第6話 教会

 先日のNGワード『前世』に気をつけながら、私はかなり順調に仕事をこなしている。


 ミハイル様も私にすっかり慣れてくれたようで、あれ以来、特に険悪な雰囲気になることもなく、うまくやれていた。


 王宮の正装の着付けをしたことによって評価も上がったらしく、執事さんたちやメイド長からもお褒めの言葉を頂いた。



 それ以来、ミハイル様のお茶やお食事など日々の生活周りも、私が担当することが多くなったのだ。


 ミハイル様の傍で過ごす時間が増えるに従って、彼はみんなが言うほど怖くない人だということを実感するようになってきた。


 複数の事業に力を入れている公爵様から、領地経営に関するほとんどの仕事を任されているというミハイル様は常に仕事に追われている。


 時間に厳しい人ではあるが、それも彼の性格の真面目さゆえのこと。

 その仕事ぶりを見ていれば、彼がどれだけ領民たちのために心を砕き頑張っているのかがよく理解できた。


 その姿は、なぜか領地の人々のために奔走するお父様と重なって見えたのだ。

 もちろん、子爵家のしがない領地と公爵家の領地では雲泥の差があるのだけど。


 そう考えて思わず苦笑いしてしまうが、民を思う気持ちはきっと一緒だ。

 私にはそう感じる。


 そう思うと、なぜだか心が温まるような気がした。


 冷たく見える表情の仮面の下には、優しいミハイル様が隠れているような気がしてならない。



「今日は何のお茶だ?」

「カモミールにミントをブレンドしました」


 ミハイル様はここのところ重要な会議で落ち着く時間が取れていない。

 外出続きで、気の抜けない貴族の会合や夜会でのストレスも気になるところだ。


 ということで今日のお茶はストレス緩和の効果があるハーブをチョイスした。

 まだ午前中だからリフレッシュも兼ねたブレンドに。


 最近は、こうしてミハイル様の予定や体調に合わせてハーブティーを作っている。


「ふむ」

 ミハイル様は一口飲んでから、微かに頷く。


 この反応は気に入ったという証しだ。

 傍で働いているうちに、それが『受け入れた』という彼のイエスのサインであることが分かってきた。


 ほんの少しでも彼の役に立てているような気がして嬉しくなる。

 そんな風にして、ミハイル様とのお仕事は順調に進んでいた。




◇◇◇




 その日は、朝からメイドたちが浮き足立っていた。

 というのも、今日はこの公爵家へ王国で有名な商団のトップたちが訪れることになっているのだ。


 その名も『ベレーラ商団』。

 商団のトップたちは全員、容姿端麗で秀才が集う超イケメン揃い。


 その彼らが、公爵様と仕事の取引について、会合を行うのだ。


 商団のメンバーは従者や護衛騎士に至るまで、全員を美青年で構成させているため、メイドたちが浮き足立つのも無理はない。


 年に数回、公爵家ではこの大きな会合が執り行われる。

 過去に商団の騎士と公爵家のメイドが恋に落ちるというシンデレラストーリーがあったのだとか。


 以来、恋愛結婚を夢見る公爵家のメイドたちには、絶好の出会いの機会と捉えられているのだそうだ。


 そのため、商団の人たちを迎える仕事は取り合いだ。

 仕事を取りそびれた者たちは、一刻も早く自分の持ち場を終わらせて、少しでも商団のメンバーたちの近くに行こうとしている。


 持ち場の洗濯場でひたすらシーツを干していると、みんなが物凄いスピードで仕事を終えていく。



「アリシアも早く行こうよ!」

 メイド仲間たちがワクワクした様子で声を掛けてくる。


「あ、うん。先行ってて」

 私はあまり興味が湧かず曖昧に返事をした。


 それよりも、ミハイル様に淹れるお茶のブレンドを考えたいな。

 執務に関するお道具の整理も頼まれている。


 あ、でも、商団との会合ならミハイル様もお手伝いをされるだろうからお茶は要らないか。

 そんなことをぼんやりと考えていると、みんなは嬉しそうな様子で去って行った。


 ふと横を見ると、マリーが立っている。


 マリーも興味ないのかな?


 そう思っていると、マリーは笑顔で問いかけてくる。


「アリシアは行かないの?」

「あ、うん。この後は公子様の仕事道具の整理をしないといけなくて」


 私がそう答えると、マリーはふと下を向いて小声で呟いた。


「あなたは子爵家出身だからってミハイル様のことを色々任されていいわね」

「え?」


 あまりにも小さくて、マリーの言葉がよく聞こえなかった。


「あ、ううん。なんでもない」


 マリーはいつもと変わらない笑顔を浮かべてそう言ってから『私も行ってくるね』と言い残し、みんなの後を追いかけて行った。


 なんだかいつものマリーと雰囲気が違ったけど何かあったのかな?



