超克の剣

姫之尊

始まり

第1話 呪われた剣士 

 どこから産まれてくるのか、どこからやってくるのかも分からない亡者。


 人のような形をしたものもあれば、物語の中に出てくるような妖のような姿をしたものも存在するが、共通しているのは人を襲うということ。


 数百年前、日本各地現れ人々を恐怖に陥れた亡者に対抗するため、大人から子供まで殆どの人間が武芸を習い、修練を積んだが、亡者の力は強大で命を落とすものは数しれない。 

 

 ────



 時継ときつぐは地元の子供達を連れて剣道合宿へ来ていた。

 すでに月明かりが夜空を照らし、子供達と共に板張りの大部屋に布団を敷いて眠る準備を整えている。


「よしお前ら、あれやるから集まれ」


 自分の布団の上に胡座をかいた時継がそう叫ぶと、子供らは皆ゾロゾロと時継を囲うように集まって来た。

 あっ、と忘れていたことを思い出した時継は額を手で叩き集まった子供達を見回した。


「しまった。すまん誰か襖と障子を閉めてくれ。あと瓦灯がとうの火を消してくれ。あ、やっぱり待って。二助、俺の道具袋持ってきてくれ」


 二助と呼ばれた小柄な少年が部屋の隅に置いてあった朝の道具袋を持って戻ってくる。


「ありがと。そうそうこれこれ。先に火消したらこれ使えなかったわ」


 袋の中から蝋燭と燭台を取り出し、時継は1番近い瓦灯の火を蝋燭に移し、瓦灯の火を消した。


「馬鹿だな時継は」


 フッと小馬鹿にするような笑を零しながら、左隣に座った二助が呟いた。


「うるさい。ちょっと疲れてるんだよ」


「じゃあやんなきゃいいのに」


 二助の隣の少女、すえが膝を抱えて呆れながら言いう。


「あのねぇすえちゃん。俺はこの合宿へこの為に来たと言っても過言では無いからね。お前らとこれやるためにわざわざこんな山の麓の道場まで歩いてきたのさ。お、おい話してる時に消すなよ」


 

