第3話
自己の加害性を抱えたまま、その内に巣くう加害性が表出しなければ問題はないのだろう。だが、しかし。俺は、少なくとも俺は、己の中の加害性を潰さねばならぬ。そうでなければ、奴らのように生きていくことが、お前らのようにあたりまえに生きていくことが、できぬ。のだが、おそらく間違っているのは俺なのだろう。お前なのだろう。
俺だけ、お前だけ、杞憂のようなものを抱えて生きている。しかし、俺には、加害性の元凶である性欲を抱えて生きていることが、耐えられぬ。のだが、矛盾もいいところで、オナニーしている。しちまっている。
その思考によって、俺の抱える矛盾によって、ペニスから快感が、快楽が、序所に薄れ始め、消えていく。萎えていく。擦り切れた畳と、暗い六畳の空間と、ごみ袋の中で腐りかけた生ごみのにおい。そんな現実やらが迫って来る。のだが、現実が迫って来るというのに、俺の知覚は、現実を突きつけられているにもかかわらず、現実感という実感を伴わないでいる。頭の中にもやがかかり、知覚と認識の間に薄い膜が張っている、ような感覚。俺は、俺には、どこまで行っても現実というものが認識できない。だからこそ愛と性欲、或は加害なんていう、あたりまえのことがわからぬのだろう。いや、それこそが真理やもしれぬ。いや、断言できる。
だからといって、何をするでも、変えようとするでもなく、俺の頭の中には発散することを中断され妨害された性欲、性欲だけが、こびりついている。どこまでいっても、性欲という欲望が、焼き付いている。焼けて焦げる程に、な。
だが。自慰などいくらでもするがよかろう。誰に迷惑かけるものでないのならば、な。しかし、俺は自慰をする時、画像を見、動画を見、その果てには彼女を妄想し、自慰するのだ。己の肉体から出た欲望なぞ、欲求なぞ、己で満足させておけ。他者を消費するべきではない。
そう、思うのだが、考えるのだが、思考するのだが、俺は他者を消費しなければ自慰すらままならぬ。社会とやらに、世間とやらに、迷惑かけている訳ではないような気もするが、そんな思考は浅はかな思考で、知られなければいいやら、わからなければいいだのという論理と何が違うというのだ。俺は、俺、は、他者を消費しなければ自慰すら満足にできない。
そう、考える、が、だからといって解決策がある訳でもない。画期的な答えなるものがある訳でもない。俺は俺の原罪としての性欲を憎むしか、ないのだ。泣き言のように。
性的思考が完全に霧散し、目の前の現実が迫って来る。目の前の現象が迫って来る。そうは言っても生活とやらは進んでいくのだ、と。
だが、一度なくなった筈の性的欲求がなぜか高まって来る。それは扇風機の風やら腿にペニスが擦れたからやもしれぬ。同時に、現実現象は迫って来ても、現実感がない。俺はいったいどこに居て何をしようとしているのか。俺の行動と行為は夢でないと誰が言える。強烈に主張して消えたり現れたりして俺を振り回す性欲すら、夢に思える。のだが、そんなことはどうでもいい。俺は愛さえ、愛、さえ、解明できればいいのだ。それが俺の、俺という存在の根源であったはずなのだ。が、俺には愛がわからぬ。のだが、わからぬのだが。愛だ。間違いなく、それだ。それだけは、愛という認識だけは、夢でないような気がする。気がしている。気がしてくる。
愛という存在の、概念の、観念の偉大さは、わかる、のだが、同時に夢の中にいるかのような性欲、性的欲望欲求は、この上なく高まってくる。俺が最後にセックスをしたのはいつだったか。もしかするとそんな経験は一度もないかのように思えてくる。のだが、そんなことはもうどうでもよくなってきて、俺の脳は性欲に支配される。支配されちまう。それを手っ取り早く解消するために店に行こうと、考えて、それこそ他者を消費する行為だと、否定、しようとするのだが、俺の欲望はそんなことでは止まらなかった。
