ゴーレムとアルラウネ
昼食を終えたばかりの昼下がり。
門戸を叩いたのは村外部からの来訪者だった。
冒険者を称する男は名をフランクといい、顔に深い皺を刻んだ強面だった。
魔物蔓延る世界を練り歩くだけあって体格はがっちりしており、歴戦の傷なのか片腕を欠損していた。
しかし残る右腕はアイリスの胴体と同じくらいの太さで、背負うただんびらを悠々と振り回す姿を容易に想像できる。
要は筋骨隆々の厳つい男であり、来訪者を出迎えたアイリスは「ひょえ」と変な声を出してしまった。
マルセルの指示通りフランクを診察室へ通したアイリスは、同時に退席も命ぜられた。
――確かに怖いけど、別に良いじゃない。
盗賊に襲われて以来、男性とふたりきりにはなりたくない。しかしマルセルが同席するなら話は別だ。むしろマルセルが有する治療に関する特別な知識を得たいアイリスにとっては機会の損失でしかないのだ。
今からでも戻ろうか。
診察室の扉へ手を伸ばそうとして、
「なにが魔法を使える治癒術師だクソヤブめ!」
診療所を丸ごと揺らすほどの怒声が響き、アイリスは「ぴゃあ!」と逃げ出した。
ドガン、と乱雑に扉が開く。
扉の前にいなくて正解だ。いたら今頃扉を飾るレリーフになっていた。
鼻息を荒くして出てきたフランクは、呆然とするアイリスを一瞥すると大きな溜息を吐き、診療所から出て行った。
遅れて眉間に皺を寄せたマルセルが出てくる。
「所詮はならず者だな」
悪態をつくマルセルにアイリスは問う。
「フランクさんは何を怒ってらしたのですか?」
「フランク? ああそんな名前だったか。奴の言った通りだよ。僕が魔法を使える治癒術師だと思い込んで、勝手に憤慨しただけだ」
「魔法とはまた……まあ気持ちはわかりますが。何をそんなに治して欲しかったのですか?」
魔術と魔法は似て非なるものだ。魔を扱う術を総じて魔術と呼ぶが、魔法は魔を用いた法則への干渉だ。
治癒術で言えば再生力の活性化が基本原理であり、人間本来が持つ治癒力以上のことはできない。出血する傷は塞げても、流れ出た血は戻せないのだ。
何もかもを全て治してしまえるなら、それは確かに御伽話の魔法だろう。
「腕だよ。治して欲しいなら元の腕を持ってこいと言ったら、あるならお前のところには来てねえだと。なら無理だと突っぱねたらあのザマだ」
「それは確かに無茶ですね。普通の治癒術師ならですけど」
試しにとアイリスはカマをかけてみる。
マルセルのことだ。実は腕を生やす新薬を作っている、とか言いかねない。
そうでなくとも何かしらの手段を持っているはずだ。
突っぱねたのは、たぶんフランクの態度が気に食わなかっただけだろう。
「まあな。方法がないわけでもない」
「やっぱり。まだ近くにいるでしょうから、呼んできましょうか?」
「要らん」
「でもベテランの冒険者という風貌でしたから、お金はたんまり持っているのでは?」
アイリスの言葉にマルセルは思案する。
「……確かに金はありそうだ。利き腕は生命線だろうし、むしり取るか。断るならやはり突っぱねればいいわけだしな」
ぶつぶつ独り言を呟くマルセルにアイリスは「呼んできますね」と声をかけ、診療所を出た。
※※※
「あ、いた。フランクさん!」
アイリスが探しに出ると、フランクはちょうど馬へ跨るところだった。
巨漢を支える馬もまた立派な体格をしており、アイリスの身長では補助なしでは乗れなさそうだ。
「お前は診療所の……。まだ何か用か」
自然と見下ろされる形になり、強面に射すくめられたアイリスは肩を縮めた。
「えと、腕をどうにかできると先生は仰っています」
「はあ? さっきはできねえって言ったぞ」
「それはその、先生無駄にプライド高くて、すみません。適当に腰を低くすれば大丈夫だと思います」
アイリスの言葉にフランクは鼻を鳴らす。
「なんだ。嬢ちゃんも苦労しているみてえだな」
「それはもうとても……ただ呼び止めてなんですが、お金は結構な額を請求されると思います」
「はっ。金なら幾らでもある。俺は冒険が好きだからな。使う暇がなくて貯まりまくってんだよ」
「でしたらいかがでしょう。確かに先生は魔法を使えませんが、おそらく先生にできないことは他の治癒術師にもできないと思います」
「大層な信頼だな」
