2話 離別

 魔杖まじょうかかげてルーニャが端的に念じる。目の前の泉に火球が着水した。冷泉が温泉になる。


「ふんふんふーん、ふんふんふーん」


 陽気に・元気に鼻歌交じりに服を脱ぎだす。ちなみに師は脱衣を良しとしない。破衣はいが尊し。

 師弟の住処すみかはミラジャヒ近隣の森林にある。空がぽっかり開けた場所、泉のほとりに家屋が建つ。魔法で建てた簡素な木造は、弟子の労力(木の板の収集)でできている。ちくじゅう、二年になる。


「ざぶーん!」


 裸になって、子どもになって飛び込んだ。ほどいたトリプルテールの毛量は腰にまで達す。


「は〰〰……」


 極楽の湯加減にひと息つく。沐浴かつ森林浴。見上げた空は自身の髪に似、だいだいに暮れなずむ。周囲の木々に目を転じれば、栗鼠りすが・小鳥が樹上に散見できる。空気も泉水も清らか・柔らか。

 彼女にとって至福とは、黄昏時のこのひと時。


「ん〰〰……」


 両手を挙げて伸びをした。胸が重くて大きくて、肩がりがち。


(いつかわたしが師匠になったりしたら――弟子に肩揉みしてもらおう……)


 両腕を交差して自分で揉む。夢見心地だったのに、家屋の陰からひょいと師がやってきた。


「協力してくれ、ルーニャ」

「ぎゃ〰〰〰〰!」


 胸を隠して頬までかった。が、泉は清澄せいちょうで透けている。が、彼は写生で慣れている(裸に)。


「いばばきゅぶべいでゅぶ・にゅぶよぶでゅぶべぶっ!」

「わからん。水中でしゃべるな」

「今は休憩中・入浴中ですっ!」


 顎まで顔を出して繰り返して、片手は下半身に身をよじる。ある種、芸術的な姿勢になった。


「一瞬でいい、両手で肩を抱いて胸を隠してくれ。そのまま恥じらったままな」


 ベケッラは性的に見ていない、芸術的にしか観ていない。女体はこの上なく神秘・神聖だと。


「朝の……ぬ、盗人の……あの感じですか……?」


 思い出して努めて再現する。羞恥に・〝恋慕〟に紅潮した。


「ふむ……うむ。そうか、こうか」


 目に焼きつけてそそくさと家に戻った。彼は今、驚異的な記憶をもとに本意気で描いている。それでも実物が観たくなったときは、弟子に姿勢だけ取ってもらう。時も場所も場合も問わず。

 ルーニャは再び頬まで浸かってごぼごぼ言った。


「ひぼぼき――ごびごぼぼぼしばばいべ」


 人の気――恋心も知らないで。

 その後、師も日が落ちる前に入浴した。さっぱりしたら、二人そろって早めの夕食を摂る。


「今日はおいも人参にんじんが安かったんですよっ」


 市で買った野菜を両手に持って嬉しげ、誇らしげ。家事・食事・雑事は彼女に懸かっている。つまり生活のほぼ全事。養ってもらっているのはベケッラのほうかもしれない。不労の隠居。彼は現在、収入がない。にもかかわらず資産が・自由がある。かつては宮仕えでその蓄えで。


「牛肉・玉葱たまねぎも買ったな? ではビーフシチューを」

合点がってんですっ!」


 溌剌はつらつと・揚々ようようと承って料理しだす。

 真っ茶色の家屋内は仕切りもなく、居間ひと間。壁の一角が台所になっているに過ぎない。絵具・絵筆・画布の基本道具ほか、数点の破衣裸婦画。あとは魔術書・学術書問わず、本の山。弟子の私物は衣服と魔杖くらいのもの。住み込み二年、師の書籍にって昼夜問わず本の虫。

 洗った具材を包丁で細かく切り、水を入れた鍋に投入し、床の炉に置いた。


(弱火)