すぐに、己の不快な汗にまみれた体を起き上がらせ、一度脱いだ、これまた汗のにおいのする不快な服を着直し、タンスにしまってある現金をいくらか持ち出し、髭も剃らずに玄関を出る。俺は今どんな顔をしているか、鏡を見ていねえから断言はできねえが、おそらく性欲のばけものみてえな顔をしているだろうという実感があるが、そんなことすら気に留めていられなくなる。そんなことよりも、俺は性欲をなんとかせねばなんとかなりそうだった。しかもそれを正当化するための理由として、少し前にどこからか聞こえてきた、「彼女はどこかの風俗店で働いている」らしい、という噂によって頭がおかしなりそうだから。だとか、彼女が店で働く理由を探さなければならない。ひいてはそれが性産業性搾取の撲滅に繋がる。だとか、なぜ店で働くことが悪だと言い切れるのか。悪とは男共の性欲ではないのか。だとか、もし彼女が幸福だと思えなかったから自傷行為のように店で働いているとしたら、俺は店で働く全ての人類の幸福を解明しなければ。だとか。何の使命感に突き動かされたのかわからねえが、とにかく、俺が、「幸福」とやらを発見し、「愛」とやらの答えを発見し、伝えなければ、なんていう、何かの宗教の教祖みてえに頭のおかしい理論を展開し、店に行くことを正当化しようとしている。
その、自覚は、ある。言ってみれば店で説教でも始めるおやじと同じなのだ。それが唾棄すべき腐臭に満ちた理論であることは、わかっている、のだが、いや、わかっていねえからかもしれねえが、な。とにかく、店で何か答えを得、その答えが店で働くに至った彼女の幸福に寄与できるかもしれず、それができれば俺は彼女を救え、彼女との道が、今後交わらなかったとしても、俺は彼女への愛の答えが見つけられると思い、店に行くことを正当化しようとしている。その、自覚は、あるし、その論説の全てが、そもそもの前提すら間違っていることはわかっている。わかっているつもりだ。認めたくはねえのやもしれぬが。だが、俺の妄想した論説が、もしかしたら俺に都合のいい現実として、少しでも、ほんの少しでも実現しねえかと期待し、俺は店に向かう。向かって、今度はさっきとは別の、最寄りの駅へと、向かって歩いて行く。
その間、俺は幸福なのか。彼女は幸福なのか。奴らは幸福なのか。いや、人類は幸福なのか。という、考えが、馬鹿みてえな考えが浮かぶ。いや、俺は幸福なのだと、言い聞かせるが、ならばなぜ俺は幸福を望む。お前は何故。奴らも、お前らも、いや、人類はなぜ幸福を望む。満たされている人類なぞいるのか。いや、いるだろうな。だが、それでも、だとしても、「幸福」という概念がぼんやりしている故か、故なのか、俺達は、幸福になりたい。少なくとも俺は世界のことが、いや、世界なんてどうでもいいが、愛すらわからず、幸福を求めている。
彼女。彼女さえ、幸福であればそれこそが俺の幸福なのだ。が、もう俺は全人類幸福とやらになってほしかった。愛とは、愛する行為だけが愛ではない筈だ。故に全ての善意は愛であり、全人類は全人類を愛するべきだ。いや、そうなって、ほしい。それが、俺の願い。いや、祈りだ。それによって、いやもう、それによってでなくともいい。とにかく幸せになりたい。なりたいのだ。しあわせ、に。なってほしいのだ。しあわせという境地に、楽園に、全人類が、至ってくれ。と、今度はそんな祈りを引きずって、歩いて行く。幸福な人類なぞ居るかという理論の上に立っている俺は、間違っているのか正しいのかわからぬが、少なくとも俺には人類が幸福であるとは思えぬ。のだ。が、俺に何ができるのか。わからぬが、わからぬ故、俺は俺だけが愛と幸福について、世界で誰よりも苦悩しているという自意識を抱き、抱いている故、その答えには俺が一番近く、愛と幸福の救世主にいずれなれるのではないかと、勘違いしている。否定したはずの救世主にでもなって何かを、誰かを、救ってやれると勘違いしている。
いや、それが馬鹿な思い違いであることはわかっている。救いを求めるやつらが、お前の救いを求めていると勘違いしちまうような思考は愚か極まる。のだが、やはり現実とやらが俺に都合のいい結果を表しはしねえかと、どこかで思っている。だからこそ、愛やら幸福やらについて考えるのだ。
奴らは、お前らは、人類は、そんな地点はとうに過ぎ、答えを得ているのだろう。だからこそこんなにもあたりまえのことをあたりまえにこなしている。のだろう。だが、俺が思い違いをしていようと関係はない。ただ、俺は、全人類の幸福を願っていることだけは、祈っていることだけは、確かだ。