「人格に多少難ありですが、腕前は素晴らしい方ですから」
アイリスの説得にフランクは腕を組んで考え込む。
やがておもむろに馬から降りた。
「あのヤブは信じられねえが、お嬢ちゃんは良い子みてえだからな。そんなお嬢ちゃんが信じる相手なら、任せてみるか」
「それは良かった。さあいきましょう。たぶん、先生は準備していると思います」
アイリスがフランクを連れて戻ると、マルセルは診療所の外にいた。
棒を使って何やら図形を描いている。
「先生、フランクさんを連れて戻りましたよ」
「そこで待て。間違っても陣を踏むなよ」
「……陣?」
マルセルが描いている図形のことだろうか。
丸に三角。よくわからない模様が砂地の地面に描かれている。
言われた通り待っていると、マルセルは「よし」と呟いた。
「お前。そのだんびらは何製だ?」
「あ? 玉鋼だよ」
「悪くない素材だ。寄越せ。それを使う」
「はあ? なんにだよ」
「お前の新たな腕だ。必要ないなら帰れ……っと、僕としたことが金の話も忘れていたな。お前の腕の治療費は金貨二百二十枚だ。嫌なら帰れ」
帰れ帰れと連呼され、フランクの額には血管が浮かぶ。
しかし大きく深呼吸するとフランクはだんびらを差し出した。
「構わないぜ。俺の腕と引き換えるにはどっちも安いからな。逆にそれっぽちの額で本当に治せるんだろうな」
逆に煽られ今度はマルセルの眉毛がピクリと動く。
「誰にものを言っているチンピラが。二度と千切れない腕を作ってやるさ」
そう言ってマルセルはだんびらを受け取ると陣の中心に置いた。
「何をするのですか?」
「錬成だ。今からだんびらを元に義手を作る」
「……義手? 動くのですか?」
「お飾りを作るつもりはない。まあ見ていろ」
マルセルは手をかざしながら何かを呟く。日常会話で使う言語ではない。おそらくどこか別の国の固有の言語だろう。
やがてマルセルの手に淡い光が灯り、だんびらを包むように広がる。
そして辺りを照らすほど大きく瞬くと、だんびらは義手に変わっていた。
「……すごい。これはどういう仕組みなのですか?」
「言ってもわからないと思うがゴーレム錬成の応用だ」
「あ、いえ、わかります。この間ちょうど読みましたので」
ゴーレム錬成。
土塊や金属を人型に作り上げ、意のままに操る術だ。特に接近戦が苦手な魔術師が即席の前衛を作るのに用いる。
とはいえ動きは緩慢で、細かい作業は苦手だ。人の手の代替とするには難しい気もするが。
耽っていると、マルセルが珍妙なものを見るような眼差しを向けてくる。
「意外にも勤勉だな」
「夢がありますから」
「……ふ。そうか。まあ良いことだ」
初めて褒められた気がして、今度はアイリスが同じような視線をマルセルへ向けた。
一方のマルセルは錬成された金属の腕を拾って担ぐ。
「ついてこい」
言われるがままアイリスとフランクは診療所へ入った。
そのまま診察室へ向かうと、マルセルは義手をベッドに置いた。
「さて冒険者。お前はどれほどの痛みに耐えられる」
「痛み? 幾らでも平気だよ。腕食い千切られた時だって、止血だけして斬り合ったぜ」
「興奮状態では当てにならんと思うが、良いだろう。一応麻酔はかけてやる。物が壊れるから暴れてくれるなよ」
「暴れねえさ。まどろっこしいな、早くやってくれ」
マルセルは棚から黄色い液体の入った小瓶を取り出すと、魔術で熱を与えた。
蓋がされているから、確かあれは神経毒を調合した薬品だ。気化させて吸い込ませるのだろうか。
アイリスの読み通りマルセルは小瓶をフランクに嗅がせる。
特に変わった様子はないが、麻酔は効いたのだろうか。
聞くよりも先にマルセルは義手を持ち上げ、フランクに告げる。
「今から古傷の表面を切り落とし、露出した傷口に義手を連結する。無機物への神経接続だ。文字通り死ぬほど痛いが、まあ耐えろ」
「はっ、平気だって言ってんだろうが」
「それはどうかな」
薄く口元を歪めながらマルセルが呟く。
そしてマルセルは空いている片手を振り上げ、フランクの腕に沿って垂直に振り下ろす。
「づぁ!?」
フランクの腕の付け根から鮮血が飛び散る。
見れば赤々とした傷口と骨が露出していた。
「喚くのは早いぞ冒険者」
次いでマルセルは傷口へ義手を押し付け、何かを呟いた。
