金髪と明るい茶色の瞳が特徴であり、サレニアは比べると何処か硬質な気配をまとっている。そのためやや人を遠ざけるきらいがあるように思われていたが、側に居たバドゥからすれば逆だった。

 人と離れ人と違うが故に、人を好み人を想う。淡い他者への憧れを、隠すとも誇示するでもなく、小さなペンダントのように持ち続けている少女だった。

 初夏に森の斜面に咲いた薔薇の仲間の小さな白い花を、主君がしかめ面しく束ねて捻る。その姿を視界の隅に捕らえながら、バドゥも丁寧に、かつ密かに花の茎を編んでいった。

 表情は律儀。主君は先の通りの非の打ち所のない美少女であったが、散策や運動ほどには刺繍や音楽を得意としなかった。花輪作りは外遊びに分類されはするが、要求されるのは繊細さと根気であり、サレニアに取っては苦手分野に違いない。それでも花は好きだと言って、眉間にしわを寄せて細い茎と格闘する姿を、バドゥには軽んじる事が出来なかった。

 かといって、このまま成果無く主君を手ぶらで帰らせるのも悔しい。結局どれだけ真剣に従者を自認しても、サレニアと一つしか違わないバドゥもまた、子供には違いなかったのである。


「ああ、もう! いっそ草花の全部、針金くらいに硬く丈夫ならいいのに!」


 やがて精魂尽きたとばかり花を置いて寝転ぶサレニアに、吹き出しそうなのを必死に隠してバドゥが近寄る。うやうやしい手つきでその額に白い花冠を捧げると、目を丸くしたサレニアは途端に発条バネの勢いで飛び起きた。


「むぅ……当てつけか。器用な奴め」


 器用という程出来のいい編み具合では無かったが、少なくともサレニアの作りかけよりは形になっていた。バドゥも器用とは言い難いが、少なくとも根気はある。

 しばし花冠を額と手元の間で往復させていたが、やがてサレニアは拗ねたように口を尖らせてしまう。差し出た真似だったかと青ざめるバドゥに、サレニアは良い悪戯を思いついた顔で笑いかける。


「お前にもらうなら、白よりは赤い花の方がいいな」


 とっさに意味が分からず、周囲を見渡すバドゥ。辺りには一面の野薔薇が咲いてはいるが、目に見える範囲では白い花しかない。


「ほら、お前に初めて会った時の。あの赤い輪っかが欲しい」


 そう言われて、ようやく合点はいった。懐かしく、苦く、甘い思い出だが、同時に頭を抱えたくなる。

 こんな野山で試した事がばれたら城代や教師、他のお目付役からどれほど怒られる事か。

 それでも、バドゥにとってサレニアは絶対であり、つまりは拒否するという選択肢は無かった。

 慎重に、とかく慎重に、息を吸い、原詞エーテルを取り込み、自らに通す。本来は正しき名を呼ぶか書くか、あるいは正しき神へと祈らなくてはならないが、バドゥにとっては常に身のうちにある力だった。胸と腹、そして左肩。生まれながらに刻まれたしるしが、原詞を吹き込まれて熱くなるのを感じる。

 手を開き、輪をイメージする。力を廻し、巡らせ、循環させて遮蔽する。吸った息を掌から吐き出すように、力を放出し、制御した。

 にじみ出るように湧き出た赤い炎が、細く寄り合わされ、編み込まれながら燃える。

 ゆらゆらと揺れる炎の冠を、先よりもなお緊張した手つきでサレニアに差し出す。目を閉じて小さく頭を下げたサレニアの上で、どうにか炎は輪を維持した。どんな薔薇よりも鮮やかな、炎で出来た茨の冠。天使の輪と言うには少々物騒だが、頭頂で揺れる輝きと僅かに伝わる熱量を確かめて、今度こそサレニアは満面の笑みを浮かべた。

