4 薔薇
事件のあったライブハウスからさほど遠くない所にあるファストフード店で、祐司と音羽は夕食をとっている。二階席の窓際にあるカウンターだ。
音羽は熱々のチーズが分厚い牛肉パティ四枚に挟まれてドロリとはみ出した巨大なハンバーガーにかぶりついている。昼食を食べ損なったので肉汁の匂いが祐司の食欲を暴力的にそそったが、祐司はもう少し控えめなメニューにした。
窓の外に視線を向けると、ビルの壁面一杯に設置された大型スクリーンが見えた。スキゼニー社が入居するビルが映し出されている。ドローンによる空撮を使ったニュース映像だ。周囲の建物との比較で、改めてビルの巨大さが分かった。
未曾有の被害者を出した、いわゆる殺人ゲーム事件において、スキゼニーのゲルト・フェアディーネンが怪しいと最初に報道されてから、ほぼ一日が経過した。しかし、真相の究明に向けての具体的な進展はないようだ。既に何度も見た情報が繰り返し放送されている。
スキゼニーが自ら情報を出す事は期待できない。さっさと証拠隠滅を図って沈黙を決め込んでいるのだから。
祐司たちにしたところで、事件を引き起こしたとみられる弔律を、ゲルト・フェアディーネンのサウンド担当者である
祐司と音羽は肩を触れ合わせながらスマホの画面を覗き込んでいる。傾き始めた陽が逆光となって差してくる為に見え辛い、という理由もあって、二人の距離はかなり近い。
どうしてもライブハウスの件が気になる祐司は、問題のバンド、ドント・リード・ジ・エアーの非公式ファンクラブのサイトを見て、管理人にメッセージを送ってみた。乱闘で友人が怪我をしたので、その時の状況を何かご存じなら伺いたい、と。
すると、思いがけない早さで反応が返ってきた。ファンからの問い合わせへの対応などで収拾がつかない状態なのではないかと予想していたが、管理人のmayoによると、そうでもないらしい。
祐司のスマホにはオンラインゲームのプレイ画面が映っている。紫色のツインテールがよく似合うアバターがこちらを向いて立っている。名門私立女子高校の制服を彷彿とさせる清純な衣装が可愛らしい。ただし、お嬢様キャラにしては恐ろしくスカートが短い。
「mayoさん、お忙しい中、早急にご連絡をいただきまして、ありがとうございます」
直接会って話すという選択肢もないわけではない。だが、いきなり知らない人と会うのは危険を伴うので、互いに警戒してしまう。その点、仮想世界でアバター同士で交流している分には安全だ。地理的な制約もない。何かと都合が良いと言えるだろう。
「いえいえ、忙しくなんかないですよ」
スマホの小さな画面の中で、コンピューターによって描き出された実在しない美少女が手を振った。声にも変調がかけられている。いわゆるアニメ声だ。
だから、性別年齢その他、リアルのmayoについては一切、不明だ。もちろん、知る必要もない。祐司の方も、mayoにはアイドル顔のアバターが人気声優のような甘く優しい声で話しているように見えているはずだ。
「事件についての問い合わせがファンから殺到していたりしませんか?」
「そうですねえ、直後はけっこう、賑わってましたけど」
「やっぱりそうですか」
「非公式ファンクラブだからこそ出せる情報が特にない、と分かると、みんなサーっと引いていきました。薄情者め。はあと」
ライブは十五時から十七時の予定だった。十六時前に事件が起こり、そこでイヴェントは打ち切られた。ニュース速報で知った祐司たちが現場についたのが十七時前。現在、十八時を過ぎたところだ。事件に対するファンたちの興味の収束は、ずいぶん早かったようだ。
「炎上したりしないんですか」
「いや、全く。静かなものですよ。神秘の森の奥深く、人知れずひっそりと佇む小さな湖に浮かぶ枯れ葉すらも揺れる事のない程に風は吹くことを忘れ、西の山になごり惜しげに引っ掛かったオレンジ色の陽は漣にさえも砕かれぬままに水面にありのままの姿を映し出し……聞いてます?」
「あ、はい、もちろん」祐司も音羽も、せっせと食事を進めていた。「今までにもライブで盛り上がり過ぎた事はあるんですか?」
