もうダメだった。
朝比奈未涼
第1話 だからどうか別れてほしい
こんなにも重くて暗い女が結衣の隣に居られる訳がない。
だから別れようと思った。
明かりが灯されていない薄暗い部屋の光源は私の手の中に収まるこのスマホだけ。
私はその光源であるスマホをただじっとベッドの上で眺めていた。
スマホの画面を慣れた手つきで触り、先ほどまで見ていたSNSを閉じて連絡アプリを開く。
そして私は彼氏の名前のアイコンに触れ、電話を鳴らした。
私しかいない静かな部屋に呼び出し音が鳴り続ける。
いつもより長く感じるその音にずっと待たなければならないのかと諦めかけたその時、ピッ、と通話が繋がる音がした。
『
スマホ越しに少し低めの私の彼氏、
大好きで大好きで仕方のない結衣が私の名前を呼んでくれる。それだけで体温が一気に上がるのに、私は結衣に別れを告げなければならない。
そう思ってしまうと言葉がなかなか出なかった。
『どうしたの?』
何も言えないでいると結衣が少しだけ困ったような声を出した。
私を気遣っているようにも聞こえるがきっと違う。
結衣の声の向こう側にはざわざわと数人の気配を感じる。きっと結衣はその人たちのことを気にしているのだ。
私と電話をしている場合ではないのだろうか。
私は彼女なのに。
…ああ、また暗くて重くて最低になっている。
こんな私はもう嫌だ。
『特に用はない?だったら…』
「別れよう」
『え?』
早々に電話を切ろうとしていた結衣の言葉を私は静かな声で遮る。
「別れて欲しい」
『待って。何言っているの。急にそんな』
「もう耐えられないの。急じゃない。私はもう限界だから…」
『…俺のこと嫌いになった?』
状況を飲み込めていない結衣にどんどん言葉を紡げば結衣はどこか暗い声で私に質問してきた。
嫌いなった?
そんなわけない。
大好きだから別れたいのだ。
「…嫌いじゃない。大好きだよ。だから私のいないところで変わっていく結衣を見ているだけの今の状況が耐えられないの。重たくて結衣の負担になってしまう前に別れたい、それだけだよ」
『…』
ちゃんと今の気持ちを結衣に説明した。
泣き出しそうだったが、それをグッと堪えて何とか自分の今の気持ちを言い切った。
結衣は何故か沈黙していた。
何かを深く考えているのかもしれない。
『結衣ぃ、早く戻って来てよぉ』
少しだけ遠くの方から結衣が気にしていた人たちであろう声が聞こえてくる。
女の人の甘えるような声だ。
ズキッと胸が痛んだ。
こんな声聞きたくない。
「お願い。結衣、別れて」
最後まで気丈でいようともう一度しっかりと泣かずに結衣に私はそう告げた。
『わかった。それじゃあ』
結衣のどこか冷たい声と共にプツリと通話が切れる。
最後の私の別れの挨拶でさえも結衣は聞こうともしなかった。
「ゔっ、ゔぅ…」
涙が溢れた。
先程まで我慢していた分どんどんとそれは溢れて鼻水まで出る始末だ。
これでよかったんだ。
こうして高校2年の冬から続いた約1年半の私と結依の関係は呆気なく終わった。
高校を卒業し今までスマホ越しに毎日結依を見てきた。
スマホの中のSNSに現れる結依は高校を卒業したほんの数ヶ月前とはまるで別人のように明るい笑顔でたくさんの人に囲まれていた。
そのたくさんの人の中にはもちろん女の人もおり、しかも東京の女の人だけあってみんな美人だった。
結衣は高身長でスタイル抜群なだけではなく、顔も端正で、まるで人形のような完璧な見た目だ。
東京で美人に囲まれる人気者になってしまっても仕方がない。
だがしかし高校時代はそんな完璧で美しい結衣を知っていたのは私だけで学校の誰も結衣の本当の姿を知らなかった。
結衣は人と関わることが苦手で人と距離を取りたがるところがある。
だから顔を見られないように髪は長かったし、マスクをしていることが多かった。
ぱっと見スタイルがいいことはわかっても、素顔まではわからないのが高校時代の結依だ。
私だけが知っていた。
私が結衣の唯一の特別だったから。私しか知らない大事な秘密だった。
それなのに今ではSNSを通して世界中が結衣の完璧な見た目を知っている。
それがどれほど私を複雑な思いにさせてきたか。
それでも私は結衣の完璧な見た目に恋をした訳ではない。
私も最初は他の人と同じように結衣から距離を取られ、結衣の完璧で美しい見た目なんて知らなかったのだ。
私が結依のことを意識し始めたきっかけは結衣が私の隣の席になったことだった。
高校1年生の夏、人付き合いが苦手な結衣の他の人とは違う距離感に私はどこか心地よさを感じていた。
当時はまさか距離を取りたがっているとは夢にも思わなかったが、近すぎない結衣の距離感を心地よく感じ、これをきっかけに私は結衣のことを意識し始めた。
たくさん話しかけて、少しでもこの不思議で警戒心の強い結衣のことを知ろうと思った。
もうその時点で好きになっていたのだと思う。
少しずつ態度が軟化していく結衣を見る度に私はいつも胸を高鳴らせた。
そして高校2年生の冬、私はついに結衣に告白をした。
結衣は快く私の想いに応えてくれた。
付き合うようになってから結衣は私に素顔を見せるようになった。
初めて結衣の素顔をちゃんと見た時、その美しさに度肝を抜かれたことを今も鮮明に覚えている。
それから高校を卒業するまで私は本当に幸せだった。
それなのに。
高校を卒業して数ヶ月経った今。
私は最悪な感情にずっと支配されて苦しんでいる。
原因はわかっている。
結衣のSNSだ。
結衣のSNSには東京へ行って変わってしまった結衣とその周りの人たちの日常が溢れていた。
数ヶ月前まではそこには私しかいなかったはずなのに、今では知らないたくさんの人がいて、結依の側にはいつも東京の美女が微笑んでいる。
高校卒業後の私たちの進路は結衣が東京の大学へ進学し、私が地元の会社に就職だった。
東京と私の地元は片道3時間もあるほど離れている。遠距離恋愛だ。
毎日連絡を取り合った。
放置なんてされていない。
1ヶ月に一回はこっちに帰ってきてくれる。
それでも私は苦しかった。
人と関わることが苦手なはずの結衣が何故か人の中心で笑っている。
あんなにも素顔を隠してきたのに素顔を見せて世界中にSNSを通して発信している。
今の結依はインフルエンサーのような人気まである。
もう私だけの結衣ではなくなったのだ。
結衣の周りの全てが、結衣が私の手の届かないところに行ってしまうことが、結衣が変わってしまうことが、全てが耐え難い。
大好きなのに。
いや、大好きだからこそ、見ていて辛く苦しい。
だから別れた。
このまま結衣を好きで居続ければ私がどんどん最低でダメな女になってしまうから。
「…グスッ」
しばらくは結依を想って泣くだろう。
だけど少しずつ、少しずつ忘れよう。
私は手に持っていたスマホに充電器を挿すと止まらない涙を流しながら目を閉じた。
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