 魔杖片手に念じて点火する。魔法は暮らしにも役立つが、魔道師でないとこうはいかない。

 沸々ふつふつとぐつぐつと煮込む間、ルーニャは視線を・質問を投げかけた。


「改めてなんですけど、破衣裸はいらってなにがいいんですかっ?」


 さっきからベケッラは寝転がり、描きかけの今朝の盗人の絵をじっと・ずっと眺めている。


「廃墟だ。哀れに崩れた様にこそ美の深奥しんおうは極まる。新築の導城に凄みが、有難みがあるか?」

「古いほうが立派な感じしますけど……廃墟の良さはわかりませんっ。朽ちてるんですよっ」


 乙女より老婆のほうが好きなんですかっ? そうではない、女人でたとえるものではない。


「加えてな、確立されていないからな。裸婦は腐るほどある。半裸もある。破衣裸はまだない」

「そんな言葉がまずないんですよ……」

「今に広まる。私は破衣裸婦画の始祖として・巨匠として、後世に名も作も残してくれよう」

「魔道の偉人になってくださいよ……」


 それからも話しているうちにビーフシチューができた。皿に盛り、食卓で師弟は向かい合う。有り難う、いえいえ。木のスプーンですくいつつ、パンとともに食す。貧乏でも贅沢でもない。とろとろの茶色いシチューは味も色も濃く、肉・芋、人参・玉葱、具材がよく溶け込んでいる。


「おいしいですかっ?」

「うむ」

「隠し味は愛情ですっ」

「ふむ」


 あっけない・そっけない。頭のなかは盗人の絵。ルーニャのほうは気分は新妻だというのに。話を合わせれば目も合わせてくれるかもしれない。彼女は立ち入って・折り入って聞いてみた。


「あのっ……描きたい・きたい被写体とか……あ、ありますかっ? よかったらわたし――」

「そうだな、かの光帝こうていを写生してみたいな。絶世の美女と聞く。もっとも〝暴戻帝ぼうれいてい〟とも聞く」


 暴戻――乱暴で道理に反する意。要するに暴君・暗君だ。セースティア七四世ヴェヌティア。広大な・強大なこの大帝国に君臨せし、セースティア朝の七四代目の女君めぎみだが、大層悪名高い。今朝けさのような犯罪が増加傾向にある斜陽の時代、大樹の幹が腐っていることに遠因はあろう。


「そ、そうですか……光帝……」


 ひと肌脱ごうとしたものの、理想が高すぎた・とうとすぎた。自分なんか好みでも望みでもない。


「って、光帝に向かって『バーク・ス・レイデス!』ですか? 不敬どころか死刑ですよっ」

「だろうな。街の女人さえ、写生させてくれないからな」

「言いかた・誘いかたが悪いんですよ……。破衣はちゃんと説明してもお断りでしょうけどっ」


 単に服を脱ぐ以上の〝ぐ〟所業、いったい誰が協力してくれるのか。この弟子しかいない。ベケッラは被写体に飢えている。具体的にいえば、いていい・描いていい女体にかつえている。それで都市に出かけて声をかけているが、そんな女性は現れない。あの娼婦はシャセイ違い。


「やはり破衣など、女の賊くらいしか許されないか……」


 食べ終えた。ルーニャは皿洗いのち食卓で勉強する。師は猫背で画布に・作品に向き合う。


「おっ、そろそろ完成ですねっ。魅惑的ですねっ」

「芸術的と言え。破衣裸とは淫靡いんびでなく隠美いんび。破れた布で部分的に隠れた肌に哀れがある」

「哀れ美ってなんですか……哀れみですか。師匠の美的感覚、世間も後世もわかりませんって」


 遠回しに理解されない・評価されない、と。返事はなく、幾重いくえに・丹念に絵筆で塗っている。質感と遠近感をもって、今朝の盗人がありありと浮かぶ。布切れを張りつけた肌色豊かな油彩。両肩をかき抱いて胸を隠し、目をきつく閉じては頬を染め、ぺたんと座る肢体がなまめかしい。


「うむ……完成だ。題は『らしめられる盗人』といったところか」

はずかしめられる、では? あのー、ちょっとわからないところが……」


 待ってましたとばかりに彼女は勉強を見てもらった。その後、就寝。師弟の一日が終わる。ベッドはなく、床に横たわってマントをかぶるのみ。春の今はいいが、冬は暖炉が欠かせない。

 本と画材に囲まれた暗闇のなか、ベケッラは真剣に考えていた。


「ルーニャよ。ルーニャよ」

「…………」

「私はひとり旅に出る。構わないか?」

「…………」

「寝たか。むしろいい、言わせてもらおう。おまえは真っ当な魔道を行け。私は画道を行く。はるばる帝都まで行く。セースティア光帝を過大な・遠大な夢に、女体を写生する旅に出る。賊でもいい、とかくきたい・描きたいのだ。こんな師に二年もついてくれて……恩に着る」


 翌朝、彼は旅立った。弟子を残して・〝事情〟を秘して。


 これは異端の画家の伝説的生涯――破衣幻想譚ハイファンタジー

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る