「ないです」
きっぱりした様子でmayoは答えた。
「冷静なファンが多いんですね」
「なるほど、ものは言いようですね」紫の髪の美少女が体を揺らして笑った。「あんまり熱くならないんですよ。バンドの雰囲気や曲調がパスいもので」
「パ……?」
「パストラール。牧歌的、ですよ」
「はあ」
パスい、が一般的なスラングなのか、ドント・リード・ジ・エアーのファンに限定なのか、祐司には分からなかった。
「草食系ですしね、メンバーたち」
「ベジタリアンですか」
「いや、そうじゃなくて」
画面の中の少女は、苦笑いを浮かべて首と手を同時に振った。
「ヴィーガン?」
「そっち方面、一旦、忘れましょうか」mayoは冷静に祐司を捌いた。「要するに平和なバンドなんですよ。ヴォーカルのaine以外、全員男なのに、ややこしい事になってない」
「ややこしい?」
「ドロドロとした男女のあれやこれやがない、という意味です」
「ああ、分かる気がしますね。普通は争奪戦が始まる」
「でしょ? そこからチームワークにヒビが入って解散」
「いかにもありそうな話ですね」
「非公式ファンクラブの管理人としては、ガンガン揉めるぐらい熱い魂を見せて欲しいんですけどねえ」
「解散したら困るでしょ?」
「解散してからが、推しに対する愛の真価が問われるんです」
ツインテールを揺らして、美少女は拳を握り締めた。
「はあ、そうですか」
いろいろな価値観があるものだ。祐司には理解不能だが。
「ところで、怪我をされたお友達、大丈夫ですか」
ようやく本題に近づいた。ただし、あまり訊いて欲しくないというのが正直な気持ちだ。祐司は嘘をついてmayoと話す機会を得たのだから。
「幸い軽傷でした。ただ、精神的にはかなりまいっているようです」
「でしょうね。お悔やみ申し上げます」
合掌した少女が頭を下げている。
言葉の使い方がおかしいけれど、これも、ファンだけに通じるローカルルールなのかもしれない。謎多き世界。
「ご心配いただきまして、痛み入ります」
調子を合わせて、祐司は頭を下げてみた。こんな感じでどうだろう。
「おとなしい感じの人ですか、お友達」
自然に会話が進んだ。応答の仕方に問題はなかったようだ。
「ええ、そうですね」
「ですよね。私の知る限り、ファンはみんなそうです。だからライブが白熱したなんて信じられない。まあ、私も現場にいたので、信じざるを得ないのですが」
「現場に? mayoさん、大丈夫でしたか」
「顔に引っ掻き傷ができただけです」
「お悔やみ申し上げます」
「痛み入ります」
祐司はなんとなくmayoとのコミュニケーションのコツが掴めた気がした。
「新曲で突然、盛り上がったと聞きました」
青木刑事からの情報によると、そうなっている。現場にいたmayoから話を聞ければ、裏づけとして確実だろう。
「そうなんですよ」
「今までの曲と、何か違ったんですか?」
「エモいんです」
この言葉はすぐに古くなるんだろうなと思いながら、祐司は問い返した。
「熱くなる感じですか」
「ドンツの曲ではダントツですね」
「ドンツ?」
「ドント・リード・ジ・エアーの略称です。ファンだけに通じると思います」
「はあ、なるほど」
mayoに波長を合わせて相手をしていると、なんだか疲れる。でも、確認すべき事があるので、ここでやめるわけにはいかない。
「だとしても、乱闘するほどのものでもないと思うんですけどねえ」
清純お嬢様系の美少女が首を傾げた。
「曲作りはどなたが?」
「ryosukeです、ベースの。といっても、持っているだけで演奏はしませんが。子どもの時に音楽教室でピアノを習っていたとかで、楽譜の読み書きはできるようですね」
「今回の新曲もですか」
「あっと、失礼。新曲は、エスイーと名乗る人物から提供されたらしいです」
「エスイー、ですか?」
「公式には正体は不明、とされています。私にも分かりません」
「その点がいつもと違うんですね」
「ええ。悩んでましたからねえ、ドンツのみんな」
「盛り上がらない事に?」
「そう。なんらかのブレイクスルーが必要だと思っていたんでしょう、曲の募集をかけたぐらいですから」
