第30話 ただの女の子

 気持ちよく眠っていたら、身がビクリと大きく跳ねる。講義中に椅子に座っている時、うとうとしている最中に起こる恥ずかしくて嫌なあれだ。

 目を覚ますと楽器の演奏が止まっており、トイレの扉を叩かれているような大きな音が喫茶店の外から何度も鳴り響いていた。


「いったい何が……」


 コルトは私がまだ眠っていると勘違いしているのか、腕に力を入れ今まで以上に近づけてくる。

 コルトの男らしさを押し付けられて、私は師匠が飲んでいた酒を誤って口にした時のように胸がカッと熱くなった。

 平常心を保つために周りから鳴り響く異常な叫び声や衝突音に意識を向ける。国王の誕生日を祝福するパレードではない。もしそうなら、国が攻められていると言わんばかりの悲鳴が聞こえるわけがない。


「魔物だっ! 魔物が攻めてきたぞっ! 早く逃げろっ!」


 喫茶店の中から外の様子を見に行っていた従業員が客たちに向って叫んだ。

 喫茶店を利用していた多くの者たちが、妻や子供が犯罪者に人質に取られているのかと思うほど表情が険しくなっていく。恐怖心は周りに伝染しやすいため、店内の客たちは一瞬で大混乱に陥った。


「に、逃げるってどこにっ!」

「子供たちとはぐれるなよっ!」

「高い壁を突破してくる魔物って、いったいなんだよっ!」


 喫茶店の中で闘牛が暴れ回っているような騒動に見舞われ、テーブルや椅子は横転、ガラス製の皿やカップが重力にしたがって床に叩きつけられて粉砕、液体は子供が布団の上で阻喪したようにじんわりと広がっていく。


「皆さんっ、近くにあるドラグニティ魔法学園まで逃げてください! 本当に魔物が王都内に現れたのなら、ドラグニティ魔法学園の近くが一番安全です!」


 コルトは冷めた珈琲を飲んでいたからか、周りの興奮に惑わされず避難誘導をこなしていた。

 彼は財産をもって誰よりも一目散に逃げるような貴族ではなく、平民のために身を粉にする姿は無性にカッコよく見える。


 コルトの声に導かれるように、一般市民は迷うことなくドラグニティ魔法学園の方に走っていく。

 ルークス王国最高峰の学園で多くの貴族の嫡男淑女が通うため警備が厳重だ。内部に入れないかもしれないが、騎士が必ず駐屯しているため魔物の進行があれば防いでくれる。


 私とコルトも喫茶店を出て、辺りを見渡した。国を囲む大きな城壁の裏から黒い煙が八本近く立ち昇っていた。

 空を飛ぶ大型の魔物が丸まった魔物を脚で掴み、壁を超えて王都内に投石のように落としてくる。砲撃のような衝突音と共に人々の悲鳴が不協和音を奏で、王都の中は多種多様の虫を詰め込んだ虫かごの中のように大混雑。


「キアスくんはエルツ工魔学園に戻るんだ」

「何を言っているの、コルトさんもでしょ」

「私は国を守るため、貴族としての責任を果たす。キアスくんにとっては頼りないかもしれないが、こう見えても一応Sランククラスだからね。そう簡単に魔物にやられるつもりはない」

「き、貴族だからって、コルトさんはまだ沢山いる生徒の中の一人なんだよ。ここは大人に任せて避難した方がいい。コルトさん一人が何かしても変わるような状況じゃない」


 私はコルトが身の危険を冒してでも人々を助けようとするお節介野郎だと知っていた。

 きっと、自分の死も厭わずに人々を助けて回るのだろう。生徒会の仲間として、友人として、彼が気になる一人の女の子として、引き留めようとするが彼の責任感は強かった。

 国が揺らいでいるのに、一家を支える大黒柱のように何にも曲げられずどっしりと構えている。


「なんで、そんなに誰かのために頑張ろうとするの……。自分が死ぬかもしれないんだよ」

「私は貴族の生まれ。国や民を守る責任がある。それに誰かのために頑張るのは巡り巡って自分のためでもあると思うんだ。母や姉、妹が安全に幸せな生活が送れる。民の幸せは国の幸せにつながる。周りが幸せなら、私自身も幸せになれる」

