私と彼と君

天音 花香

第1話 青天霹靂

 いつも使っているビジネスホテルの一室。

 情事を終えた私たちは、時計を見ながら服を着ていた。

 先にスーツを着終えた彼が、私の背中を指でなぞっていたずらしてくる。

「もう、敬一さんたら」

 私が振り返って言うと、敬一さんは私の唇をふさいだ。

「だめ。またシャワー浴びないといけなくなるでしょ?」

 敬一さんは名残惜しそうに私から離れた。そして、

「もう少しで離婚できそうなんだ。そしたら結婚してくれるね、美由希?」

 と言った。私はいつものように、

「もちろんよ、敬一さん。待ってるから」

 と笑顔で答える。

 会うたびに交わされる約束ことば。 

 でも、私は敬一さんが好きだけれど、この言葉は信用していない。どうせ口だけだと思っている。

 私だって嘘をついている。私には結婚願望がない。仕事も今のところうまくいっているし、何より一人の時間が私は好きなのだ。恋愛はスパイスでいいと思っている。こうやってたまに会うくらいがちょうどいい。会えない日が会いたい心を募らせるのだ。

 奥さんには申し訳ないと思っている。私だって不倫が悪いことだとはわかっている。なるべくなら他人ひとを悲しませるような恋はしたくなかった。けれど恋は突然で訳もわからず落ちるもの。私は敬一さんに惹かれている。不倫をしても付き合いたいと思うほど。敬一さんがどれだけ私に本気かは分からない。けれども、敬一さんと奥さんは私と付き合う前からいい関係とは言えななかったようだ。

 だからと言って、不倫をしていいわけではないよね。

 私はホテルのドアを閉める時、そっとため息をついた。

 敬一さんと付き合いだしてから三年が過ぎている。敬一さんが離婚を口にしてからは一年。ほらね。きっと離婚する気なんてないのだ。

 でも、私はそれでいい。

 ごめんなさい。これ以上は望まないから。だから、許して、神様。このままの関係が誰にも悟られることなく続きますように。



 ところが。


 この三ヶ月は怒濤のように過ぎていった。自分に一体何が起こったのか未だに心が追いついていない。

 鏡に映った私はウエディングドレスを着て、途方に暮れた顔をしていた。

 敬一さんが離婚してまだ三ヶ月ということもあり、今日は身内だけの結婚式。母は複雑な顔をして私を見ている。

「あんたも32才にもなるから結婚してくれるのは嬉しいけれど、バツイチ子持ちだなんて、ねえ。まさか不倫なんてしてなかったでしょうね?」

 私は背中に嫌な汗が伝うのを感じた。

「ま、まさか! 敬一さんは営業先の課長さんで、もともと知り合いではあったの。奥さんと別れてから気落ちしてらして、相談に乗るようになってから急にプロポーズされて……」

 ということにしてある。

 が、小学五年生の息子、あきら君が敬一さんについてくるなんて誰が予測しただろう。

 私は結婚していきなり一児の母親になってしまったのだ。


 三ヶ月前、敬一さんが離婚してから初めての食事の時に、暁君はついてきた。私は自分の頭が理解できる範囲を超えて煙を出しそうになるのを感じた。敬一さんから息子がいることは聞いていた。聞いていたけれど。

「息子の暁です。俺、母さん苦手だから、父さんを選んだんだ。あんたは父さんのふりん相手だろ? たぶん」

 暁君の第一声に私も敬一さんも石のように固まった。そんな私たちをどこか楽しそうに見上げながら、暁君は、

「別に俺、気にしないから。母さんと父さんの関係冷えきってたもんね。そうだ。あんた飯作れんの?」

 と続けた。

 あんた、あんたってさっきからこの子は……。

 私はひくつく頬を無理やり引き上げる。ここでこの子に嫌われるわけにはいかない。

「上手かはわからないけれど作るのは好きよ」

 私の答えに、

「ふうん。……じゃあ、これからよろしくお願いします」

 暁君は最後だけは子供らしく頭を下げたのだった。

 

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