第16話 バイトの先輩と武術

 まず、どうして私の自宅の付近に松村先輩がいるのか、それをまず疑問に思った。


「アンタ、よくも先輩であるこの私をだましてくれたわね?」


 刃物以上とも言える鋭い声に、私は恐怖を覚える。


「何が『いいはらと読みます』よ?それくらいで『はい、そうですか』と信じる私とでも思ってるわけ?アンタ、そう誤魔化しても姿見としては飯原いはら 沙矢さやなのよ。言動も仕草も。嘘つくの下手へた過ぎでしょう?」


 やっぱり理解していたのね。私が他人のフリをしていることははなからバレバレだったってわけね。


 そりゃそうよ。私、他人に対して今まで嘘なんてついたことないもの。


 嘘をつくって悪いことだと思っていたけど、時にいいこともあるんだあって今気づく。


「飯原 沙矢。やっぱりアンタを生かすわけにはいかないようね……」


 鋭い口調を保ったまま松村先輩は冗談でもないことを口にし、私は恐怖におののく。


 そして同時にこう思った。


 あぁ。これで私は終わるんだなぁと。


 もっとたくさん遊びたかったなぁ。もっと美味おいしい物を食べたかったなぁ。しばらく会っていない妹の顔を見たかったなぁ。


 そして、ひじり先輩ともっと、もっと――


「うわっ!」


 その時松村先輩は突然悲鳴を上げ、同時に私の口許くちもとを覆っていた手が離れた。


 新鮮な空気が吸えるとあって、大きく息を吸っては吐いてを繰り返す。窒息と松村先輩の圧力によって、一時はどうなるのかと思った。


 それにしても一体誰が私を助けたの?


 気になった私は、そちらの方へ視線をやる。


「ちょ、ちょっと!離して!」

「えっ!?な、何で!?」


 その時、私は目を疑った。


 先刻、家まで送って駅に向かっているはずの神谷先輩が、松村先輩の腕を掴んではプロレス技を仕掛けている。


「痛い痛い痛い!何をするのよ!?」

「黙って!あなたね!さっきまでウロチョロとしていたのは!?」


 苦悶し続ける松村先輩に容赦なく技をかけ続けている神谷先輩。まず神谷先輩がこんなにもプロレスが強いとは思いもしなかった。


「あなたちょっと!私にプロレス技で歯向かうとはいい度胸よね……。今すぐ警察に――」

「そうはいかないわ!」


 松村先輩が警察に突き出す前に、神谷先輩は掛けているショルダーバッグからある物を取り出して松村先輩の鼻に突っ込んだ。


「いやぁ〜〜〜〜〜……!」


 松村先輩は、鼻腔を伝うその痛みに耐えきれず絶叫を上げる。


「どきなさい!ゲホゲホッ!……い、飯原 沙矢!覚えてなさーい!ゲホゲホッ!」


 松村先輩はむせながら捨てゼリフを吐いて足早に去った。


 何とか助かったたけど、何で神谷先輩が助けに来たのか気になって仕方がない。


「た、助かりました……。ありがとうございます」

「いやいや!というか、こんな展開になると端からおもっていたから」

「えっ?」


 神谷先輩の言葉に、私は首をかしげる。


「あれ?分からなかった?私たち、あの人にストーキングされてたの?」

「えぇっ!?」


 神谷先輩が予想だにしなかったことを言い出したものだから、私は大きく驚く。


「あの人、確かさっき沙矢ちゃんが話していたお客さんだよね?きっとコンビニの近くでバイトの退勤時間を狙ってつけてきたのよ。私が帰るのを見計らって沙矢ちゃんを襲ったのよ」


 まさかそんなことが知らないうちに起きていたなんて……。恐怖のあまり、私の鳥肌が立ってしまうほど。


「あと驚いたことなんですけど、神谷先輩、強すぎませんか?」


 抱えている恐怖心を払拭するように、神谷先輩の護身術へと話題を変える。


「アハハ!言っていなかったっけ?私こう見えても免許皆伝赤帯十段、カポエイラメストレ、ちびっ子レスリング大会小学二年生の部で金メダル、フルマラソン二時間十分四十二秒、そして高校時代は女子プロレス部に所属していたのよ!」


 お、おぉ……。神谷先輩、見た目によらずかなりのスポーツウーマンなのね。一体その細いスタイルからどうやって凄まじいパワーを発揮しているのよ?