 話を無視した子供達によって、部屋の明かりは時継の持つ蝋燭以外全て消された。  

 自分の布団を後ろへ寄せ、顕になった床板の上に火をつけた蝋燭を乗せた燭台を置きながら、時継は鼻息を漏らした。

 蝋燭の火は小さく揺れながら、火を囲う皆の姿を薄らと映し出している。


「馬鹿じゃん」


「よくこんな人に武家が務まるよね」


「だって時継次男だもん」


「そうだよ。佐野家の禄を食いつくしてるだけだし」


「もらってくれる女の人も居ないらしいよ」


「えぇ⋯⋯どれだけ駄目なんだこの人」


「剣術の師範としては悪くないけど、実戦は弱いんだよね。今日も向こうの師範に完敗だったし」


「教えることは出来ても自分は弱い人ってたまにいるよねぇ」


 皆が雑言を浴びせ、時継の目には一欠片の涙が零れた。

 暗くてよく見えないせいで、誰が言っているのか分からない。ただ隣の二助と和丸かずまるだけは笑うだけで何も言ってないことが分かった。


「おまえら⋯⋯全員泣かすからな、覚悟しろよ」


 皆に泣いていることを悟られないように目を擦って水滴を拭き取り、小さく手を叩いた。


「よし。それじゃあ楽しい楽しい怪談話の始まり始まり〜」


 時継がひとりで拍手をするが、誰もあとには続かない。


「お前らもっと元気出せよ。ほら二助も」


「怪談話するのに元気だしても仕方ないでしょ」


「それもそうだな⋯⋯。じゃあ二助から始めるぞ」


 自分より倍近く若い二助に正論を言われ、時継は小さく肩をすくめた。

 二助は胡座のまま、身を前に乗り出し、蝋燭の火に顔を近づけ、恐る恐る語り出した。

 先程までは気だるそうにしていたのに、いざ自分が話すとなると、意欲を燃やすのは子供の習性だ。


 二助の話は、お菊の井戸によく似た話だった。

 皆内容もオチも予想していたので、驚きは無かった。

 その後、順にひとり1話づつ話していき、いよいよ時継の番が来た。


「ダメだなお前ら。皆昔話ばっかりじゃないか」


「そんなこと言ったってしょうがないじゃないか。怪談なんて親に聞いた話くらいしか知らないし」


 ダメ出しされたことが悔しかったのか、二助が吐き捨てるように言う。 

 それを聞いて時継は高笑いし、両膝をポンっと叩いた。


「いいか。俺のは凄いぞ。多分お前らは誰も知らないだろうし、心して聞けよ」


 膝に肘を立て、重ねた両手に顔を近づけ、ゆっくりと語り始めた。


「お前ら辻斬りは知ってるだろ。あれには色々小話があってだな。数十年前、堺で多数の辻斬り事件が起きてな。ある武士が病を治すために千人の血を欲して夜な夜な辻斬りを行ってるなんて話が浮上したんだが、実際その武士は無罪で、犯人はただ自分の力を誇示したかった馬鹿な町民だったんだ。その他にも京や近江、紀伊なんかでも辻斬りの話は尽きることがない。時々亡者の仕業だってこともあるが、人が起こした事件よりは遥かに少ない。まあ何が言いたいかって言うと、こんな田舎じゃ辻斬りなんて亡者がごく稀に起こす可能性があるってくらいだが、都会に行けばそう珍しくもないってことだ」


 ここまで話していちど周りを確認すると、皆は時継がどんな話をしたいのかいまいち掴めていないのか、首を傾げたり欠伸をしたり、真面目に聞いている物は少ない。

 時継は立ち上がり、閉じていた縁側へ繋がる障子を開けた。皆の視線が時継の背中を追った。

 襖を開け立ち止まった時継は、振り返ると頬を上げて、月明かりに照らされた向こうの山を指さした。


「でもな、実は少し前に流行ったんだ。辻斬りが。あの山で」


 時継の発言に、数人が息を飲み、数人が目を見開いた。 

 もともと怖い話が得意では無いものは震えだし、すえや二助も山から目を背けるように俯いた。


「まあ心配するな。もう昔の話さ」


 元の座っていた場所に戻りながら、時継は皆を安心させようとそう言った。


「まあでも、ここからが本番なんだな」


 時継は腰を下ろすと、胡座ではなく正座をし、燭台を手に取り、顔の下へ持っていった。 気味の悪い明かりが時継の神妙な面持ちを照らした。


「その辻斬り事件には奇妙な点が多かったんだ。まず1つ目に殺された人は皆埋められていた。亡者は殺した人間を埋めたりしないし、辻斬りもわざわざそんな面倒なことをする奴はいない。だいたい辻斬りってのは、自分の力で周りを恐れさせたい奴がすることだ。死体を隠すのは無駄なことよ。それともうひとつはな、死体の持ち物が取られてなかったんだ。金になりそうな品も食べ物も、見つかった死体はみんな何かしら持ってたらしい。そしてもうひとつは皆体の前が右肩から袈裟斬りで斬られていること。それも一撃で。 左構えが珍しいこともそうだけど、なにより不思議なのは皆一太刀の傷以外負っていなかったてことだ。どれだけ凄い剣士なんだと、近所の人達はみんな震えて夜も眠れなかったらしい。ただその人斬りは人里に降りてくることはなく、被害に遭うのは賊や興味本位で確認しに行った命知らずばかりだったんだ。そうしていつしか人斬りは姿を消し、この辺りにも多少の平穏が戻ってきたってわけ。その代わり亡者の数は増えたらしいが」


