4 告白

 祐司が家に帰ると、リビングが妙に殺気立っていた。父と母がローカル局のニュース番組を大きな音で鳴らしながら睨みつけていた。弟の洋治ようじはダイニングテーブルにノートパソコンを置いてヘッドホンを被り、忙しくマウスを動かしている。

 なんとなく、嫌な感じがした。何が、とは明確に言えないが、邪悪な気配のようなものを祐司は感じた。

 祐司がバイトをしている商店街から二駅離れた住宅街に自宅はある。特別に大きい、とは言えない一戸建てが並んでいる。駐車スペースが二台以上ある家は希だ。夜になると人通りは途絶え、犬の遠吠えと酔っ払いのスプラッシュ・ヴォイスぐらいしか聞こえるものはない。

「お前、大丈夫なのか!」

 祐司の帰宅に気づいた父が興奮気味に声をかけてきた。母は立ち上がって駆け寄り、祐司を抱きしめた。洋治は、ちらりと視線を投げてきただけだ。

 ネットカフェでの事件の事を言っているのは明らかだった。テレビでニュースになったのは間違いない。全国で、とんでもない数の人が不可解な状況で亡くなったのだから。重傷者も少なくない。

 渦中にありながら無傷で生還した祐司は執拗なインタビューを受けた。ローカル局で放送に使われた尺は短くないだろう。両親はそれを見たようだ。今もテレビには緊急報道番組が流れている。

「なんともないよ。この通り」

 母から体を離して、祐司はクルリと回ってみせた。

「なんですぐに電話をしてこないんだ」

 父の言う事はもっともかもしれない。でも無事だったからなのか、思いつかなかった。改めてスマホを確認すると、スクロールさせるのが面倒なほどの着信が残っていた。酷く疲れていたのとニュース速報に衝撃を受けたせいで、全く着信通知を確認する事なく帰宅した。

 祐司は洋治の方を向いた。二つ年下で、高校二年生だ。パソコンの画面は見えないが、勉強をしているふうではなかった。マウスがテーブルの上で踊り狂い、左手は耳が痛いほどの音を立てながら激しくキーを叩いている。

「余裕だな。もう勉強はしなくていいのか」

 洋治は県内で一番レベルが高いと言われている高校で常にトップの成績だ。

 嫌味を言ってみたが、耳をすっぽりと覆う大きなヘッドホンのせいだろう、洋治に聞こえた様子はない。

 お前の兄さんが死にかけたんだぞ、少しは心配しろよ。祐司がそう呟くと、母が切なげな息を吐いた。

「クソがーっ!」

 洋治がいきなり叫んでヘッドホンを投げ捨てた。再びテレビを覗き込んでいた両親が驚いて振り返った。洋治は兄とは違って、勉強でも何でもできる優等生だった。乱暴な言葉を吐いた事はない。

 なんだかんだで、こいつなりにストレスが溜まっていて、ちょっと叫びたくなったんだろう。祐司はそう思ったが、洋治の暴言は際限なく続いた。やはり様子がおかしい。父は眉を寄せ、母は落ち着かない様子で洋治を見ている。

 祐司は洋治が使っているパソコンの画面を覗いた。ゲルト・フェアディーネンだ。人々を狂わせ殺人へと駆り立てた、と疑われている。なんで、よりによってこんなものを。ニュースを見なかったのだろうか。そしてなぜ、親は止めなかったのか。

 おそらく、テレビに夢中になっている両親は洋治がゲームをしている事にすら気づかなかったのだ。そして洋治はテレビを見ない主義だ。いにしえのメディアになど興味はない。確か、そんな事を言っていた。

 それにしても、ゲルト・フェアディーネンのサービスが継続されているのは不自然に思えた。あれだけの騒ぎを起こしておきながら、なぜ止めないのか。それをすると非を認めた形になるからだろうか。メンツより大事なものがあるはずなのに。

 どうしたの? と母が怯えながら洋治に声をかけた。

「うるさい!」

 洋治はマウスをテレビに投げつけた。ニュース画面が激しい光を発すると共に消えた。ボン、と音が出て、工業製品が焦げる嫌な臭いが漂った。マウスはたいして重くない。そんなものでテレビを壊すには、かなりの力が必要なはずだ。洋治はリミッターが外れている? まるで、祐司が遭遇した必殺技少女のように。

 まだ気が済まないのか、洋治はキーボードを拳で叩き割った。外れたキートップがいくつか、軽い音と共にフローリングの床で弾んだ。

「武器はどこだ」

 洋治はそう呟きながらキッチンへと向かった。

 しばらくうろついていたが、すりこぎとオタマを手に戻ってきた。仁王立ちで祐司を睨みつける。両親が近づこうとすると、手にした武器で威嚇した。

「おい、やめろ洋治」

 祐司が声をかけた。

「何だと」洋治の声は低く抑えられていた。「ダメ兄貴のくせに、俺に命令するのか」

「お前は俺と違って良い子だろ。バカな事はやめろ」

「良い子って疲れるんだぞ。バカには分からないだろうけどな」

 祐司は違和感を覚えた。洋治は、ただ凶暴化しているのではないように思えた。祐司に敵意を向けているのが分かる。

 仕組みは分からないが、普段、抑えている兄に対する不満が爆発しているのではないだろうか。おそらく、トリガーはゲルト・フェアディーネンだ。祐司は壊れたノートパソコンを見た。ビクビクと表示が引きつりながらも、まだ画面は映っている。

