何となく生きて

友智コウ

生きて思うこと

朝、目が覚める。いつものように朝食を食べ、通学か出勤の準備をして、何気なく身支度を整える。そんな日常の繰り返しが続く中で、ふとした瞬間に思うことがある。


「この生活を、死ぬまで続けていくんだろうか? 果たして、自分の人生は、良かったと言えるのだろうか?」


簡単に答えが出せるものではない。実際、死ぬ直前に「良い人生だった」と言う人が多いことを、僕は何度も見てきた。けれども、僕はその言葉に疑問を抱く。


多くの人がこの世から去っていくのを見てきた。では、僕はそれを見て、何かが変わったのだろうか?


答えは「いいえ」。むしろ、僕は今、この瞬間、何不自由なく暮らしている。悲しむこともなく、ただ時が過ぎるのを待ちながら、毎日を送っている。それが僕の日常だ。


しかし、ある時、気づくことがあった。


今、僕がいる世界は、虚数に満ちた空間のように感じられる。何も咎める人もいない、ただただ時を過ごす場所だと感じる。自分は、無作為に選ばれた存在であり、このシミュレーションのような世界の中で過ごしているのだと。


だから、今日はまた、朝が来て、食事をし、身支度をし、何気ない一日が始まる。僕は、ただそれを繰り返すだけだ。虚数の中で過ぎていく時を、ただ待ちながら。


だが、虚数に満ちた世界で、ただ時を過ごすだけの存在として生きている自分が、ふと疑問を抱くことがある。もし、全てがシミュレーションなら、果たして僕は本当に「生きている」と言えるのだろうか? それとも、ただの観察者でしかないのだろうか?

「生きる」ということが、どんな意味を持つのか、考えるたびに答えは出てこない。それは、朝起きて、食事をし、仕事や学校に行くことの繰り返しではないことはわかっている。しかし、その答えを求めて追いかけること自体が、逆に虚しさを生み出しているようにも感じる。

でも、何気ない日常の中で、小さな喜びを見つける瞬間もある。例えば、朝食の匂いに包まれながら、ほんの一瞬だけでも心が落ち着く瞬間があること。駅のホームで、乗客とすれ違う瞬間に、見知らぬ人の目が一瞬だけ交わること。そういった、無意識に過ぎ去る瞬間が、ふと僕を生かしているのではないかと感じる。

虚無感に支配されたこの世界で、何が意味があるのか。わからないままに、ただ日々を重ねていく。それでも、どこかで、意味が見つかるのではないかと期待しながら。

だから、今日もまた、朝が来て、同じように目を覚まし、食事をして、通学や通勤をする。そして、また一つ、何気ない日常を繰り返していく。それが、僕の「生きている証」なのだと、勝手に思うことにした。

それがどんな意味を持つのかは、わからないままでいい。ただ、無作為に選ばれた存在として、今この瞬間を生きることに意味があるのかもしれない。それが僕の答えだ。

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