「周りの幸せが自分の幸せって、コルトさんは聖人か何かなの」

「ははっ……、まあ、ちょっとくらいカッコつけているかも」


 コルトは後頭部に手を当てて、人差し指と親指を近づけながら呟いた。


「国がなくなったらキアスくんとの学園生活も送れなくなってしまう。学友を守るのは生徒会として貴族として私が掲げた責任の内の一つ。だから、キアスくんは何も心配せずに避難するんだ」

「う、うん……、わかった」


 私はコルトについて行こうか一瞬迷ったが、彼はついてこなくていいというだろうと思い、何も文句を言わずに頷く。

 今の私は一人の女の子。危険が迫っているなら避難して当然の存在だ。


 コルトは私が小さく頷いたのを見るや否や、人の流れに逆らいながら王都を守る外壁まで風のように走っていく。

 彼の本気の駆け出しによってミニスカートが捲れそうになるほどの風が吹く。

 空は未だに真っ暗の雲で覆われており、大量の雨粒が降り注いでくる。雨の勢いが強く、シャワーの下に突っ立って冷水を浴びているようだった。

 せっかく買い替えた衣装は簡単に濡れ、布地を容易く浸透し肌にへばりついてくる。冷たいスライムが体に纏わりついてくる感覚に似ていた。


「今の私はただの学生なんだから……、魔物と戦う必要はないんだ。早く寮に戻って暖かいシャワーを浴びよう。風邪ひいちゃう」


 乗合馬車は緊急事態で走っておらず、人々の交通網である大通りは髪の毛で詰まった排水溝のように馬車が入り乱れ、ほぼ使い物にならなくなっていた。

 馬車から降り、恐怖から逃れられる場所を探している人込みが雪崩のように押し寄せてくる。

 その光景が化け物が現れ、故郷の村を襲った状況と被ってしまう。逃げ惑う人々、恐怖した表情、優しく微笑みかけてくれた両親、それがどうなったのか、すでにわかっている。


「む、村は村、王都は王都だよ。強い冒険者もたくさんいる。騎士だって村人の何十倍、何百倍の数がいるんだ。大丈夫、大丈夫。私一人が頑張ったところで、たかが知れてるって」


 私は根拠もない仮説を脳内で作り上げ、何かを失う恐怖心を虚構で埋める。

 この寒さは雨に打たれているから、身の震えは水に濡れているから、納まらない恐怖心は私が普通の女の子だから。

 速足で移動し、エルツ工魔学園まで帰る。


 コルトはバカなのだ。あんな、律儀で優しい男が社会に出たら嫌というほどこき使われるだろう。嫌でも戦わされる、仕事させられる、生きて行かなければならない限り逃げ道はない。

 学生は人生の夏休みな。わざわざ危険なことする必要がない。働く必要もない。働かなくても怒られないのが学生なんだから、大人しく学園の中で大人に守られていればいいのに。これで、死んだら元も子もないじゃん。


「私は師匠くらい上手く禁断の書を書くために学園に入学したの。周りに構っている暇はもともとなかったの。そもそも、他の人がどうなろうと私に何も関係ないじゃん。赤の他人だよ、そんな人たちのために命を懸けるって、狂人でしょ」


 私は何をうだうだ言っているのか自分でも理解できない中、エルツ工魔学園の建物が見えて来て少し安心する。だが、建物の上空に翼の生えた存在が見え、全身に鳥肌が立った。


 スケートボードに乗るように下半身で箒を巧みに操っているグラマーな女性が剣を持ちながら空中で何者かと交戦中。

 ただ、相手は生まれた時から翼を持ち、歩くのと同じくらい空を飛ぶのが上手く、女性の攻撃を子供の攻撃といわんばかりに容易く躱している。


「はぁ、鬱陶しいっ」


 ザウエルと同じく頭部から生えている湾曲した二本の角、コウモリのような翼、褐色の肌に薄手の服装。一瞬、ザウエルかと思ったが、髪が長く別の魔人だとわかったころ。

 交戦していたシトラ学園長の目の前に魔法陣が展開され、風属性魔法が発動すると同時にシトラ学園長はエルツ工魔学園の園舎に勢いよく衝突し、意識を失って地面に落ちていく。


