地図【二つ目】

 それから一ヶ月ほど経った。あの地図のことはすっかり忘れていた。チームで進めていたプロジェクトで大きな問題が起きて仕事づくめだったのだ。数日徹夜でぼーっとした顔の同僚のデスクを見ると、エナジードリンクの空き缶が山になっていた。

「寝たら死ぬからな、動き続けて意識は繋いでおかないと」

 こちらの視線に気づいた同僚は、そう呟いて暗い笑いをこぼしていた。疲れ果てた中で冗談のように言っていたが、冗談にはならない程度に限界を超えていることは明らかだった。こちらも同じような顔色だっただろう。

 そろそろ誰かが無断欠勤するか逃亡するだろうな、隣の部署の新人は倒れたって聞いたな、と思っていた頃、ようやく各所との調整が終わり、残業地獄から解放された。労いとしてうちの部署に上司から配られたのが缶ジュースで、しかも全員分無かったことに三周くらい回って笑えてきたが。

 会社に泊まり込んだりしながらの三十連勤明け、数日ぶりに自宅に帰る。さすがに限界を超えていたので、明日から一週間は休みにした。連勤中の休日を返上していた分をよこせと交渉したところ、あっさりと了解を得られた。まあ、血走った目で殺気立った十数人で上司たちを取り囲んでの直談判だったので、自分なら身の危険を感じるだろうなと思う。

 最寄駅に到着し、電車を降りたところでポケットの中に振動を感じた。手を突っ込んでスマホを取り出す。画面を見ると、地元の友人の名前が表示されていた。珍しいこともあるものだと思いながら、通話ボタン押す。

 スピーカーから久しぶりに聞く友人の声が流れてきた。普段は地元に住んでいるのだが、仕事の関係でこちらに来ているらしい。明日の夕方には帰ることになっているので、その前に飲みに行かないかと誘われた。少し考える。正直、明日の朝は起きれる気がしない。ちょうど数日休みなので、これからなら行けると返事した。待ち合わせ場所を決めて電話を切った。時間を確認する。一旦、着替えてからでも間に合うな。


 数年ぶりに会う友人は相変わらずの様子で、近況を話しながら飲む酒は、大変盛り上がった。彼とは、同じ部活で学生時代につるんでいて、お互い就職してからはこうして数年に一度酒を飲むような間柄だった。地元にいるので、昔の友人たちの近況や、世話になった先生たちや親たちの様子もよく知っている。

 共通の友人の結婚式の話でひとしきり盛り上がった後、ふと、あの地図に出てきた生首の群れのことを思い出した。今も地元に住んでいる彼なら、何か見たことがあるんじゃないだろうかと思い、聞いてみる。

 スマホでブラウザを起動して、地図を開く。そのまま生首が写っていた場所をクリックした。手元を覗き込んでいた友人は、いきなり表示された画像に驚いて「うおっ」と小さく声を上げたが、そのままじっと見つめている。そしてしばらくして、首を傾げた。

「こんなもの、あったかなぁ…」

 やはり見覚えがないらしい。普段は首が表示されている方面に行くことも少ないというが、それでもこんなものがあれば話題になるだろうと言う。田舎とはそういうものだ。地元に住んでいる彼でもわからないとなると、バグか、画像の差し込みミスだろうか。大したオチもつかず、少しだけがっかりする。まあ当たり前だ、こんなもの作った人間がいるとすれば、非常に悪趣味だと思う。

 しかし、しばらくして友人が「あれ」と声を上げた。

「これ、田山さん、か?」

 なんでも、首の一つが近所に住む老人の顔によく似ているというのだ。田山さんはよく、近所の寂れた商店街の入り口に設置されたベンチに座っているらしい。話しているところや、動いているところは見たことはないので、置物なのではないかと思ってるなどと少し笑いながら話していた友人が、はっと何かに気づいたような顔をして黙った。

 しばらく押し黙ったままだったが、段々と険しい表情に変わっていく。どうした、と聞くと、ボソリとつぶやくように答えが返ってきた。

「……母さんがいる」

 友人の母親は数年前から寝たきりになっており、会話することも、そもそも意識がはっきりしているのかもわからない状態になっていると聞いたことがある。その母親の顔が、ここにあるというのだ。他人の空似かもしれない、スマホに表示された画像の画質もある。確実ではない。だが。並んだ生首たちの顔の中に、見知った誰かの顔があるかもしれないと思うと、得体の知れない気持ち悪さを感じた。

 しばらく、何も話せないままだった。その日は、なんとも言えない空気のまま解散した。

 友人の姿を見たのは、それが最後になった。

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