「そしてここで登場するのが、さっき言ってた『武器』が登場するのよ!」


 そういえばコンビニに出る前にそんなことを言っていたなぁ。先刻の松村先輩の悶絶を見た以上は大体予想はついているけど。


「ジャーン!私の発注ミスのせいで在庫が大余りしたチューブ入りわさび二本よ!これをあの人の鼻の穴に突っ込んでわさびのツンとした香りを嗅がせたのよ!」


 何だろう。先刻の功績と松村先輩にとどめの一撃を刺した方法のカッコ悪さに呆れちゃったんだけど。


 そして言うと、調味料をそんな方法で使用するのはこのご時世的にいいのだろうか?


 ――いな、アウトっしょ!ましてや大量在庫の商品を勝手に持ち出して使っているし!これが店長に知られたら大目玉を食らうのがオチよ!


「先輩、今度そんなことをしない方がいいですよ。色々とアウトな面ばかりですし……」

「え~いいじゃな~い。言ったって店長がウチにどれだけチューブ入りわさびを大量に送りつけられたと思っているの?」

「それは先輩が――」

「あら?」


 私と神谷先輩が大量在庫のチューブ入りわさびのことで論争していると、横から聞き覚えのある声がしたから、神谷先輩共々そちらを向く。


「お、お母さん……」


 私の母が右手に野菜の入ったエコバッグ、左手にはアニメショップの青いビニール袋をげて私たちを見つめている。


「ウチの前で何をしているの?というかそこの人は一体誰なの?」

「あ、は、初めましてお母さま!私は沙矢さんと同じコンビニで働いています、神谷 友梨亜ゆりあと申します!不束者ふつつかものですが、よろしくお願いいたします!」


 私の母だと認識した神谷先輩は、まるで結婚の挨拶をする彼氏さんのような態度で接している。現に言葉遣いがそのものだし。


「あぁ!バイト先の同僚なのね!今日はどうしたの?」


 母のこの質問に、私と神谷先輩は思わず「うっ!」と声を出してしまった。


 ここで本当のことを言ってしまったら、母に怒られるか心配されるかのどちらかの道を辿ってしまう。下手へたすれば同居生活も解消されてしまう可能性もあり得る。


「きょ、今日は不思議とお客さんがたくさん来たから残業になっちゃってぇ~。先輩は離れたところに住んでいるから帰りが遅くなると危険だからウチまで送ってもらったのよ!あ、私は大丈夫だって断ったんだけど、私のことが心配で心配で……」


 私が前に出て事情を説明する。半分噓が入っているけど半分本当のことを言っているからほぼセーフよ……。


「そうなのね!わざわざありがとう!」

「あ、はい。夜道でも危険な目に遭わせないことも先輩の役目ですので……」


 母が感激しながら感謝すると、神谷先輩は困惑しながら先輩らしさのある言葉で返す。先刻までそんな雰囲気は微塵も感じなかったけど。


「あ、もし良かったら車で送るわよ!もうこんな時間だし女の子一人で夜道を歩いてちゃ可哀想よ」

「あぁいや。何もそこまではしなくても大丈夫ですよ?」

「そう遠慮しないで!私の愛娘を助けてくれたお礼よ!ほら沙矢!私がスーパーで買ったやつ、冷蔵庫にしまって!それからアニメショップで買った戦利品、大事なものだから丁重ていちょうに運んでね!」

「えっ?ちょ、ちょっと!私にあれやこれや渡されても困るんだけど!」


 母はエコバッグと買い物袋を私に預け、神谷先輩を車に乗っけてそのまま駅へと向かった。


 全く。どこからどこまでも自由奔放な母よ。買い物ついでにアニメショップまで寄るそのタフさも称賛したいわ。というか青い袋の中身は一体何だろう?随分と膨らんでいたけど。


 何だろう。何かのアニメのブルーレイボックス?よくここまで大きいのを買い物袋と一緒に運んだわね。そんなことを言ったら「オタクたるもの戦利品の重さは作品の愛の重さよ!軽いの同然!」と独自につくった謎格言を私にぶつけるのがオチよ。


 ……というか、思えば思うほど、このずっしり感が腕に伝わって痺れてしまう。


 ちょうど家の前で良かったと安堵あんどしながら、私は家に入るのであった。こういう時に限って鍵を取り出すのは大変なのよ……。

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