 言い終えると時継は立ち上がり、部屋の瓦灯に火を灯していった。 

 皆はそれぞれ顔を見合わせ、今の話のことを語っている。


「ちょっとビビったけどそんなにだったよな」


「まあ昔話らしいし、ていうか初めて聞いた」


「時継の作り話じゃないの」


「ていうか結局時継も昔話してるよな」


 皆今の話への不満を漏らしながら時継に目を向けた。時継は縁側に立ち、子供達に背を向けていた。


「大したこと無かったな。寝ようぜ」


 ひとりの子供がそう言い出すと、皆は自分の布団に向かった。


「皆すまん、俺さっき嘘ついたんだ」


 時継が背を向けたまま口を開くと、皆時継に一斉に顔を向けた。


「人斬りは姿を消したって言っただろ。あれ嘘なんだ」


 時継は振り返ると、気味悪く目で笑いながら、懐に手を入れ、1枚の紐で包まれた書状を取り出した。


「実はこの話、一昨日松浦まつらの人間から教えてもらったんだ」


 松浦とは、和泉国の有力な武家であり、岸和田城を拠点としている武士団だ。

 時継は書状を比較的子供たちの中では文字に明るいすえに手渡した。

 すえが紙を広げ、書かれた文章を読むと、直ぐに何が書いてあるのか分かり、みるみるうちに血色の良かった顔が青ざめていった。


「なあ、なんて書いてるの」


 二助が横から書状を覗くと、二助もすぐに青くなった。


「お、おいどうしたんだよふたりとも」


 皆ぞろぞろと二助とすえの元に集まりだした。 

 すえは紙を持つ手と唇を震わせながら、口を開いた。


「これ⋯⋯辻斬りが多発してるからあの山に近づくなっていう皆への警告文だよ。しかも日付は3日前の。ちゃんと松浦の花押も書いてある⋯⋯」


 時継の話のオチを全て理解したすえは勢いよく顔を時継へ向けた。 時継は黙って頷くと、おもむろにわざと焦らすように口を開けた。


「実は今まさにあの山に居るんだ。その辻斬り」 


 瞬間、すえは書状を落とした。時継の発言は子供達を震撼させるのに十分過ぎるものだった。


「ぎゃぁぁぁぁぁ!」


 少女がひとり叫び出すと、半数は声を上げながら辺りを走り出し、半数はその場で震え出した。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁ」


