Prologue 戦国時代解説②
この物語は、
まずは前世史実の京極高次がどのような人生を送ったのかを記しておく。
◇ 京極高次(前世史実)
・永禄6年(1563年)1歳
京極高次が生まれる。
・元亀元年(1570年)8歳
京極高吉により人質として岐阜の織田信長のもとへ送られた。
・元亀4年(1573年)11歳
初陣で足利義昭の立て籠もる槙島城を攻める。
功績により5000石の領地を得る。
・天正10年(1582年)20歳
本能寺の変にて、明智光秀に助力する。
羽柴秀吉の居城の長浜城を攻める。
山崎の戦いで明智光秀が討たれると、降伏せずに逃亡する。
・天正11年(1583年)21歳
越前の柴田勝家に匿われる。
柴田勝家が羽柴秀吉に敗北する。
羽柴秀吉に捉えられるが、秀吉の側室となっていた竜子が助命嘆願をして助けられる。
・天正12年(1584年)22歳
秀吉から2500石の領地を与えられる。
・天正15年(1587年)25歳
浅井長政と市の方の娘の初を正室とする。
・天正17年(1589年)27歳
初の姉の茶々が秀吉の子の鶴松(早世する)を産む。
これにより茶々は淀殿と呼ばれ正室に準ずる立場となる。
淀殿の妹婿の高次の立場も上昇する。
・天正18年(1590年)28歳
小田原征伐の功により2万8000石を与えられる。
・文禄2年(1593年)31歳
淀殿が拾(後の豊臣秀頼)を産む。
・文禄4年(1595年)33歳
近江に6万石を与えられる。
・慶長5年(1600年)38歳
徳川家康の東軍と石田三成の西軍による天下を二分する戦いが始まる。
京極高次は嫡男を西軍へ人質に出すが、東軍へ寝返り大津城で籠城する。
大津城は西軍に攻められて、陥落する。
大津城が陥落した翌日に関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利する。
出家しようとした京極高次を家康は慰留する。大津城での戦いで西軍主力を足止めした功が認められた。
若狭8万5000石に加増される。
・慶長6年(1601年)39歳
近江国高島郡を加増されて、9万2000石の大名となる。
・慶長14年(1609年)47歳
京極高次が没する。
こちらの世界において、京極高次は二十一世紀の記憶を持つ転生者である。
彼は未来の知識を持って、戦国の歴史を変えてしまう。
その活躍を記す前に、織田信長が上洛する永禄11年までの京極氏を取り巻く歴史を追って行くことにする。
◇ 戦国時代年表
・応仁元年(1467年)~文明9年(1477年)
応仁の乱。
東軍と西軍に分かれて全国の守護大名を巻き込んだ大戦。
それぞれの守護大名が個々の利益の為に動いたことで、収集がつかなくなり長期化した。
幕府の統制が守護大名に利かなくなったことで、戦国時代の始まりとの考えがある。
・文明2年(1470年)~永正2年(1505年)
京極騒乱。
京極持清が応仁の乱の最中に没して、後を継いだ嫡孫の孫童子丸が一年で亡くなった為に起きた京極家内の家督争い。
京極高清の領国統一をするまで三十年以上争った。
京極騒乱により京極氏は衰退して四ヶ国守護から北近江半国守護となる。
・明応2年(1493年)
明応の政変。
細川政元らによるクーデター。将軍を足利義稙から足利義澄へと挿げ替えた。
将軍家の権威が地に落ちて分裂したことで、幕府による守護大名の統制が完全にとなれくなり戦国時代の始まりとする説も多い。
・永正4年(1507年)
永正の錯乱。
家督を巡り室町幕府管領細川政元が暗殺された事件。
・永正5年(1508年)
足利義稙が大内氏をともない上洛して将軍に復帰する。
・大永元年(1521年)
足利義稙は細川高国と対立して京を出奔する。
細川高国は足利義澄の子の足利義晴を将軍に擁立する。
・大永6年(1526年)
細川高国と細川晴元が対立し、敗れた細川高国は足利義晴を連れて京を脱出する。
足利義晴は朽木谷で将軍としての政務を行う。
・天文3年(1534年)
足利義晴と細川晴元が和睦して、足利義晴は京に戻る。
・天文7年(1538年)
京極高清が亡くなると、浅井氏に擁立された京極高延が京極氏の家督を継ぐ。
しかし、京極高吉が六角定頼に助けを求めて六角の軍勢と戦う。
この後に浅井家とも決別して京極高吉に家督を奪われる。
・天文15年(1547年)
足利義輝が十三代将軍に任じられる。
この頃の畿内情勢は複雑で、父義晴は細川晴元と対立したり、三好長慶と対立したりで、度々京を追われた。
足利義晴が亡くなり、義輝の代になっても同様で、足利義輝は京を離れて朽木谷で過ごすことが多くなる。
時期は不明だが、浅井氏に実権を奪われた京極高吉が京極家再興の為に、朽木谷にいた足利義輝に仕えて近習となっている。
・永禄元年(1558年)
足利義輝が三好長慶と和睦して京に戻る。
・永禄3年(1560年)5月19日
桶狭間の戦い。
織田信長が尾張に攻め込んで来た今川義元を撃退した。
今川義元が討ち死にしたことで、今川家は衰退していく。
・永禄3年(1560年)8月中旬
野良田の戦い。
浅井久政が六角氏に従属していたことに不満を持つ北近江の国衆が、久政の子の長政を大将に担いで起こした反乱。
