アーステールの猫
榛名
黒猫と見えざる射手 1
生物を生物足らしめているものはその命であり、人を人足らしめているものは魂である___(ダイアナ・M『幻想生物を追跡せよ』)
それは何の本に書かれていた言葉だったか・・・
目の前の床に転がっている『それ』を見ていると、私の頭の中にその言葉が浮かんできた。
これが命を、魂を失うという事なのか・・・確かに『それ』はもう人ではなく、物体だった。
彼は私のよく知る人物であり、雇い主でもあったというのに・・・まるでよく出来た人形を見ているかのような感覚。
本当に人形であったならどれ程良かったか・・・この屋敷の誰かを驚かせようという悪趣味な悪戯であったなら・・・
しかし床に赤黒く広がっているその血液が、その鉄錆びにも似た臭いが・・・彼は作り物などではなく、本物の人間である事を生々しく伝えてきている。
本物の、人間の、遺体・・・ダメだ、意識すると不快なものが込み上げてくる・・・気をしっかり持たないと。
恐る恐るランタンの灯りを近付けると、その遺体は間違いなく私の雇い主本人である事を確認できた。
私の主であるベルティノス伯爵家の長男、エリック様はここで何者かに殺されたのだ。
私の名前はソアレ、家名はない。
ベルティノス伯爵領の平民の家に生まれた、ただのソアレだ。
エリック様のお父上である旦那様・・・ベルティノス伯爵の住むお屋敷の使用人として雇われたのが3年前の事。
その頃から旦那様は病に臥せっており、もう長くはないだろうと言われていたけれど・・・先日息を引き取られました。
その跡を継いだのがエリック様なのだけど・・・事もあろうに、たくさんいた屋敷の使用人達を解雇してしまった。
残されたのは平民出身の私だけ・・・お前は安く使えるからと屋敷の管理を押し付け・・・任される事に。
事情を知らない人からしたら、すごい出世だと羨ましがられるのかも知れないけれど、広いお屋敷の管理は過酷の一言に尽きる。
幸いな事にエリック様のお住まいは別にあるので、このお屋敷が使われる事はなかったのだけど・・・
「ソアレ、明日よりここで親族会議を行う、支度せよ」
「あ、明日ですか・・・」
「亡き親父殿の遺言について、早急に処遇を決めねばならん・・・私と弟妹達合わせて4名だ」
「そんな・・・今からでは、お食事を手配するにしたって・・・」
「食事は王宮の料理人を手配してある、お前は料理人の指示に従えば良い」
「は、はぁ・・・」
平穏な日々は一転。
エリック様に突然の来客を告げられた私は、休む間もなく・・・
客人を迎えるお部屋の用意に、料理人が指定した食材の買い出し、会議に使うお部屋や導線となる廊下、階段のお掃除にと大忙し。
なんとかそれらをこなして翌日の朝日を迎えた私を待っていたのは、エリック様のお叱りの言葉だった。
「何をやっている!親族が今日集まると言ったであろう、私に恥をかかせるつもりか!」
「きゃ、客室はちゃんと綺麗に・・・」
「客室?私は玄関の話をしているんだ、客人を招くにあたり最も重要な場所だろうが!」
玄関・・・さほど汚れているようにも見えないので、すっかり後回しにしていた。
結局そこまでは手が回らず・・・たしかに玄関は客人が最初に触れる場所、ぞんざいにして良い所ではない。
エリック様の言い分ももっともだ、私がもっと有能であればこんな事には・・・
「も、申し訳ありません・・・」
「まったく、これだから平民は・・・」
「あらあらお兄様、元気なお声が外まで響いてらっしゃってよ?」
「・・・エリーザか」
叱責はよく響く女性の声に遮られた・・・苦虫を嚙みつぶすようにエリック様の表情が歪む。
声のした方を見ると、妙齢の美しい女性の姿があった。
伯爵家長女のエリーザ様・・・直接お会いするのは初めてだけれど、なかなか気の強い性格だと噂に聞いている。
そしてどうやらこのお2人は兄妹でも仲はよろしくないようで・・・場の空気が張り詰めていくのが感じられた。
「随分と早い到着ではないか・・・」
「私、毎朝早起きを心掛けていますの、健康的でしょう?」
「ふん・・・ソアレ、客室に案内してやれ」
「か、かしこまりました」
遺産が絡む事情からか、エリーザ様は傍仕えの1人も連れていない。
となると、彼女の乗って来た馬車から降ろされた多くの荷物・・・あれらを運ぶのは私の役目という事になる。
・・・とても1回で運び切るには難しそうだ。
「エリーザ様、お客様のお世話を仰せつかったソアレと申します」
「・・・ふぅん」
エリーザ様は私を値踏みするようにジロジロと視線を這わせる。
兄であるエリック様も怖い人だけど、それに勝るとも劣らぬ圧迫感・・・さすがはご兄妹、といったところか。
「お兄様の使用人にしてはまともそうね・・・さ、案内なさいな」
「は、はい!こちらです」
どうやらエリーザ様のお眼鏡にはかなったらしい。
ご機嫌を損ねる事無く、お部屋にご案内する事が出来そうだ。
荷物の半分ほどを抱えてくると、エリーザ様は不思議そうな表情を浮かべていた。
「貴女が運ぶの?・・・他の使用人は何をしているのかしら?」
「あ・・・今は私だけです、つい先日に皆解雇されてしまいまして・・・」
「まぁ・・・お兄様ったら、あの噂は本当かも知れないわね」
「噂・・・ですか?」
「使用人は気にしなくて良い事よ、貴女はせいぜいここで励みなさい」
「はぁ・・・」
そう言いながら、エリーザ様は意味深な笑みを浮かべていた。