「殺される。辻斬りが来るよぉぉぉ」


「あ、明かりを消そう。辻斬りに僕達が居ることがばれる前に」


「もう遅いに決まってるよ馬鹿!」


 頭を毟りながら、時継は想像以上の子供達の反応に満足していた。


 「な、俺の話が1番怖かっただろ? ま、まあ皆、ちょっと落ち着けよ」


 半笑いの時継が言うと、蹲っていた二助が怒りを顕にしながら時継に向かって駆け出し、股間を蹴り上げた。


「なんて話してるんだよ阿呆!」


「ちょ⋯⋯お前それは反則⋯⋯あ、駄目だ。これ駄目。男として終わったわ」


「うるさい。こんなの怪談じゃないよ! ただのバイオレンスだよ!」


「お前⋯⋯どこでそんな言葉覚えた? 近所に南蛮人でもいたか?」


 股間を抑えながらその場に膝をつき、蹲った。

 すると奥の部屋の襖が勢いよく開かれる音がし、時継は悶えながら顔を上げた。


「何があったの⋯⋯」


 襖を開けた先には、白と紺の七宝柄の浴衣を来た時継の幼馴染みであり医者の妙林みょうりんが何が起きたのか理解できない様子で戸惑いながら立っていた。 


「先生ー!」


 何人かの子供達が妙林の元に集まり、しがみついた。妙林の長い黒髪が揺れ、一瞬黒いはずの瞳が青く光ったのを、時継は見逃さなかった。


「まただ⋯⋯」


 昔から時々、日の当たり方のせいなのか、妙林の目が青く見えることがあった。 

 特に時継がその事について妙林に尋ねたことは無いが、いつも不思議に思っていた。


「先生、あのね」


 妙林にしがみついたひとりが何があったか説明した。妙林は蹲る時継を冷たい目で見下しながら、睨みつけた。


「なんてこと言うのよ。そりゃこうなるわよ」


 妙林はゆっくりと時継に向かって歩き、目の前で立ち止まった。


「いやぁ面白いと思ってさ」


「馬鹿じゃないの。だいたいその事を知ってたならなんでここに泊まることにしたの。何かあったら責任取れるの」


「大丈夫だって。心配するなよ」


 冷淡な目と声を妙林は浴びせるが、時継はへらへらとしている。

 まるで辻斬りなんて怖くないと言いたげに、ふっと息を漏らした。


「そんなこと言ってまた殺す気?」


 周りには聞こえないような声で妙林が呟くと、流石の時継からも笑顔が消えた。

 笑顔とともに痛みも消えたのか、時継は股間を抑えていた手で床を押し、立ち上がった。 

 しばらく妙林と時継は見つめ合った。 

 妙林は憎しみの籠った目で時継を睨み、妙林の感情を全て受け止めるかのように、時継も目を逸らさずにいた。


「その話は今はよそう。お前だってこの子達に聞かれてもいい気はしないだろう」


 時継は視線を落としながら力無い声で言った。 妙林は何も言わずに時継に背を向けた。


「どうしたの先生」


「ううん。なんでもないの。ただこの馬鹿に怒ってただけ」


 子供の疑問に、妙林は笑顔を繕いながら答える。  しかし、今一度時継に顔を向けた瞬間、優しさの欠片も無くなっていた。


「で、どうするのこれ。この子達をこのままここに留まらせるのも、今から帰るにしても貴方の責任は重いけど」


 妙林に詰められると、時継は腕を組み、鼻息を微かに鳴らした。


「いや、ここに居て大丈夫だよ。この話をしたのはこいつらを怖がらせるためって言うのもあるけど、一番は証人になってもらうためだよ」


「証人? 何を言ってるの」 


「俺が今から辻斬りを捕まえに行くんだよ。ということで、こいつらを寝かしつけてくれ」


 時継はニヤリと笑い、胸を張った。

 冗談ではなく本気で言っているのだと、妙林はすぐに察した。 

 時継はすでに寝巻を脱ぎ捨て、紺の剣道着と袴を手に取っている。

 子供達はみな、黙って時継が着替えている様子を眺めていた。

 時継は着替え終え、刀を腰に差し、右手に愛用の十手を、左手に火をつける前の提灯を持った。


「じゃ、頼んだぞ」


 なんてことも無いような呑気な雰囲気で部屋を出ようとすると、子供達が駆け寄り、時継の体を抑えた。


「ダメだよ時継。死んじゃうよ」


「そうだよ」


「時継ごときが⋯⋯勝てるわけないだろ!」


「お前性格どうした⋯⋯」


 袴を引っ張る子供達の手を丁寧に剥がし、時継は膝を着いて目線を子供達に合わせた。


「大丈夫だ皆。恐らく辻斬りは周りが言ってるような恐ろしい存在じゃない。そもそも人間じゃないかもしれないしな。俺は小心者か火の粉を被っただけかもしれないその辻斬りが気になって仕方ないんだよ。それに俺、強いから」


 時継は歯を見せて笑うと、とっとと道場を飛び出して行った。 子供達が狼狽えたまま立ちすくんでいると、妙林が山へ目を向けて言った。


「大丈夫よ。あいつ、文字通り人間じゃないから」


 皆が一斉に妙林を見たが、妙林は山を見つめたまま、何も言わなかった。


 道場の門前の篝火から火を頂戴し、提灯を灯した。    

 道場周辺に炊かれた白檀びゃくだんで作られたお香の匂いが鼻をくすぐる。 

 2町ほど歩いたところで、山の麓へたどり着いた。                  

 時継は目を閉じて山から聞こえてくる音を拾おうとしたが、木々が揺れる音くらいしか聞こえない。


「じゃあ行くか」


 十手を懐に入れ、袴と腰の間に挟んだ。 

 山道が伸びる方向では無いので、急斜面を登るしかない。時継は息を吸うと大きく右足を上げ、山に踏み入れると、軽やかに山を登り始めた。

 登り始めてまもないが、人の気配も亡者の気配もない。

 人が殺されたところで亡者は現れやすいというが、この山では動物しか確認していない。

 少し登ったところで、山道に出てきた。

 狭く石が散らばったりしていて、荷車で通るには厄介そうな道だが、歩く分には問題なかった。 

 道場の裏を目指して山道を歩いていると、ツンと腐敗したような匂いが鼻をついた。


「何だこの匂い⋯⋯」


 右腕で鼻を抑え、振り返ったが誰もいない。

 頭上に風が当たり、吹き下ろしになっていることに気がつき、上を見た。


「お、早かったなぁ」


 見あげだ先には、半袖の黒柿色の着物を着用し、頭からつま先まで、全身びっしりと包帯を巻いた、渦中の人物と思われる男が立っていた。

 噂通り左利きらしく、刀は腰の右側に差している。

 髪は長く、後ろで一本に纏められ、目の周りだけは火傷したような皮膚が顕になっている。 

 男からは瘴気のようなものが漏れ出し、藤色の小さな粒子が体の周りを漂っていた。 


(こいつ⋯⋯やっぱり人間じゃないのか) 