「いやいや……、なんで魔族さんが、喧嘩を売りにここに来たのか説明してもらいたいんですけど」

「シトラ学園長、しっかりしてください!」


 パッシュさんとハンスさんがシトラ学園長を受け止め、空に浮かぶ魔人の顔色を窺いながら、会話を試みているようだった。


「おれの仲間をどこに隠したっすか?」

「魔族のお友達? 何のことかさっぱり……。えっと、お引き取り願いたいんですが」

「嘘をつくな人間。確かにここにいるはずっす。巧妙に隠し、拷問でもしているんじゃないだろうな!」


 魔人は魔法陣を四方八方に展開し、風の砲弾を乱射していた。学園の建物や木々などが破壊されて行き、男子学園だというのに女のように叫ぶ生徒たちが続出する。


 パッシュさんとハンスさんが視線を合わせ、シトラ学園長を地面に寝かせた後、互いに剣を引き抜き、地上に降りている魔人に攻撃を仕掛ける。


「やっぱり、隠し事があるから攻撃するっすよね」

「隠し事はないけど、大規模に攻撃されたら生徒会長として黙っていられないんでねっ!」

「学園の風紀を乱す者は断じて許せん」


 シトラ学園長でも倒せなかった魔人相手に、パッシュさんとハンスさんは果敢に攻め込んでいた。

 勝てるわけがないのに、自分の命を蔑ろにする行為。案の定、魔人の砲弾のような風属性魔法の直撃を受け、馬車に跳ね飛ばされた人間のように地面に転がる。


 私は建物の裏で立ち尽くしていた。あの魔人が言っているのは、おそらくザウエルのことだろう。

 魔人からすれば、仲間が人間に捕まってしまった状況と何ら変わらない。説明しようにも、学園の中。私がザウエルを捕まえたままにしていたから王都に大きな影響が……。

 そんな考えが頭の中で巡る中、シトラ学園長の危機に現れたゲンナイ先生と、おそらく外で鍛錬していて騒ぎを聞きつけたフレイとライトが魔人と遭遇。


「お前達、何しに来たんだ! 避難していろ!」

「でも、シトラ学園長が大怪我しています!」

「生徒会長と風紀院長も、早く治療しないとっ!」


 フレイとライトは攻撃を受けて気絶しているパッシュさんとハンスさんのもとに駆け寄って抱えた。

 ゲンナイ先生はシトラ学園長の前に立ち、魔人に剣を向けている。

 オーガと相打ちになる実力のゲンナイ先生では、あの魔人に勝てないとわかっていた。シトラ学園長を連れて逃げてくれれば、私が魔人と会話する余地があったのだけれど、頭に血が上っているのか冷静さを掻いている。


「ゲンナイ……、お前じゃ、あいつに勝てん……、生徒を連れて逃げるんだ」


 シトラ学園長は額から真っ赤な血を流し、剣先を魔人に向けているゲンナイ先生の足首を弱々しく掴んだ。


「生憎、俺は元近衛騎士なんでね。主を守るって使命が魂にまで刻まれちまっている。それに惚れてる女を見捨てたら、男がすたる!」


 ゲンナイ先生は逃げる素振りを見せず、魔人の気を引かせるためか、自ら攻撃に出る。

 心底面倒臭そうな魔人はゲンナイ先生の鋭い剣戟を何食わぬ顔で回避し、小さな魔法陣を展開して風の矢を腕や腹、脚に狙い撃つ。最初っから頭を狙わず、簡単に殺そうとしない。


「糞ったれ……、ほんと年は取りたくないもんだな」


 ゲンナイ先生の体はフレイとライトがパッシュさんとハンスさんを連れ出す間にボロボロになっていた。腕と脚、腹に数センチメートルの風穴があいており、血が石畳の上にしたたり落ちている。

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