第28話 岩村城の戦い

 ◇ 天正3年(1575年)6月~9月


 織田信長は越前の一向一揆討伐のため、三万を超える大軍を率いて出陣した。

 かつて越前は朝倉義景の支配する地であったが、義景が討たれ朝倉家が滅亡すると、一向宗の門徒たちが蜂起し、その支配を掌握した。

 信長が朝倉家を滅ぼした後、彼の軍勢は浅井長政の小谷城攻略に集中していた。その間に越前では一揆勢力が拡大し、織田家の統制が及ばぬ状況となった。しかし、長篠の戦いによって武田家の脅威が後退し、信長はついに越前征伐に動く。


 この戦には、佐久間信盛、柴田勝家、滝川一益、羽柴秀吉、明智光秀、丹羽長秀、佐々成政、前田利家といった名将が従軍している。

 信長にとって越前制圧は戦略的に極めて重要な戦いであり、同時期に行われた岩村城の攻防は枝葉の戦にすぎなかった。


 先陣を切ったのは旧朝倉家臣たちであり、その後を羽柴秀吉、明智光秀らが続いた。

 越前一向一揆との戦は激烈を極めたが、信長の軍勢は半月余りの戦闘の末に次々と一揆勢を討ち滅ぼしていった。

 その結果、三万人以上の一揆勢が討ち死にしたという。

 伊勢長島での一向一揆との戦いが泥沼化したことを教訓とし、信長は越前での戦では容赦のない殲滅戦を選択した。

 短期間で徹底的に征伐することで、長期戦の弊害を回避しようとしたのだ。


 この戦において、武田元明も若狭衆を率いて参戦していた。

 本来、若狭衆は丹羽長秀の指揮下にあったが、武田元明は若狭湾の塩の交易で得た資金を用いて彼らを一時的に借り受ける形をとった。

 表向きは丹羽長秀の与力として戦に加わった形であったが、実際には若狭衆の有力武将が彼の指揮下に入っていた。

 武田元明とその率いる若狭衆は奮戦し、一向宗勢力との戦いで数々の武功を挙げた。


 越前を平定した信長は、占領政策を徹底するために柴田勝家に越前の支配を命じ、城を築かせた。

 そして前田利家や佐々成政を与力として付け、北陸方面軍を編成した。柴田勝家は越前を拠点とし、加賀の一向一揆や上杉勢との戦いに臨むことになる。織田信長の軍編成における方面軍の制度は、ここに始まったのである。

 九月末、信長は越前での軍務を終えると、岐阜城へ帰還した。

 この越前平定の報は、ただちに武田家の元にも届いた。岩村城が織田軍に包囲されているという状況下で、武田勝頼は信長が岩村城救援に向かう前に兵を動かすべきか検討し始める。

 だが、その決断を下す前に岩村城落城の報せが届いた。


 武田家は東美濃への足がかりを完全に失うこととなった。



 岩村城は兵糧の搬入に失敗し、城内の備蓄は底を尽きかけていた。長篠の戦で大きな損害を受けた武田勝頼が援軍を派遣するには時間がかかる。しかし、城兵がそれまで持ちこたえることは困難であった。加えて、信長が越前平定をほぼ終えたとの情報が届き、岩村城への攻勢が一層強まる可能性が高まった。

 城主・秋山虎繁は決断を下す。城内の兵糧が尽きる前に決戦を挑むしかないと。

 九月半ば、秋山虎繁は夜陰に紛れ、信忠軍に奇襲を仕掛けることを決意する。


 岩村城の窮状や武田や越前の情報はもちろん信忠は理解している。今の情勢下であれば秋山虎繁が野戦で勝負に出るのは必然と考えて配下に警戒するように指示していた。

 警戒していた信忠軍の毛利秀頼もうりひでより河尻秀隆かわじりひでたかは夜襲をして来た秋山虎繁に反撃して壊滅的な被害を与えた。


 この敗北により、岩村城の継戦能力は完全に喪失された。

 城は降伏を余儀なくされ、秋山虎繁とおつやの方の首を差し出すことで、城兵の助命を嘆願することとなった。

 遠山一族もこの戦により粛清され、岩村城は史実より一月ほど早く落城した。

 運命を変えることはできず、おつやの方は哀れにも磔刑に処された。


 決戦において京極高次は蚊帳の外であった。

 城を囲んで見ていただけである。しかし、彼の提言による見張りの強化と彼の陣借りをしていた藤堂高虎の働きにより岩村城の陥落が早まったのは事実である。

 その功績は目ただずに評価はあまりされていない。毛利秀頼と河尻秀隆の輝かしい功績に打ち消されてしまっている。


 水野家は古くから三河を支配してきた豪族である。かつては松平家に臣従し、水野信元の妹が松平宗家に嫁いでいた。

 しかし、松平家が駿河の今川氏の圧迫を受け、ついにはその傘下に入ると、水野家は松平家を見限る。

 松平家に嫁いでいた娘を離縁させて呼び戻すと、織田家についたのである。

 この時、水野信元の異母妹である於大の方は、すでに松平家で男子を産んでいた。

 その男子こそが、後の徳川家康である。織田家に臣従した水野信元は桶狭間の戦いの後に信長と家康の清洲同盟を仲介するなど、三河地域における織田家の影響力を示す重要な立場となった。

 その後も、織田家の武将として姉川の戦いや長篠の戦いに参加し、同盟国である徳川家とも深い関係を築いた。

 そして、織田家中でも地位を確保し、信長からの信頼も厚かった。


 水野信元は隠居して第一線を引くことで織田家内の出世争いから離脱することにした。


「俺は隠居して京に行く。後のことは任せる」

「私は未だ若輩です。せめて三河に残っていただけませんか?」


 水野信元が隠居することに容姿の水野信政は不安に感じていた。

 織田と松平(徳川)に挟まれた難しい立地の土地を、双方へ繋がりをもつことで生き抜いて来たのが、水野信元だ。


「いや、俺は織田にも徳川にも信用されていない。今や織田家の優位は動かず水野家は独立した国衆ではいられない。そんな家に蝙蝠のように敵味方を入れ替えていた俺がいたら信用されぬだろう。今後のことを考えれば俺はいないほうがいいのだ」


 水野信元は家康の伯父である。織田と徳川に挟まれた水野家は徳川家の中で出世を目指した方が今後のためになるだろう。

 そう考えた水野信元は三河を去り京へと向かった。

 水野信政は西三河を治める立場から、徳川の与力へと変貌していく。



 長篠の戦いに勝利した徳川軍は三河・遠江の武田軍を駆逐して光明・犬居・二俣といった城を奪取した。

 さらに諏訪原城を攻略して高天神城へ睨みを利かせる。

 遠江西部の高天神城は武田が遠江攻略の要である。武田信玄が落とせなかった高天神城を武田勝頼が攻略したということもあり、勝頼にとっては自らの武威を示すシンボルであり高天神城を守るのに必死であった。

 支城を作り高天神城が包囲されて孤立しないようにする武田と、高天神城を孤立させて兵糧攻めをしたい徳川の攻防が続いている。

 水野信政はその戦いに加わることになったのである。

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