 男が降りてくると、時継は提灯を地面に置き、後ろへ下がって距離を開けた。

 お気楽な様子でその姿を確認しに来た時継も、流石に男の様相に気圧されたのか、表情からは飄々としたものが消え、かしこまった様子で男から視線を逸らさずにいた。


 山道に男が降りてくると、ちょうど真ん中に提灯を挟み、向かい合った。お互い刀には手を掛けていない。

 時継がなにか話しかけようとすると、男が先に口を開いた。


「俺を殺しに来たのか」


 男の雰囲気から、時継は重く低い声を想像していたが、男の声は案外、若く生気を感じるものだった。


「いや。ただどんな奴が辻斬りなんてやってるのか、本当に辻斬りなんてしてるのか確かめに来ただけだよ」


 時継は男の声を聞いて緊張が緩んだのか、いつもの軽い口調が戻っている。


「そうか。で、どうだ俺は。どんなやつだと思う」


「ああ、まさに怪談話に相応しいやつだと思ったよ」


「それはよかったな」


 男は腰に手を当て、ふと笑い声を漏らすと、一転して時継を睨んだ。


「今ここから消えるなら俺は何もしない。だから早く帰れ」


「やだよ。それじゃあ来た意味がないし」


「もういちどだけ言う。消えろ」


 男は腰の刀に手をかけた。その様子を見て、時継はあえて挑発するように歯を見せた。


「やる気か? 言っておくけど俺は案外強いぞ。道場のガキ共にはいつも舐められてるけど」


 時継がやれやれと両手を広げて首を振ると、その刹那、男が右足を蹴りだし、一瞬で時継の喉元に刃を突き出した。 

 一瞬の出来事に、時継は目を見張った。 

 男の動きは人間の速さを超えていた。だがその動き自体は驚くところでは無い。


「これが最後だ。今すぐ下がらないと首を落とす」


「袈裟斬りが信条じゃないのか」


 時継は後ろに下がると、刀に手をかけようとし、留まった。


「ひとつ聞いていいか?」


「なんだ?」


「お前は人間か? それとも亡者か」


「正真正銘人間だよ。今は化け物になりさがってしまったがな」


「そうか」


 時継は懐から十手を取り出し、構えた。

 刀は腰に差したまま、柄を握る素振りも見せない。


「なんのつもりだ」


「別に。ただ人は殺さないのが俺の信条なんでね」


「そうか」


 男は情報通り、時継の右肩から刀を振り下ろした。 時継はそれを十手の清目で受け止めるが、斬り掛かる力が強く、男の刀身が体に迫った。

 時継は身を反転させながら、器用に刀身を滑らせ、男の懐に入り込んだ。 

 そのまま力任せに十手を男の胴めがけて振り払ったが、男は屈んで躱すと、下から剣を振り上げた。


「うわっと」


 咄嗟に飛び上がった時継は身長の3倍ほどの高さまで達した。

 男は驚くことも無く、平然と時継を見据えている。


「お前も人間辞めたか?」


「辞めてねーよ」


 時継が空中から殴り掛かると、容易く男がそれを受止め、時継が着地すると、お互いの攻撃の応酬となった。

 男が斬り掛かると時継が全て受け流し、時継の攻撃を男が全て受け止めた。 

 間合いの差のせいか、ジリジリと時継が後退していくと、蹴った小石の落ちる音がし、山道から足を踏み外して下へ転がった。


「うわああ!」


 転がりながら木にぶつかり、何とか止まったが、背中と首に痛みが残る。


「痛っ。て、やばい!」


 男は坂を下って木にもたれ掛かる時継に斬りかかった。時継は咄嗟に土を男の顔に投げ、怯んだ瞬間男の腹を蹴って立ち上がった。 

 男は目に入った土を腕で落としながら、時継を睨んだ。時継は更に手に残っていた土を投げた。


「卑怯だとか言うなよ」


「言わんよ。ただお前も大概化け物みたいだな」


「よしてくれよ。いつも隠すのに必死なんだ」


 そう言って時継は最初に男がやったように足を蹴りだし、一瞬で十手を男の喉元へ突き出した。 男と同じように、その速度は人間離れしていた。獣でも同じような速さで動けるものは居るかどうか。ただこの世で、亡者なら同じように動ける個体も存在することは確かだった。