その裏に何が隠れているのかわからないけれど、貴族の諍いとか関わらないに越したことはない。
実際使用人の私に出来るのは、彼女の言う通り屋敷での仕事を精一杯こなす事だろう。
とりあえずは残りの荷物を部屋へと運び入れる・・・朝からなかなかの重労働だ。
「ここは昔と変わっていないわね・・・うふふ」
続いて屋敷を訪れたのは、次女のエマリー様。
随分と独特の雰囲気を持った方で・・・まだ喪に服しているのか、全身を包む漆黒の服装からはまるで魔女のような印象を受けた。
「エマリー様、お部屋にご案内いたします」
「あら可愛らしい・・・こういう子が兄様の好みなのかしら・・・」
「・・・」
ぞくりと背筋に悪寒が走った。
確かに、そういう目的でメイドを囲う貴族もいるとは聞いてはいるけど・・・
でも、私の待遇を見る限りでは・・・とてもそんな風には・・・
「うふふ、ごめんなさい、気を悪くさせたわね・・・貴女は遺言について何か聞いているかしら?」
「いえ・・・私は何も・・・ただの使用人でしたから・・・」
「そう・・・何も知らない、のね・・・うふふ」
何と言うか・・・いちいち含みのある喋り方をする人だ。
やはり貴族というのは変わった方が多いのだろうか。
最後に訪れたのは次男のエドワーズ様・・・ともう1人。
私より年下だろうか・・・小柄な少女を連れていた、この辺では珍しい黒い髪が印象的だ。
瞳の色はグレーに近い青、こちらはそんなに珍しくない・・・ちょうどエリック様達もこの色をしている。
「エドワーズ様、そちらの方は?」
「それが僕にも・・・たまたまそこで出会ったんだけど・・・とりあえず兄さんに取り次いでもらえるかな?」
「にゃーにゃー」
「・・・猫?」
可愛らしい鳴き声に釣られて下を見ると、少女の足元には猫が一匹。
色は黒・・・先程のエマリー様と相なって魔女の黒猫が連想された。
良く懐いているようで、少女の脛に身体を擦りつけている姿が愛らしい・・・この少女が飼っている猫だろうか。
宝石のような青い瞳は吸い込まれそうな美しさ・・・思わず見惚れてしまう。
「・・・この子はサフィール、お友達なの」
「へぇ~可愛い・・・」
「そんな猫よりも早く兄さんを・・・」
「あ・・・はい!只今伺います!」
つい猫を撫でようと手を伸ばしたら、エドワーズ様に急かされてしまった。
慌ててエリック様を呼んでくると、エドーワーズ様の口から事情が明かされた。
「親父殿の隠し子、か・・・」
「この子の持っていた指輪の刻印は間違いなく当家の物・・・嘘は言っていないと思う」
「いや、確かにその黒髪には見覚えがあるぞ・・・親父殿め・・・面倒な事を・・・しかも、よりによってこんな時に・・・」
どうやらその少女は亡き旦那様の愛人の子か何からしい。
母親を亡くして、父親を頼りにここまでやって来た・・・という事らしい、残念ながらその旦那様もお亡くなりになってしまっているのだけど。
旦那様の遺産を巡るやり取りが行われるこの日にやってくるとは、タイミングが良いのか悪いのか。
「あらあら、ずいぶんと可愛らしいお客様だこと」
屋敷を駆け回る私の姿が目立ったのか、それとも長らく玄関前で兄弟がやり取りをしていたせいか。
姉妹達も様子を見に来てしまった。
エリーザ様は少女の瞳の色から邪推したらしく、責めるような視線をエリック様に向けている。
「先に言っておくが私ではないぞ・・・親父殿の隠し子だからな」
「まぁ・・・、それは本当なの?」
「はい、姉さん・・・それは間違いないと思います」
「親族会議の日に現れた隠し子・・・ふふ・・・面白くなってきたわね」
「エマリー、馬鹿な事言わないで・・・貴女、お名前は?」
親族達の思い思いの視線が少女に集まる中、少女は緩やかに腰を下げるとスカートの裾をつまみ上げた。
流れるように美しい所作・・・思わず見惚れてしまった。
それだけでもう・・・旦那様の隠し子という胡散臭い話にも真実味を感じてしまう程に・・・
「アーステールと申します、どうぞお見知り置きくださいませ」
兄姉達と同じ色の瞳に宿る強い意志と知性・・・幼く見える外見よりもずっと大人びた雰囲気を感じた。
・・・やはりこの子も貴族なんだ、平民の私とは生まれ持ったものが違う。
「ふぅん・・・最低限の教育は受けてきているようね」
「母から作法を教わりました、皆様に失礼が無いようにと・・・」
「まぁ賢いのね・・・うふふ」
「兄さん、やっぱりこの子は・・・」
「ああ・・・認めるしかあるまい、頭の痛い事だが・・・」
兄姉たちの反応も、それぞれに差はあるものの悪いものではなかった。
幼いながらも常人離れした雰囲気を纏ったこの少女に、何か近しいものを感じているのかも知れない。
この不思議な庶子は、意外な程すんなりと彼らに受け入れられる事になった。
「具体的な処遇は後々考えるとして・・・ソアレ、アーステールに部屋を1つ用意せよ」
「はい」
「見た所年も近そうだ、しばらくはお前が面倒を見よ」
「かしこまりました」
こうして・・・またひとつ、私の仕事が増えてしまった。
いくら年が近いと言っても、こんな不思議な雰囲気の少女と接するのは私も初めてなのだけど・・・
しかしエリック様に命じられた以上は、幼い子供であろうともお客様として失礼のないように接しないと。
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