「新曲コンペですか」
「そんなに立派なものじゃないですよ。なにせマイナーなインディーズバンドですから」美少女は眉をハの字にして両手を軽く上げた。「しかも自分で演奏しない」
愛があるが故の卑下だろうか。きっとそうだ。そうでなければ、非公式ファンクラブの管理人なんかするはずがない。
「どのぐらい集まりましたか」
「十七曲です」
親指を立ててウィンクをする緑のツインテールの少女は誇らしげに見えた。
「なかなか凄いんじゃないですか」
「そうですね。なにせマイナーなインディーズバンドですから。しかも自分で演奏しない」
繰り返さなくてもいいのに。
「その中から選ばれたんですね?」
「それがですね」
腕組みをして俯いている。
「何か問題があったんですか?」
「応募作のうちの六つは、自宅のピアノを適当に弾いてスマホで録音しただけのものでした。子供のピアノ発表会に来た親か、っての。速攻、ボツ。ぶぶー」
紫色のツインテールの美少女が顔の前で両手をクロスさせている。
「まあ、ありそうな話ですね」
「別の八つは、自分で適当に歌ってスマホで録音しただけのものでした。カラオケ大会か、っての。速攻、ボツ。ぶぶー」
再び両手クロス。
「残りは?」
「ノートのすみっこに恥ずかしい歌詞を書き殴ったのが一つ、別のバンドの曲名の横にこんな感じ、とメッセージが添えてあったのが一つ」
「最後の一つが、エスイーによる採用作ですね」
「いえ。いつも通りでいい、とチラシの裏にあいてありました」
「それじゃあ、新曲はどこから?」
「スタジオにメンバー全員が集まってレコーディングしている時に、エスイーに声をかけられたそうです。即、採用。ぴぽーん」
清純美少女の頭の上で、両手が丸を描いている。
「なんでメンバーがスタジオにいるんですか、当て振りだから自分では演奏しないのに」
「ヴォーカルを録りに行ったんだと思いますよ」
「メンバー全員で?」
「オールフォーミー! ミーフォーミー! aineの座右の金言です」
分からなくはないが。バンドというのは、なかなか難解な世界のようだ。
「スタジオはどこですか」
「スタジオふぁっと、という所です。エンジニアのボリシュケさんは、業界では知らない者のいないほどの有名人ですよ。多くの実力派ミュージシャンと仕事をしています。住所は――」
祐司はmayoからの情報を書き留めた。
「ちょっとこれを聴いていただきたいんですが」
青木刑事から入手したドント・リード・ジ・エアーの新曲から冒頭部分を切り取ったデータを、音羽が自分のスマホで鳴らした。
「間違いないです、この曲です。ていうか、どこで入手したんですか!」美少女が普通の少女になるほど目を見開いている。「手売りCDはもちろん、ネット配信さえしていないのに」
「あのライブハウスに友人が勤めてまして。事件当時、現場にはいなかったらしいんですけど」
嘘を重ねてしまった事に祐司は心が痛んだがしかたない。こうでも言わないと、データを入手した経緯を説明できない。まさか、弔律で刑事を動かして、などと言えるはずもない。
「凄いな。データ下さいよ」
「絶対に他人には渡さない、という約束で提供されたものなので、ご容赦下さい。友人の身が危うくなりますので」
「了解であります」背筋を正した美少女に敬礼された。「非公式ファンクラブ管理人の名にかけて、諦めるぜ!」
涙を滲ませている。よく分からないノリだ。
それはともかく。青木から入手したものが、ライブハウスが乱闘に突入した時にかかっていた曲である事が確認できた。音羽と蒼久によると、そのデータに弔律は仕込まれていない。やはり、弔律は関わっていないのだろうか。勘なんてあてにならないんだな、と祐司は苦笑いした。
「イントロからいきなりおかしくなったんですか?」
「そうです。コンマ数秒で、興奮した私の姉がステージに上がっちゃいました。瞬間湯沸かし器ですね」
青木から聞いた通りだ。瞬間湯沸かし器、という単語がよく分からないが。mayoは何歳なのだろう。少々、言葉が古い感じがした。ていうか、姉?
