箱
こんな夜のことだった。
かすかに空気が揺れた気配がして、ふと目が覚めた。
大きく体を伸ばす。思わず声が漏れる。重たい瞼を開くと、薄暗い中に見慣れた天井が広がっていた。辺りを手で探ると、お目当てのスマートフォンが指先に当たった。寝転がったまま画面を触って覗き込む。午前1時を少しばかり過ぎたところだった。
昨日は仕事終わりに友人たちと四人で酒を飲みに行ったのだが、後半の記憶がどうもあやふやで、どうやって帰ってきたのかすら思い出せない。しばらくぼうっとしていたが、ふと荷物の中身が不安になって、確かめようとのろのろと起き上がると、頭痛がして思わず顔をしかめた。だいぶ飲みすぎたらしい。
カーテンの隙間から、かすかに街灯の光が差し込んでいる。目も慣れてきて、部屋の中もよく見える。見回すと、足元に黒い塊があって、それが財布だと気づいた。手に取って中身を確認すると、自分が思った以上に現金がごっそりと無くなっていて焦る……が、入っていたレシートは指先から肘まで届くほど長く、かなりの高額になっていた。溜息が出た。頭も痛い。
部屋の中は蒸し暑くて、着ているシャツが汗で体に張り付く。喉が渇いていた。玄関まで這っていき、転がっていたリュックからミネラルウォーターを取り出して飲む。ぬるくなっていてまずかったが、一気に飲み干した。少々物足りない。立ち上がって冷蔵庫に向かい、中を確かめると、水分の類は何も入っていなかった。
水道水を飲む気分でもない、コンビニにでも行こう。どうせシャワーを浴びるが、さすがに汗でびしょ濡れのまま出かけるのも嫌で、床に脱ぎ散らかされた服の中から着替えを探す。シャツを拾い上げて、臭いを確認する。まあ……大丈夫だろう。脱いだシャツを洗濯機へ放り込んだ。洗濯物も溜まっているので、朝から回さなきゃならない。財布とスマートフォンを掴んで、玄関へ向かった。
薄暗がりの中で、赤い光が点滅していた。
よく見てみると、備え付けのインターホンの横の小さなランプが光っていた。ここのマンションは宅配ボックスがあって、自分の部屋宛ての荷物が預けられていると、こうやって赤いランプが点滅して知らせてくれる。これが便利なので、基本的に大きい荷物はボックスに入れてもらっている。
何か注文しただろうかと考えてみたが、これといって特に思い当たらない。定期的に実家から届く食料かもしれない。帰りに取ってくることにして、靴を履いて玄関のドアを開くと、外から生温い風が入ってきた。夏の夜の匂いがした。
コンビニで買い物をして、肉まんを食べながら、三十分ほどかけてマンションの入り口まで戻ってきて、宅配ボックスの荷物のことを思い出した。
自分の両手が塞がっていることに気づいて、思わず舌打ちが出る。無駄に買い込んだお菓子や飲み物は意外に嵩張った。とりあえず荷物を確認しておくかと思い、パネルに部屋番号を打ち込む。アンショウバンゴウヲニュウリョクシテクダサイという合成音声が、薄暗いマンションのエントランスに、やたらと大きく響いた。
カチンという軽い音がして、一番大きいボックスの扉が開いた。中をのぞくと、真っ暗で何も見えない。手を伸ばして確認しようとすると、指がぶつかった。よく見ると、ボックスにぎりぎり入るサイズの段ボールだった。かなり大きい。
引っ張り出そうとすると、あまりの重さに全く動かない。これは配達員に持ってこさせれば良かった。いったん部屋に戻り、荷物を置いてこよう。管理室の横に、住民共用の台車があったはずだ。
扉を閉めようとしてから、そういえばと思い出す。ここの宅配ボックスは以前から調子が悪く、一度扉を開けてから閉めてしまうと、荷物を置きっぱなしにしていても部屋番号で認識されなくなる。一度やらかしたことがあり、管理人に言って鍵を開けてもらったことがあった。ミスった。深夜に連絡もできないし、せっかくの休みに、わざわざそんなこともしたくない。コンビニの袋からお茶を一本取り出して、ストッパー代わりに扉に挟んで置いておく。
エレベーターに向かう。ボタンを押して乗り込む。扉が閉まる直前、かた、という音がかすかに聞こえた気がしたが、こんな深夜に住人と鉢合わせるのも嫌なので、そのまま無視して扉を閉めた。自室に戻り、ビニール袋を置く。鍵をかけようとしたが、どうせオートロックだし、この時間なら住人も部屋の中だ。肉まんが冷めてしまうので、急いで荷物を取りに行く。
そして、台車を押しながら宅配ボックスの元へ行った。お茶が横向きに倒れていた。まさか閉まってしまっただろうかと焦ったが、倒れただけで扉は開いていた。台車を横につけて、荷物を引きずり出そうとして、
「おわ!」
勢いよく、後ろに倒れ込んだ。尻を思いきり床に打ち付けて悶えた。段ボール箱が、引っ張られた勢いのまま飛び出して落ちている。おかしい。さっき引いた時には、本当に少ししか動かないほどの重さだった。だから思いきり引っ張ったのだが……。
もしかしたら、角が引っかかっていただけだったのかもしれない。よく考えてみれば、配達員一人で入れられるような重さの荷物のはずだ。勢いよく落としてしまったが、中身はなんだったんだろうか。立ち上がり、台車を管理室の横に戻した。箱を持ち上げてみると、ほとんど空のような軽さだった。幽霊の正体、柳のなんたら、だっただろうか。使い方は違うが。
箱を抱えて、エレベーターに向かった。ドアが開くと、ちょうど人が乗っていた。後ろを通り過ぎたのだろうか。悶絶してるところを見られていたら恥ずかしいと思い、無言で階数のボタンを押した。乗っていたのは若い男で、ずっと携帯をいじっていたが、行先のボタンを素早く押した。
部屋に戻ってから、箱を開けてみた。だが、ちょっとした食料が入っていただけで、どうやら実家の母親が無駄にでかい箱を使って送ってきたらしい、と結論付けた。今日はもう遅いし、後日、お礼の連絡を入れておこう。お茶を飲み、残っていた肉まんを食べる。外からはサイレンがかすかに聞こえていたが、空が明るくなってくるにつれて聞こえなくなっていった。
そろそろ寝ないとまずい。軽くシャワーを浴びて、ベッドに潜り込む。すぐに睡魔がやってきて、深い眠りに落ちた。
そうして、その奇妙な箱のことは、それきり忘れてしまった。
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