「親のせいなのかなんなのか知らないけど、厄介な力だよなぁ。聞き出そうにももう死んでるし」


 男は喉元の十手を掴むと、下へ向けさせた。


「その獲物じゃ喉は掻っ切れんぞ」


「別に。真似したかっただけだよ。お前も最初から俺を殺す気なんて無かったんだろ」


 男は黙って静止した。

 お互い戦意が削がれ、時継は十手を懐にしまうと、腕を組んで男の返答を待った。


「なぜそう思った」


「お前の攻撃がわかりやすかったからな。本気を出せば最初みたいに一瞬で詰めることも出来ただろうに」


「それを言うならお前も一緒だろう?」


「俺は先に言ったぞ。人は殺さないって」


 時継が口角をあげると、男の目元が柔らかく綻び、刀を鞘に収めた。


「ではお前はなんの目的でここに来た」


 男が両手を腰に当てると、右目の包帯が解けて皮膚が少し見えた。 

 時継は気にもせず、嬉しそうに口を開いた。


「奇妙な辻斬りの話が聞きたくてね。悪人だったら奉行所に突き出して褒美を貰えばいいし、悪いやつじゃなければ友達にでもなろうと思ってな」


 男は腰に当てた腕をだらんと伸ばして、呆気にとられた様子で時継を見つめ、笑ったかと思うと、咳き込んだ。


「ならせっかくだ。お前の人柄に免じて話してやるよ」


 男はその場に腰を下ろし、時継もそれに続いた。


「俺の名前はきん。生まれは明だ」


「明ってあの洪武帝の作った国か。あ、俺は佐野時継。まあ適当に呼んでくれ」


「時継か。俺は明で生まれたと言っても赤子の頃に父に連れられて日本に来たんだがな」


「ふぅん。色々あるんだな」 


 亡者がこの国に現れてから、この国を訪れる異国の人間は激減した。せいぜいやってくるのは、少数の商人か宗教の宣教師くらいだ。

 時継は何度も頷きながら、果てしなく広大な大陸と洪武帝、乞食同然の立場から皇帝に成り上がった朱元璋の姿を想像した。

 何故か顎の長い男が浮かび上がり、その心象を頭を降って消した。


「なあ、洪武帝って顎長い?」


「知らん⋯⋯」


 呆れた様子で瑾が言うと、時継はすぐ近くにあった棒を手に取り、瑾に手渡した。


「ところできんってどんな漢字なんだ」


「ああ⋯⋯」


 瑾が書いた字を目を凝らして見て、時継は戸惑った。

 瑾という漢字には美しい玉という意味がある。

 だが、時継の目には、目の前の包帯男が美しい玉には見えない。


「言いたいことは分かるが、こうなる以前は見た目は結構褒められてたんだよ」


「べ、別に何も言ってないぞ⋯⋯」


 目を逸らしながら、ばつの悪い様子で言うと、ふうと息を吐いて確信に迫った。


「なんで辻斬りなんてしてたんだ」


 お互い目を合わせ、先に瑾が目線を下げた。風が木々の間をすり抜け、瑾の包帯がそよいだ。


「⋯⋯別に殺したくはなかったさ。ただ俺を見た人間は、俺を化け物だったと思ったんだろうな。刀を抜いて襲いかかってくる奴らを返り討ちにしてたら、噂が広まったのか腕に自信のあるヤツらがやってくる。その繰り返しさ」


「やっぱり⋯⋯そんなことだと思ったよ」


 時継は薄ら笑いをし、立ち上がった。


「瑾、お前は俺の想像した通りだよ」


 そして右手を瑾に差し出した。


「俺と来てくれ」


 差し出された右手を見つめながら、面を食らった瑾は、その場で固まった。


「何故だ」


「俺はお前みたいな強いやつを求めていたんだ」


 時継はだらんと下ろした左手を力強く握り締め、自分の宿願を瞳に宿した。


「俺はこの国を変える。亡者共を根絶し、国の   あるべき姿を取り戻す」


 



 


 


 

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