 胸を満たした喜びと共にそろそろと息を吐き出すが、完全に消し去るまで集中を説くことは許されない。万が一山火事になどなれば命をもって償っても足りるかどうか。

 そんなバドゥの必死の決意は、いともあっさりと崩れ去る事になる。


「あっ」


 火の輪を愛でていたサレニアが、不意にバドゥの手を取った。途端に鋭い痛みが走る。

 必死に制御した炎熱はサレニアの髪一本焦がす事は無かったが、代わりに逆流してバドゥの掌を傷つけていた。皮はめくれて痛々しく赤い肉が見えている。

 だがバドゥが声を上げたのは痛みそのものに対してではない。不意のショックで思わず魔術の制御を手放してしまった事に対してだった。

 輪が、その制御を失いかけて揺らぐ。

 零れた熱がサレニアの美しい髪を醜く焦がす、そんな光景を予想して今度こそバドゥの顔から血の気が引いた。

 

 結論、心配は杞憂であったが。


 一瞬崩れかけた炎は、炎でありながらサレニアの頭上で凍りついたように制止していた。循環も止まり、熱の発散も起きていない。バドゥの制御からは離れているにも関わらず、である。


「まったく、下手くそめ」


 まるで火の輪に気を止めない様子で、サレニアは掴んだ手を引き寄せて自分の頬に押し当てた。むき出しの神経からの痺れるような痛みよりも、傷口を濡らす体液でサレニアの肌を汚す事に恐怖が走ったバドゥであったが、返ってきたのはただ滑らかで弾力のある頬の感触で、違う意味で背筋が硬直する。

 前触れは、先だって火の輪が消えた事だった。編み上げられた力がその過程を逆廻しにしてほどけ、空中に溶けるように消滅していく。全く同時に、バドゥの掌からも何事も無かったかのように火傷が消えて無くなっていた。

 いや、実際に『無かった』事にされたのだ。

 当時のバドゥには理解できなかったが、火の輪はただ分解されたのではなく時間の流れを逆行したのだ。よって起因する火傷も事象ごと消えた。

 因果律の逆転による治癒魔術。野原で花摘みの最中に、包帯代わりに使われていいものではない。それどころか、人がそも行使する事自体が夢想と言われる域の大魔術を、サレニアは歌でも歌うような気安さで行使した。行使できてしまった。

 高位の魔導師が目の当たりにすればそれこそ気絶しかねないような状況を、しかしその場の何者も問題にはしない。

ただ伝わる触感と体温がバドゥの脳裏を支配していた。

 

「……なぁ、バドゥ」


 手を離さないまま、サレニアが囁くように言った。掌から伝わるものに集中するように、目を閉じて。


「お前、いつも私のために無茶をするな」

「……別に、無茶とは思いません」


 答えた声から、拗ねる側が入れ替わった事が露わになった。


「馬鹿者。私が無茶と言ったら無茶なんだ」

「……申し訳ございません」

「私が頼んでも、無茶は無茶、無理は無理だ。正しく答えるのも従者の勤めだぞ」

「……それでも」


 例え、主の言葉に背こうとも。

 誠実に答えなくてはならない。頭では無く、身体の芯から、言葉が出てきた。


「俺は、姫様の……望まれる事をしたい、です」

「ふん、馬鹿者……まったくもって、大馬鹿者め」


 僅かに呆れたような、くすぐったがるような、罵倒。

 続いて、呟きが零れた。内心の声が意識せず声に出た時の、行き先不明な二言三言ふたことみこと


「……お前になら、いいかな」


 不意に風が吹く。すっと、バドゥの頬に溜まっていた熱が引いた。

 予感があった。逃げる事が許されないものに出会う事への。


「……私が望むとき、お前は私を――」


 サレニアが瞼を上げて、真っ直ぐにバドゥを見た。僅かなためらいの後に、言い切る。


「――殺してくれるか?」


 鋭い刃のような言葉の最後まで、その声からは甘い香りがした。

 滅多に見ない主の儚げな微笑みに向かって、やがて意を決して、バドゥは自らの答えを告げた。

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