浅井長政が六角義賢を破り、浅井氏は六角氏から完全に独立して戦国大名化した。
この戦いには北近江の実権を浅井氏から奪い返すために京極高吉も参加している。
京極高吉は浅井長政に引き渡された。
・永禄3年(1560年)末
京極高吉と京極マリア(浅井長政の姉)との婚姻。
浅井長政は北近江守護の京極家の権威を取り入れる為に、姉を高吉に嫁がせた。
小谷城の京極丸と呼ばれる一角に屋敷を与えて軟禁状態とする。
・永禄5年(1562年)
京極高吉と京極マリア(浅井長政の姉)との間に娘が生まれる。
京極竜子と名付けられる。
竜子の生年は不明で京極高次の妹ともされるが、ここでは姉とする。
・永禄6年(1563年)
京極高吉と京極マリア(浅井長政の姉)との間に男子が生まれる。
小法師と名付けられる。
後の京極高次である。
・永禄6年(1563年)
観音寺騒動。
六角義治が観音寺城内で重臣を無礼討ちして、家臣団に城を追放された事件。
後に和解するも六角氏の影響力は低下した。
・永禄8年(1565年)
永禄の変。
将軍・足利義輝が三好軍に討たれる。
・永禄9年(1566年)
京極高吉が義輝の弟の足利義秋の近習となる。
・永禄11年(1568年)
織田信長が上洛して、足利義昭が征夷大将軍に任じられる。
◇
・天文3年(1534年)1歳
織田信長は尾張国で織田信秀の子として生まれる。
・天文21年(1552年)19歳
父・織田信秀の死去により織田家の家督を継ぐ。
・弘治2年(1556年)23歳
稲生の戦い。
弟の信行と家督を争った戦い。勝利して尾張国の地盤を盤石にした。
信行は二年後に謀反を計画した為に謀殺される。
・永禄3年(1560年)27歳
桶狭間の戦い。
織田信長が尾張に攻め込んで来た今川義元を撃退した。
今川義元が討ち死にしたことで、今川家は衰退していく。
・永禄4年(1561年)28歳
清州同盟。
織田信長と松平元康(徳川家康)が同盟を結ぶ。
・永禄10年(1567年)33歳
稲葉山城の戦い。
美濃の斎藤氏を敗走させた。
美濃の支配権を確立して、稲葉山城を岐阜城と改める。
・永禄11年(1568年)34歳
織田信長は足利義秋を奉じて上洛する。
◇
・天文14年(1545年)1歳
浅井久政の嫡男として生まれる。
・永禄3年(1560年)16歳
野良田の戦い。
六角氏との戦いに勝利して、独立を果たす。
北近江の戦国大名として成立する。
・永禄6年(1563年)19歳
六角氏の内紛(観音寺騒動)に乗じて六角に攻め入る。
・永禄9年(1566年)22歳
六角氏の内紛に乗じて六角に攻め入る。
・永禄10年(1567年)23歳
織田信長と同盟を結んで、信長の妹の市を娶る。
・永禄11年(1568年)24歳
織田信長の上洛戦に付き従い、六角・三好と戦う。
◇
・天文14年(1545年)1歳
六角義賢の嫡男として生まれる。
・弘治3年(1557年)13歳
六角の家督を継いで当主となる。
・永禄3年(1560年)16歳
野良田の戦い。
・永禄6年(1563年)19歳
観音寺城内で重臣を観音寺城内で無礼討ちする(観音寺騒動)。
この事件に反発した国衆らにより、父の義賢と共に観音寺城を追われた。
機に乗じた浅井長政が攻め込んで来たので、国衆らは六角親子と和解して義治たちは観音寺城へ帰還することが出来た。
だが、この騒動により六角氏の権力は規制され、南近江の国衆に対する影響力は低下した。
・永禄8年(1565年)21歳
永禄の変で殺された足利義輝の弟の足利義秋が近江に逃げて来ると匿うことにする。
・永禄9年(1566年)22歳
三好の調略により独断で足利義秋を暗殺しようとするが、気付かれて逃亡される。
六角は足利義秋と手を切り、三好と同盟するしかなくなる。
・永禄11年(1568年)24歳
織田・浅井・徳川による足利義昭の上洛軍に立ちふさがる。
観音寺城を落とされて、六角氏は戦国大名として滅亡する。
この後の義治は近江を舞台に織田信長に対してゲリラ戦を仕掛けていくことになる。
◇
・天文6年(1537年)1歳
十二代将軍・足利義晴の子。十三代将軍・足利義輝の同母弟。
慣例により仏門に入り覚慶と名乗る。
・永禄8年(1565年)29歳
永禄の変により、兄・義輝と母を三好勢に討たれる。
細川藤孝の手引きで、近江の和田惟政邸へ逃れる。
・永禄9年(1566年)30歳
還俗し、足利義秋と名乗る。
各地の大名に働きかけ、三好征伐および自身の将軍就任への助力を求める。
六角義治の裏切りにより近江を脱出し、若狭の武田義統を頼る。
さらに若狭を離れ、越前の朝倉義景のもとへ身を寄せる。
・永禄11年(1568年)32歳
足利義栄が征夷大将軍となる。
義秋は足利義昭に改名する。
足利義昭は越前を出て美濃の織田信長を頼る。
織田信長が足利義昭を奉じて上洛軍を出す。
上洛軍が六角氏の観音寺城を陥落させる。
上洛軍が畿内の三好氏を撃退する。
足利義昭が十五代将軍に任じられる。
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