 …………考え過ぎ?

 特に思い当たることもなかった私は、すぐに気のせいだと思い直した。


 しかし、みんなイケメンが好きよね。

 ――いや、私が一番そうかもしれない。だってミハイル様ばかり見ているものね。


 それに私もみんなと同じように、イケメンを見て恋するときめきを味わいたいんだもの。


 でも、なぜか今日はそんな気分になれない。


 洗濯物を干し終わって、爽やかな風に当たりながらなんとなく歩いていると、敷地内のホールの一つの入口に辿り着いた。


 公爵家のこのホールは礼拝堂として使われている場所だ。

 初めて掃除を担当したときに美しいステンドグラスに魅せられ、以来とてもお気に入りの場所になっている。


 1度目の人生では教会で働いていたし、3度目の人生では聖女だったこともあり、馴染みのある場所なのだ。


 中に入ると、静寂に包まれてとても不思議な気持ちになる。

 私は長椅子に座って、背もたれに頭を乗せて寄り掛かり、天井にある美しいステンドガラスを眺めた。


 教会で下女として働いていた1度目の人生を思い出し、心の中になにやらロウソクの火が灯るような気持ちになった。



 この国だということをなんとなく覚えている。

 まだまだ近隣国との争いが絶えないとても古い時代だった。


 周辺の町は焼かれて食糧難だった時代。そこで働いていた私はある日やってきた少年と出会った。


 彼は多分、全てを失って生きることを諦めていたのだと思う。それでも、私は生きて欲しくてパンを分けた。


 ボロボロになった服を着ている姿を見た瞬間、生きることを諦めないでほしいと思ったから。


 私がパンを手渡そうとした時、その少年と目が合ったのだけど、彼はものすごく綺麗な瞳をしていていて、お互いに一目で恋に落ちたのが分かった。


 そんな悲惨な状況だったにも関わらずだ。


 でも、すぐ次の瞬間、敵国から攻め入れられてそこで人生が終わり記憶が途切れた。



 せめてあの男の子がパンを食べるところを見届けたかったなあ。彼はあの瞬間だけでも、生きることを諦めないでいてくれただろうか。


 そんなことを思いながらぼーっとしていると、キイッと扉の開く音がした。


 こんなところに来るなんて誰だろう。

 今日は商団の接待にかかりきりで、このホールを使う人はいないはず。


 不思議に思い振り返ると、なんとそこにいたのはミハイル様だった。


 えっ?なんで??

 今頃、商団の方達をお迎えしているはずなのに。


 ミハイル様も、まさか人がいるなんて思わなかったのだろう。

 驚きの表情を隠せない様子で私を見ていた。


「君はなんでこんなところにいるんだ?」

「うーんと、好きなんです。ここが」

「信仰心が深いのか?」

「いえ。でも私、教会が好きなので。ここにいると落ち着くんです」

「……そうか」

 それ以上は特に何も追求されず、ミハイル様は私と同じ列の長椅子の端に座った。


 何かあったのかな?


「メイドたちはみんな商団の奴らの傍にいるぞ」

「そうですね」

「君は興味が無いのか?」

「……特には」

「変わってるな」

「公子様こそ会合に参加されなくていいのですか?」

「…………商団は苦手なんだ」

 そう言って、苦い顔をしている。


 ミハイル様にも苦手なものがあるんだ。少し意外。

 それに、ミハイル様とこんな風に会話ができるのも変な感じ。


 ここが神聖な空気を纏っているから、そうさせるのか。


「君は顔の良い男たちを眺めるよりも、こんなところにいる方が好きなのか?」

「はい、ここで前……人生について考えるのが好きなんです」


 あ、あぶない。前世を思い出すのが好きって言いそうになっちゃった。


 私のそんな焦りに気づかず、ミハイル様はふっと笑った。


「本当に……君は、少し変わってるな」



 バレなくて良かった……!

 冷や汗をかきつつ、私はミハイル様が笑ったことに驚く。


 あんなに、ふんわりとした笑顔、初めて見た……!


 この前から、ミハイル様の意外な一面ばかりを見ている気がする。


 でも、その事実はなぜだか私の心をくすぐったくさせて、とても心地がよかった。

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