瞬間。
「Aapagda!」
言葉にならない絶叫をあげてフランクが飛び跳ねた。
衝撃で義手が外れ、フランクは床に倒れ悶えていた。
全身、玉のような汗が浮かんでいる。息も絶え絶えと言った様子で、どれほどの激痛が彼を襲ったのか想像もつかない。
「情けない奴め……と言いたいところだが、麻酔が効いていないな。耐性持ちか」
「耐性、ですか?」
「魔物の毒を何度も受けているせいで毒全般に耐性ができるんだ。だから神経を麻痺させる毒である麻酔が効かない」
「どうするのですか。下手すれば診療所が壊されてしまいますよ」
「……仕方ない。アルラウネを使う」
そう言ってマルセルは診察室を出て行った。行き先は自室だろう。
――アルラウネ。なんだっけ。
最近読んだ本に記載があった気がする。魔導植物の一種だったと思うが。
しばらくしてマルセルが帰ってきた。その手には植物の埋まったプランターがある。
「アイリス。きみは外にいろ」
「え。でも」
「死にたくないなら外に行け。二度は言わない」
死。その一文字にアイリスの記憶が蘇る。
アルラウネ。別名マンドレイクやマンドラゴラ。煎じて飲めば万病を癒す薬になる非常に高価な魔導植物だが、とんでもない特徴がある。
アルラウネは生きており、抜かれた時に絶叫する。その声が特殊な周波数で、聞いた者は死に至るという代物だ。
マルセルが早くも引き抜こうとするので、アイリスは診察室どころか診療所を飛び出した。
やがて診療所から酷い耳鳴りを覚える高音が響く。
頭がグラグラ揺れて気持ち悪くなる。堪え切れずに、嘔吐した。
――こんなものを、どう使うつもりなの?
アルラウネは治療薬の材料だ。確かに根には昏睡させる効果もあったはずだが、そもそも毒に耐性を持つのだから意味がない。
それどころか壁を隔てた上で距離を取ってなおアイリスは吐き気を催している。
至近距離でアルラウネの叫びを聞いてふたりは平気なのか。
マルセルに限って見誤るようなことはないと思うのだれけど。
心配になったクラリスは恐る恐る診療所へ戻った。
出入り口を抜け、診察室の扉を叩く。
「先生、入っても大丈夫ですか?」
「もう終わるが入りたければ入れ」
アイリスが診察室へ入るとフランクが床に寝ており、傍でマルセルが義手を接続するところだった。
「フランクさんは寝ているのですか?」
「仮死状態だ。放っておけば死ぬがあとで蘇生する」
「仮死って。アルラウネのせいですか?」
「せいじゃない。おかげだ。死人は暴れようがないからな」
「……ええ。随分な荒技ですね」
「少しの間であれば後遺症も残らない。そら終わった」
マルセルがフランクから離れたので、アイリスは接合部分を覗き込む。
――不思議だ。くっ付いている。
人体と金属。合わさるはずのない物体が綺麗に繋ぎ合わされていた。
「これで動くようになったのですか?」
「あとで本人に聞け。起こすから離れろ」
言われた通りにアイリスが下がるとマルセルは何かを呟く。
バチン、バチン、と音が鳴り出し、見るとマルセルの右手に光が爆ぜていた。
そしてマルセルがフランクの胸に触れると、バチンと一際大きな音がして巨体が弓形に跳ねた。
そして肉を焦がしたような臭いが診察室に立ち込める。
「おっと。義手は金属だったな。まあいいか」
二度、三度とけたたましい音を右手ね轟かせ、左手で煙が立ち込める接続部へ触れている。
右手は雷の魔術、左手は治癒術だろうか。
そしてフランクがゲホゲホと咳き込みながら飛び起きた。
「……ここは。ドルラム?」
「起きたか。気分はどうだ」
「お前は、そうか。そうだったな」
「珍しいものでも見たようだな。目が覚めたらのなら治療代を置いてさっさと出て行け」
マルセルのあしらうような態度にフランクは怒りもせず、無言で立ち上がる。
そして義手を握ったり開いたり動かして、目を丸くする。
「嬢ちゃんの言う通り腕は確かなようだな。金貨は馬の鞍に付けてあるから持ってくる」
「逃げるなよ」
「逃げんさ。心配なら着いてくればいい」
「僕は後片付けがある。きみが行け」
マルセルの命令に逆らう権利を持ち合わせないアイリスは首肯で返した。
そして診療所をあとにしたフランクに続く。
――なんだろう。背が、小さくなった?
