第37話 大人から子供になりたい
「師匠、魔法を使わないなんて手加減しているのと同じじゃありませんか。それとも魔法が使えないんですか。ちょっと大がかりな魔法を使っちゃったから魔力切れだったりして。ほとんど魔法を使わないから、魔力量が減っちゃったんじゃありませんかー」
私は師匠から距離を取り、残り少ない魔力を体内で練り込む。密度と純度を少しでも増し、魔法の効果を最大限発揮できるように備えた。
このままだとじり貧だ。体内の魔力を全て使って最大火力にしなければ到底勝てない。この攻撃を外せば私は師匠に打つ手がなくなる。それでも、やらなければ、確実に負けだ。
師匠を挑発するような発言で気を引き、彼女の方から攻撃してくれるように誘いこむ。
「そんなに死にたいなら望通り、私の手で終わらせてやる。そのまま、国を滅ぼして私は自由気ままな生活を謳歌するとしよう」
師匠は拳に魔力を溜め始めた。禍々しいどす黒い光で魔力の濃さが通常の人の比ではない。魔力の滞留によって生み出される放射熱の影響で風の流れが発生し、師匠の長い金髪が馬の鬣のように大きく靡く。
私の挑発は功を奏し、師匠の攻撃の誘発に成功した。だが、あの攻撃を食らったら負け。攻撃を外しても負け。おそらく今の師匠を野放しにしたらルークス王国は師匠が助けた魔人たちの手によって落とされるだろう。そうなれば多くの者が住む場所をなくし、無法地帯の中で魔物に食い殺されるか、法律がないのを良いことに強者が力を振るい盗賊のようになるか。どう考えてもいい未来は見えない。
「師匠は何の考えもなく、仕事をこなしていたんですか」
「初めは考えていたさ。私は長年、この世を救う救世主だと思っていた。だが、救えない者が多すぎる。助けた人数より死なせた人数の方が多い」
師匠は魔力を練り込む間に、私の他愛のない質問に答えてくれた。
「次第に、私はただ強い人間だって気づいた。なにをするにも責任が伴う。もう、人を救うことですら責任を負いたくない」
「私と暮らしていた八年間は師匠にとって休息の日々だったんじゃないんですか」
「休息と言うより、暇つぶしだ。子育てにも責任がかかる。だから、無駄な関与はしなかった。弟子を取ったのはキアスが初めてじゃないが、逃げ出さなかったのはお前が初めてだった。魔人は人間よりも忠誠心が高いみたいでな、必要最低限の報酬で喜ぶ。ほんと雑用係に最適だ」
「つまり、私はたまたま強く育っただけ。ザウエルとカプリエルは駒としか思っていないと」
「無駄な情を抱くと責任感が生れるからな。出来る限り、排除しなければ穏やかな生活は送れないだろう」
「……師匠は子供ですね。私が会ってきた誰よりも子供です。いや、大人から子供になりたいってことですかね。わがままで、自分勝手で、無責任で、ほんとどうしようもない大人です」
私も握り拳に魔力を込めていく。薄暗い部屋を眩く照らすシャンデリアのように輝きを放ち始める。少しずつ歩き、目の前に立ちはだかる強大な化け物を向かいうつ。すでに、逃げの手は捨てた。結果は私が死ぬか、師匠を吹っ飛ばすかの二つの一つ。
「なにが言いたい」
「私はカッコいい大人になりたい。師匠みたいなずぼらで子供みたいな大人にはなりたくありません。師匠こそ、学園に入り直した方がいいですよ。ああ、でも、師匠は子供だから幼稚園、保育園の方がいいですかね」
「ふざけるな。まだ一五歳でキスやセックスも知らないガキが、大人を語るな」
師匠の逆鱗に触れたのか彼女は犬歯をむき出しにするほど歯を噛み締め、体に力を込めている。
怒れば怒るほど冷静さが損なわれるはずだ。私は勝つ確率を少しでも上げるため、ギリギリまで師匠を煽る。子供は煽り耐性が皆無なので、効果的に働くはず。
「……周りの幸せが自分の幸せだと彼は言いました。ほんと責任感が強くて、優しくて、あんがい可愛くて、良い奴なんです。私を男の子だとずっと勘違いしている鈍感野郎でもあるんですけど。師匠よりもずっと大人ですよ。なんなら、エルツ工魔学園の学生たちの方が師匠の何倍も大人です。中には馬鹿な奴もいますけど、師匠よりマシですね」
「もう喋るな。子供の戯言に尽きやってやるほど、私は機嫌が良くない」
師匠の拳から溢れ出る魔力が揺らめくと、一五メートルほど離れていたのに間を一瞬で詰めてきた。皮膚、脂肪、筋肉が連動し、完璧な身のこなしで勢いが拳に乗っている。私を死に誘う拳が躊躇なく打ち込まれた。
私は拳を躱せないと判断し『無反動砲』の魔法陣を展開して拳を打ち込む。
二年前、師匠の腹に打ち込んで吹っ飛ばした魔法の最大出力を出す。奥歯が欠けそうになるほど食いしばり、腹筋がはち切れんばかりに腹に力を入れ、アキレス腱の断裂を恐れず踏ん張る。
同じ力がぶつかり合ったように拳は停滞し、魔王城の床に巨大な蜘蛛の巣上の亀裂が走る。生み出された突風で内装は壁に叩きつけられ、風圧に耐えきれなかったステンドグラスが内側から吹っ飛び、空中に頬り出された。重力にしたがい、岩山から地上に落ちていくだろう。