「なんだかんだ言っても、父さんも母さんも兄貴の方が可愛いんだ。死ねばよかったのに。消えろよ、消えてなくなれ」

 洋治の顔が歪んでいった。唇の端が吊り上がり、ぎょろりとした目は血走っている。洋治のそんな顔は見たことがなかった。怒っても、せいぜい冷笑を浮かべるだけだ。

 取り返しのつかない事になる前に、なんとかしなくては。

 幸い、洋治が手にしているのは包丁やナイフではない。少しは痛いだろうが、すりこぎとオタマならたいしたダメージはないはずだ。

 その時、祐司はふと思った。なぜ洋治は殺傷能力の高いものを武器として選ばなかったのか、と。普通なら、真っ先に包丁を手にするのではないか。

 そして、今日ネットカフェで遭遇した事件とは明らかに違う所がある事に気づいた。洋治とは会話が成立している。

 これなら、なんとかなるかもしれない。

 祐司は慎重に間合いを計った。喧嘩の時の洋治の癖は分かっている。目を閉じて無暗な突進をしてくるだけだ。ただし、リミッターが外れている今の洋治を、どこまで相手にできるだろう。

「やるんならさっさとこいよ、洋治。どうせ俺には勝てないんだからな」

 挑発すると、洋治は甲高い声で喚いた。

撃破げきは大車輪だーいしゃりーん!」

 ゲルト・フェアディーネンの必殺技だ。目を閉じて両腕を振り回す。ダッシュして、そのままぶつかってきた。

 祐司は両手を開いて抱きしめるように受け止めた。だが洋治は止まらない。祐司はずるずると押されていく。両手に持ったすりこぎとオタマが祐司の頭や背中に襲いかかった。力の加減が全くされていないのだろう、意外なほどに痛かった。でも堪えた。

「洋治、しっかりしろ」

 耳元で優しく囁いた。洋治の力が少しだけ抜けたように感じられた。そっと背中を撫でた。

 やがて洋治の動きが止まった。祐司から離れて、ふらふらと下がっていく。その目には涙が光っていた。「にいちゃん……」

 すりこぎとオタマが床に落ちた。小学生の頃に虐められて帰ってきた洋治の姿がふと、瞼の裏を掠めた。

 洋治は僕を恨みつつも憎んではいないのではないか。祐司は、なんとなくそう思った。だから敢えて中途半端なものを武器として選んだのだ、と。

 収まったか、と父が呟き、母が長い息をついた。

「こんなものがあるから」

 父がノートパソコンを持ち上げた。ケーブルを踏んでいる。ヘッドホンが抜けた。大音量でゲルト・フェアディーネンのBGMが鳴り響いた。

掌激弾しょーうげーきだーん!」

 洋治は再び必殺技を叫んで猛烈な勢いで襲いかかってきた。ふいを突かれて、無防備の祐司は突き飛ばされた。洋治は倒れた祐司の傍を勢いのままに駆け抜けて、リビングと外とを仕切る掃き出し窓に頭から激突した。ガラスが砕け散る派手な音と共に突き破って、庭に転落した。

「洋治!」

 洋治はリビングから漏れる明りで照らされた庭木の間に、ゆらり、と立ち上がった。ゆっくり振り向いた洋司の顔は何かでべっとりと濡れていた。ガラスで切ったのかもしれない。

 大きく口を開いて、祐司は何かを叫ぼうとした。また必殺技か? だがその瞬間、吊るしていた糸が切れた操り人形みたいにガックリと庭土の上に崩れ落ちた。すぐ傍に、スマホを手にした女神さまが立っていた。

 祐司は父と二人がかりで意識のない洋治を家の中に運んだ。母の呼んだ救急車が間もなく到着した。

「来て」

 女神さまは祐司に声をかけると、背を見せてどんどん歩き始めた。

「待って下さい」

 祐司は家の中を振り返った。父はソファーで放心したように天井を見つめている。母は洋治を乗せた救急車に同乗して病院へ向かった。どちらも心配ではあるが、祐司が家にいてもできる事はなさそうだ。祐司は女神さまについて行く事にした。いろいろ訊きたい事がある。

 やがて二人は公園に入った。大きなものではない。遊具も限られている。子供の頃、洋治と何度も来た事がある場所だ。頼りない街灯に照らされた小さなベンチに並んで座った。肩が触れ合う近さだった。初めて会った時と同じく、香を焚いたような匂いを感じた。星はほとんど見えない。街が明る過ぎるせいだろう。

「なんでうちの庭にいたんですか」

 身の回りで大変な事件が起こると、その度に現れる。何者なんだ、この女神さまは。祐司は油断なく尋ねた。

「あなたがいるから」

 女神さまの静かな声からは、なんの感情も読み取れなかった。

「あとをつけてきたんですね」

「そうよ」

「どうして」

 女神さまは祐司の方に顔を向けて、真っ直ぐに見つめた。

恵神えがみ音羽おとは

「何ですか、それ」

「私の名前。あなたにもあるでしょ?」

「鳴沢祐司、ですけど」

 音羽は無表情のまま頷いた。

「早速だけど、祐司」

「はい」

「私と結婚して」

「はい。……は?」

「私には、あなたの力が必要なの。全世界でたった一人。オンリー・ワンの、あなたのその能力が」

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