迫力のある巨漢がなぜだか萎んで見えた気がして、アイリスは問うた。
「義手の調子が良くないのですか?」
「いや、義手は完璧だ。失う前とまるで遜色ない」
「それは良かったです。でも……」
追求して良いものかと言い淀むアイリスへフランクは僅かに口を緩めた。
「俺には昔、ドルラムって相棒がいてな。もう十年も前に死んだんだが、さっき会ったんだよ」
「……え。仮死状態の時にってことですか」
「仮死状態? そういうことか。俺が死んだと思って会いに来たのか早とちりめ」
「こっちへ来いと呼ばれたのですか?」
「いいや。忘れたのか、と言われたよ」
「忘れた?」
「俺とドルラムは同郷の出でな。ふたりして食い扶持が足りねえからと十歳くらいの時に家を追い出されたんだよ」
「そんな……」
「稼ぎの少ねえ農村には珍しくもねえ話だよ。家を継ぐ長男以外の男は外で稼ぐ。女は他所へ嫁ぐ。ありふれた話だ」
遠い目をしてフランクは語る。
アイリスの村は農家もある程度いたが、商人や旅人の中継地点として栄えていたため、人手は常に足りないくらいだった。
そういえば昔両親が、お金が貯まったら飲食店でも開こうかと言っていた気がする。
「土地も学もねえ俺たちが真っ当に稼ぐには冒険者くらいしか道がなかったんだ。でもよ、最初は全然稼げなくてなあ。ひもじい毎日を紛らわせるために、お互いよく夢を話していたんだよ」
「夢、ですか」
「ああ。金をたんまり稼いだらふたりで大きな土地を買って農業をやるんだってな。俺は麦畑、あいつは果樹園が良いとか洒落たことぬかしてたな」
「素敵な夢です。本当に、素敵な」
「ははっ。そうだよな。でもあいつは死んじまった。それでいつの間にか俺も忘れちまっていたんだよな。無心で冒険ばかり繰り返して、何がしたかったのかをすっかりな」
「忘れたのではなく、立ち止まれなかったのではありませんか。止まれば考えてしまうから。当たり前のように側にいてくれた人を想ってしまうから」
アイリスの言葉にフランクが目を丸くする。
「すみません。わかったようなことを言ってしまいました」
「いや、嬢ちゃんも誰か亡くしたのか?」
「両親です。けど妹が生きています。中々起きてはくれませんが」
「……そうか。まだ若いのに、苦労したんだな」
「ふふ。ありふれた話ですよ」
アイリスが笑うとフランクもつられて笑った。
「強がりでなく笑えるなら乗り越えられたんだな。俺も乗り越える時が来たんのかもしれねえな」
「どうされるおつもりですか?」
「冒険者は辞める。せっかく腕を新調したが、この腕は土を耕すことに使うよ」
「良いですね。やはり麦畑ですか?」
「いや麦畑と果樹園の両方だ。美味い果物ができたら、故郷に帰って供えてやるかな」
そう言ってフランクは腕を組み、空を仰いだ。
「っと、長話をしちまったな。先生にコレ渡しといてくれよ」
フランクは馬の鞍から膨れ上がった布袋を取って差し出してくる。
アイリスが受け取ると、あまりの重さに落としてしまった。
「わ。重いですね」
「少しばかり色をつけてある。くすねてもばれねえぞ」
「そうしたいのは山々ですが、私も稼ぐ以上に夢がありますから大丈夫です」
「殊勝なこった。じゃあ俺は行くからよ……嬢ちゃん名前はアイリスで良かったか」
「ええ。アイリス・フィードです」
「わかった。改めて俺はフランク・レイフォルト。鉄鬼のフランクでちょいとばかり名が通っている。もし荒事に巻き込まれそうになったら冒険者ギルドに駆け込んでタグと名を出せば、どこであろうと力になってくれるだろう」
そう言ってフランクは薄い金属板を差し出してくる。
「これが俺との関係を示すギルドタグだ。悪用するなよ」
「し、しませんよ」
「わかってるよ。それじゃあ、またなアイリス」
「ええ、またいつか。美味しい麦ができたら買わせてくださいね。美味しいパンでお返ししますから」
「そいつは頑張らねえといけねえな。ありがとよ」
馬に跨り手を振ってフランクは立ち去った。
遠ざかる彼の背中は、出会った時よりも大きく見えた。
アイリスはフランクを見送ると布袋を引っ張った。動かない。
「……ポチさんに手伝ってもらいましょうかね」
ぼやいて、空を仰いだ。
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