師匠の姿よりも、貼り付けにされていたコルトがステンドグラスと共に外に放り出された光景が、目に入り込んでくる。
「コルトさんっ!」
私は戦いを放棄して邪魔な師匠を躱し、無我夢中に走り込む。
夕日で赤らんだ空が私たちの戦いなどどうでもいいと言わんばかりに広がっている。
私はコルトを助けるため、勢いそのままに落ちていくステンドグラス目掛けて飛び込んだ。とっさの判断のおかげでコルトのもとに届き、彼に抱き着いてやっと思い出す。
「あ……、魔力、全部使っちゃったんだ」
私は師匠をぶん殴るため、拳に全魔力を乗せていた。体の中は水が入っていない水差しその物。もう、魔法を使おうにも魔法の元が無ければどうしようもない。とりあえず、貼り付けにされているコルトを壁から引きはがす。
「う、うぅ……、わ、私はいったい……」
コルトは猛烈な浮遊感と手に突き刺さっていた大きな杭を抜かれた刺激で目を覚ました。だが、今の状況を事細かに喋っている暇は一切ない。
私に魔力がない以上、コルトに魔法を使ってもらいたい。でも寝起きに加え、状況が理解できていない今の彼の心は乱れまくっている。そんな状態で真面な魔法が扱えると思えなかった。
私は今のコルトに頼れない。なんせ、この状況を作り出してしまった私に責任があるから。彼をこんなところで死なせるわけにはいかない。何なら、私もまだ死にたくない。師匠は助けてくれる気配もないので、私が何とかしなければ。
コルトの顔をじっと見つめていると、死が近づいてきているからか走馬灯が脳内に流れ、過去の記憶を探り始める。死地を脱する方法が記憶の中にないか思考を高速に回す。すると、ザウエルとカプリエルが抱き合っている場面を思い出した。
瞬時に魔力を補う方法を思いつく。だが、躊躇いがないといえば嘘になる。私は構わない。だが、コルトは一瞬拒むだろう。しかし、そんな時間も許されない。
後で恨まれるかもしれないが、死ぬよりはましなはずだ。
「コルトさん、こんなところでなんだけど、女の子に慣れる訓練の最終段階に入ります」
「え、キアスくん……、そ、空? え、えぇ、ここどこっ!」
コルトは辺りを見回し、上空から落下している状況を瞬時に飲み込めない様子。誰だって、寝起きに死ぬ高さから落下している状況にでくわしたら混乱するに決まっている。
私は動揺しまくっているコルトの両頬に手を当てて、視線を私の方に向けさせた。周りを見ず、私にだけ集中させれば魔力は乱れない。
「今は一刻の猶予もありません。だから、好きか嫌いか、パッと答えてください。私はコルトさんが……好きです。コルトさんは?」
「わ、私も好きだ」
コルトが訓練だからそう答えたのか、本気だったのかわからないが、私は言質を取り彼の唇に狙いを定める。
ザウエルとカプリエルがキスしながら魔力を吸い取り合っている場面を走馬灯の中で思い出していた。今、目の前にいるコルトは魔力をふんだんに持っているはずだった。なら、彼から得るしかない。手の平から吸い出すより直接飲み込んだ方が、効率が良かった。そう考えた時にはすでに互いの敏感な薄皮が重なり合っていた。
「んんんんっ!」
コルトの声は私の唇で塞がれて外に漏れ出ず、喉が震えるだけだった。ただのキスでは魔力を吸い出しにくい。さらに先に行かなければならなかった。今まで経験はないが、ザウエルとカプリエルが魔力を交換し合っている場面を見ていたおかげで何となく感覚は掴めている。
コルトの方から拒まれると思っていたが、疑問が脳内を埋め尽くしているようで抵抗してこない。
その間、舌先は蛇の交尾のように皮膚を擦り合いながらゆっくり動き、カクテルでも作るのかと思うくらい混ざりあっていた。
産まれてこの方、得た覚えのない刺激が香辛料のように脳をピリピリと麻痺させていく。彼に抱き着きながら、いつまでも続けたくなってしまう。
私は毒に耐性を持っているはずなのに、脳が焼けそうなほど痺れて体に力が入らなくなってくる。それでもコルトの体内に溜まっていた魔力を吸い出し、魔力を十分に補給した。
近づけていた顏を少しずつ離すと夕日によって赤く見える糸が名残惜しそうに伸びる。
夕日に照らされているコルトの頬はトマトのように赤く染まり、言葉が出てこない。今の私の顔がどうなっているのかわからないがゆでだこのようになっているのは明らか。
私は心臓の高鳴りを一身に受け止め、深呼吸したのち空中で魔法を発動し、浮遊する。
浮いている私たちと裏腹に、真っ逆さまに落ちて行ったステンドグラスが岩肌に衝突し粉砕すると、痛快な破砕音がやまびこになって広がる。まるで、私たちの間に存在していたガラスの壁が勢いよく砕かれたようだ。
今、師匠に攻撃されていたら完全に対処できなかった。それくらい集中してしまっていた。羞恥心は人に大きな隙を与えるらしい。そう思った瞬間、妙案を思いつく。
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