第一話 出逢いは既に
困ったことになった。
ヒュー・ア・ドルスタンはザクザクと、傾斜のきつい雪道を歩きながら思う。
空は分厚い雲に覆われ、その雲はふわりふわりと小さな粉雪を振り落としている。辺りはうっすらと暗く、人気がない。ヒューの足音以外は何も聞こえなかった。
吐く息は白くつたない。冷たい風にかき消されては、またフっと白く光る。
___約十四日前、故郷であるカニョラータから独り立ちをし、今はローマーシャの首都、アストゥロネイラに向かっている最中だ。
十四日前....と聞いてわかる通り、
ローマーシャと、カニョラータとの間は距離がだいぶ離れている。南と北という正反対な所に位置しているからだ。
カニョラータからローマーシャへ行くには、船で隣国のアシアケに向かい、そこからさらに船を使ってローマーシャの近くの港町に降り、汽車を利用する必要があった。
船代や、汽車代、船を待つ間に泊まる宿代など、諸々込みで予算を見積もり、計画を立てたのだが、どうにもアシアケの港の海が荒れているらしく、船が出航を見合わせた。
そのためアシアケから動けず、宿で五泊もしたせいで、ローマーシャまで行くための有り金が尽きてしまったのだ。
予算をピッタリ見積もった自分を恨む。予備のお金を少なからず持ってきておくべきだったのだ。
ローマーシャにはだいぶ近づけたが、
近いが故に凍えるほど寒く、野宿などできない。
しかし残念ながらもう宿泊代でさえ、一泊分しか残っていなかった。
あと一夜アシアケで明かしてしまえば、有り金は完全に尽き、ここから移動できなくなる。
お金がないので、明日やっと、やってくる船にも、このままでは乗れないだろう。
まさしく、絶対絶命。
___そんなヒューに救いの手を差し伸べたのは、一枚の紙媒体だった。
時は約三十分前。ヒューは当てもなく宿を後にして、アシアケの首都アルデバランをほっつき歩いていた。
ふと小さな雑貨店の前を通りかかった際に目に入ったチラシが彼を救うものとなる。
「今宵アシアケ城で開かれる舞踏会にて、ピアノの演奏者を募集する。なお、演奏者は参加者の要望に合った演奏をするものとし、専属音楽家が主人から命令されて曲を弾く事以外では、誰でも自由に参加できるものとする。」
専属音楽家というのは、主人につき一人の音楽家のことである。主人に命令されれば、舞踏会用に作曲し演奏したり、基本的に舞踏会での仕事が多いが、それ以外でも主人の要望するタイミングや、食事中などに演奏したりする。
ただし、それは、契約した主人にのみすることであり、それ以外の人間のために専属音楽家が作曲をすることは禁止されている。
だから、"専属"なのだ。
ヒューはその、専属音楽家になるために受ける、二次試験、要するに主人と一対一で行う面接を受けるためにローマーシャのアストゥロネイラに向かっているのだった。
このチラシの内容は、誰かに曲を弾くよう頼まれて、舞踏会で曲を引けば良いと言うことである。
彼からすると、救いの手以外の何物でもなかった。
ヒューは専属音楽家になる者ではあるが、まだ最終試験を受けていないので後述されていることは関係ない。
そして何より彼の目を引いたのは、演奏することによって伴う報酬だった。
「一曲千コレット(日本円にして約千円。円をコレットと言う)とする」
チラシには確かにそう書かれていた。
ローマーシャまで行くのに船代を合わせると、あと一万コレットは欲しいところだ。
十曲。十曲頼まれて曲を弾けばローマーシャには確実に行ける。
....と、いうことで今アシアケ城に向かっているのである。
前も後ろも雪で囲われ、道の横に立つ枝だけの木々にはどっしりと雪が覆い被さっていた。
凍てついた風がヒューの体から体温を奪っていった。
南国育ちのヒューからすると、こんなに寒い思いをするのは苦痛でしかなかった。
しかし、ローマーシャはきっとこれの比にならないだろう。
まだここは所詮隣国のアシアケなのだ。
それに、グダグダしている暇はない。
なぜなら大変なことに面接の日程をもう二日ほど過ぎているのだ。
アシアケの海が荒れているためである。
その事について向こう側に報告できていないため、面接相手からは、ヒューは約束の守れない非常識な奴、と認識されているかもしれない。
あるいはもうすでに、ヒューの一次試験の結果を取り消し、二次試験を受けずとも不合格ということになっているかもしれない。
そう考えると身の縮む思いだった。
頼む。頼むから、俺の主人よ。どうか寛大な優しいお方であってくれ。
ヒューは祈るような気持ちで雪道を前へと進んだ。
向かってくる冷たい風に気圧されながら、一歩一歩を踏み出していくと、突然地面の雪が薄くなり、石造りの道が現れた。
ヒューがまさかと思って目を凝らすと、道の奥の方に赤い門があるのを見つけた。
___アシアケ城の門だ。
着いたのだ。
「やったぁ!」
ヒューは急いで身分証を取り出し、早足で門に向かった。そして門番に挨拶してそれを見せると、アシアケ城の大きな門の下をくぐった。
目の前には広々とした庭園が広がっており、綺麗に整えられた植木には粉雪がかぶっている。
それが門から伸びた道を避け、左右に規則正しく広がっているものだからあたり一面銀世界に見えた。
そして何よりも圧巻なのは、どっしりと構えたこの大きなアシアケ城だ。
何しろこの城の設計者はローマーシャのアストゥロネイラ城を設計した者と同じらしく、この二つの国の城は北国の中でも秀逸と言われている。
どちらの城もアダマントと呼ばれる非常に硬い石で作られており、アダマント本来の性質から城壁は白で統一されていた。
ヒューがその美しい風貌に見惚れていると、ふと耳に、男女の口論する声が聞こえた。
「納得がいきません。少し踊るだけですのよ?」
若い女の声だった。よく耳をすませるともう一人の声も聞こえる。
「納得も何も、ここに長居できないのですから仕方ないではありませんか。夜までも残るわけにはいかないのです」
「...あなたがそんな事を言えるほどの地位をお持ちだと?」
女は凄んで声を荒げた。
「抵抗するのならば、こんな身ぐるみ剥がしてしまいましょうか?」
「は___...?..!?おやめください!」
__ヒューはドキリと心臓が震え、居ても立っても居られずに走ってその声の居場所を探した。
なんで痴女なんだ!身分を使って相手を脅すなんて!
アシアケ城に直接繋がる大きな門の両サイドに、門の上の屋根を支える太い柱が二本立っている。
彼らの声はその左の柱の影から響いていた。
ヒューは急いでそこに駆け寄る。
「ちょっと!嫌がってますよ!無理やりはよしてください!!!」
突然の第三者の乱入に驚き二人がヒューの方を見る。
.....ヒューは思わず息を止めてしまった。
「何ですか貴方!?突然話に割って入るなんて、礼儀のなってない!」
女はギョッとした顔でヒューを睨みつけ鼻息荒く憤怒していたが、一切気にならなかった。
ヒューの心は、もう既にそこにはない。
女など、口論など、今この場の状況など、一瞬にして頭から消え失せた。
___視線は、奥の青年に釘付けだった。
視覚刺激が強すぎて、
時間が止まったようにさえ感じた。
____なんて、綺麗な人だろう。
先ほどよりも粒の大きくなった粉雪が、ゆっくりと、ゆっくりと、ヒューとその青年に降りつもった。
吐く息は非常につたなかったが、非常に熱かった。
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