「mayoさんも気分が高揚したりしませんでしたか」
「しました。ちびりそうなほど体が震えました。恥ずかしながら、私もステージを目指しました」
まるっきり当事者ではないか。何人も死者の出た現場で、よく引っ掻き傷だけで済んだものだ。
「そして、乱闘?」
「はい、もう、わけが分かりませんでした。いっきに室温が上がった感じです。冬から春を飛び越して常夏です。クーラー全壊です。椰子の実が落ちてきても過言ではありません。その場の全員が、いきなり力の限り酔っ払ったみたいでした」
祐司のスマホと接続されているイヤホンの片方を装着した音羽が頷いている。現象としては、弔律によるものだとしてもおかしくないようだ。
「騒ぎが収まる時はどんな具合でしたか?」
「きょとん、としました」
「きょとん?」
「なんと言うんですかねえ。対戦格闘ゲームでライフがあと数ミリという最高に盛り上がっている時に、猫にリセットボタンを踏まれて二人とも無言になった、みたいな。みんなぼんやり立ってました。曲が終わったのと同時だったかなあ」
最近のゲーム機には猫が踏めるようなリセットボタンはついていないんだけどなあ、と思いつつ、祐司は尋ねた。
「憑きものが落ちたように?」
「そう、そんな感じです。残念な事に、命まで落ちちゃった人も大量にいましたが」
お悔やみ申し上げます、と言うべき状況なのだろうか。祐司は、判断がつかなかったのでやめておいた。
「本日は、どうもありがとうございました。お話が聞けて嬉しかったです」
「いえいえ、話せて楽しかったです。こんなにドンツ事件に興味を持って話を聞いてくれた人、他にいなかったので」
ずいぶん寂れたファンクラブだ、と祐司は感じた。バンド自体がそもそも熱量の少ない集団なのも影響しているのかもしれない。そんな人たちを熱狂させたものはなんなのか。弔律との関係はあるのか。結局、そこのところははっきりしないままだ。
「それでは、失礼いたしま……」
「あ、待って!」
紫色の髪をした清純なお嬢様が、慌てて祐司を引き止めた。
「どうしました?」
「一つ、気になる事が」
「なんでしょう」
「ドンツの新曲のデータ、さっき聴かせてもらいましたけど、ちょっとだけヘンです」
「ヘン、と言いますと?」
「欠けてるんですよ」
「欠けてる?」
「ええ。ライブの時にはローズが入っていたはずなんですけど」
「薔薇ですか? 曲に薔薇が入っていたとはどういう事ですか? 何かのメタファーですか?」
音羽は突然むせて、自分の胸を叩きながらクリームソーダのグラスを引っ掴んだ。急いで飲み下す。巨大なバーガーを喉に詰まらせたようだ。祐司の顔を見ながら、何か言いたそうに首を振っている。目には涙が滲んでいた。上唇についたソフトクリームを舌で舐め取って息をつく。
「違います。音色のローズですよ。『フェンダー・ローズ・エレクトリックピアノ』という昔の鍵盤楽器の音をシンセなどで再現したものです。すごく人気があって、多くのミュージシャンによって愛用され続けています」
さっきとはうって変わって真剣な顔をした音羽が、目を細めてスマホの画面をじっと見つめた。mayoの話に、何か感じるところがあるようだ。
「大変参考になりました。ありがとうございます」
祐司は丁寧に礼を言って、ログアウトした。
「音羽、大丈夫か? 落ち着いて食べればいいのに」
「あなたが笑わせるから」
「そうなのか?」祐司には、音羽が何を笑ったのか分からなかった。「それはともかく。どう思う?」
「ローズが欠けていた、というのが気になる。それが入ると何が違うのか」
「そうだな。それから、エスイーという人物」
「確かめなければ」
「ドンツの新曲には何か仕掛けがある。僕にはそう思える」
ぼんやりしていたものが形になって見えかかっている。そんな手応えを感じた。
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