思考が回る。というより、どこかへ行っちまう。が、結局性欲だけはどこにも行かず、俺の、この他でもない、俺の中に、確かに存在し続けている。そのために、俺は、今、店へと向かっている。そこに彼女がいるとは思っていない。期待もしていない。ただ、俺は俺の性欲を満たすためだけに、店へ行こうとしている。あんなにも否定していた店へ。
そこに幸福とやらの答えを見出すことなぞできないとわかっているつもりだが、もし、万が一ということを期待して、いや、そんな期待なぞ本当は建前で、俺は俺の性欲で他者を消費しに行こうとしている。己を救えるのは己でしかなく、己を救う者は他者ではないことくらいわかっている。故に俺がそこで答えを得ることはなく、しかも俺の行為で救えるのはせいぜい己だけだ。お前だけだ。いや、だが、しかし、な。だから俺が俺を満足させるために他者を消費することの免罪符になる訳ではない。故に俺は俺の罪を償わなければならぬ。のだが、ならば店に行く行為は罪を重ねる行為に該当する筈。だが、俺は俺の原罪を押し込めることができず、駅へ向かう。
気温は少し下がり、蛙の声が聞こえる。街灯の下に群がる虫を踏み潰し、俺は駅へと、向かう。少しホームで待って、電車に乗り、一時間かけて店へと、向かう。その車内ではまた奴らが平然とした顔でもって、眠ったり、スマホ見たり、話したり、している。そのうちの一人と、目が、合う。
「お前らは」と俺は叫びたかった、のだが。その視線からふと、俺はお前らがお前らの矛盾に責任とやらを持って生きていることに、気付いた。俺は性欲と、愛と、加害恐怖の間で問答し、いい気になっていた。いや、そもそもそれは全て俺がいい気になるよう俺が仕組んだ言説だ。
確かに奴らは、お前らは、矛盾している。愛と性欲の矛盾なぞ、加害なぞ、考えていないやもしれぬ。が、お前らというやつは、お前らの矛盾した選択への責任に、おとしまえをつけて生きている。のやも、しれぬ。それが、それこそが、お前らの「生活」というやつなのやもしれぬ。
のだが。だがな。だがしかし。俺にそれは到底できぬし、したくないことだ。いや、だからこそ、俺の生活の実感のなさはそこから来ているのやもしれなかった、のだが、だがしかし。それでも俺は、性欲と、愛と、加害について、考えねばならない。ような気がするのだ。
車内にいるまばらな人に混じって椅子に座り、その椅子の感触だけが俺の現実感であり、俺はもうお前らの現実感へと接続しなくともよく、俺はお前らを認められない。のだが、だがな、お前らの選択が正しいことは俺にもわかる。しかしそれでも。
俺はそうやって問答を続けながら、走り、軋む車体に身を任せている。照明の黄色がかった光。天井からぶら下げられたり、車窓に張られた広告。床のへこみと汚れ。つり革の黄ばみ。
そこには本来現実感があるのだろう。それはお前らが「選択」をした上で生まれるものだ。故に選択をしていない俺には接続することができないものなのだろう。が、しかし、な。
と、またしても「思考」なることをしていい気になっている、俺。俺の、俺への、憎しみが己の中で広がり、充満し、吐き気がしてくる。のだが、俺はまだ俺の性欲を捨てられないでいる。そうやっているうちに、電車は目的の駅に到着する。
改札を抜け、駅を出、店への道を歩き出す。俺は、俺は、セックスをしに店へ向かっている。のだが、本当に俺はそんなことがしたかったのか。わからぬ。わからなくなって、くる。いや、本当はそんな行為がしたい訳ではない。セックスなんぞして、何の足しになる。物理的な意味だけではなく、精神の充足という意味でも、セックスなんぞしても仕方がないのだ。その相手が仮に彼女であったとしても。俺は、性欲ではなく愛を求める故、セックスを否定したくなる。愛と性欲は違うという矛盾を信じている故に、な。だが、俺は己の性欲が、否定できぬ。それは厳然と存在している。のだ。いや、俺は俺の性欲を否定したいし、否定するべきだし、しなければならぬ。いや、否定している。のだが、この否定したはずの衝動は、否定しても否定しても、存在し続けて、いるのだ。奴らは笑うかもしれぬ。お前らは笑うやもしれぬ。「答えは出ぬ」と。それはその通りやもしれぬ。人類の長い歴史が答えを出せなかった問いに、俺が答えを出せる筈はない。
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