画商心胆

『貴女が欲しくって』――――そう題された絵を前に、火花は、ただ立ち尽くしていた。


 わずか五〇センチ。手を伸ばせば届いてしまう。まだ新鮮に匂いを立ち上らせる、半乾きの絵の具を指でこするのが、いとも簡単にできてしまう。そんな状態だけでも既に背徳的で――――ぞくぞくと背中を震わせる感覚を、しかし絵の色彩は軽く、酷く簡単に凌駕する。


 大本は、寝起きで我慢できずに覗き見た、あの絵と同じだった。河原で倒れる白髪の少女、その脚を持って引き摺る手。


 だが、違う。全然違う。


 ぐちゃり、ぐちゃりぐちゃりと塗り潰された赤が、赤が、黒の混じった赤が。


 少女の美しい白の髪を、後頭部を、埋め尽くしていた。出鱈目ではない、傷の形も出血の順路も、地面へ落ちるその経路すら手に取るように、分かる。分かる。分かってしまう。


 乱雑のようで繊細、ワンパターンのようで複雑怪奇に。

 血の混じった赤色が、丁寧に丁寧に、描かれていた。


「……………………!」


「……ど、どう、かな……? 火花、ちゃん……」


 ――――努めて、唄は明るい声を装って質問を投げた。


 棒立ちになった火花が動かなくなって、まだ三分も経っていない。沈黙を続ける彼女の顔を、テーブルの傍から動けない唄は見れていない。


 頑張って、頑張って、音を殺してはいるけれど。

 唄には自分の息が、酷くうるさく聞こえて仕方がなかった。


「ひ、久々にね、筆が乗っちゃって……ひと晩で、仕上げられちゃっ、た……こ、こんなこと、あんまりないんだ、よ……? す、凄いでしょ……? え、えへ、えへへ、ふえへへへへへへ……」


「……………………」


「…………え、えへ、へ……ふえへへ、へへ、へぇ…………」


 無理矢理絞り出した笑声が、見る見る萎んでいってもなお。

 火花は、喋らない。話さない。息をしているかすら、唄の目からは怪しく見える。



 ――……なん、で?

 ――なんで、なんで、なんでなんでなんでなんで。

 ――……なんで、なにも、言って、くれないの……?



 ――――そう思ってしまう自分を、唄はぶんぶんと首を振り、強引に振り払おうとした。褒めてほしい、認めてほしい、称賛が欲しいという賤しい承認欲求を、彼女は心の底から恥じ入った。


 図々しい、と罪悪感が湧いてきて、胸の奥がじくじく痛む。

 最低な行いをどんどんと積み重ねていく自分が、どこまでも愚かしく思えて、唄は、低く呻きながらわずかに屈んだ。


「……っ、あ、あのね! わたし、その……だ、誰かをモデルに絵を描いたの、なんて、その、本当……初めて……いやそりゃ小学校で隣の席の子の似顔絵描くとかの授業はあったけどそういうんじゃなく! その、ぜ、全然、経験がなくって…………に、似てなかったりとか、改変が激しかったりとか、そ、そういう弊害は、多かったり、する、かも、だけど……けど…………けど――」


「………………やっぱり、これって私なんだぁ……」


 ――――心臓が、口から飛び出そうなほどに跳ね上がった。


 数分振りとなる火花の声。それは思いの外冷静で、落ち着いていて、まるで棋士が先々の一手一手を順繰りに確かめるかの如く、ぼそりと分かり切った事実を零しただけだった。


 絵に描かれているのは、どう見ても火花だった。

 白い短髪。赤いシャツ。青いオーバーオール。そこまでの類似点を探すのは、範囲を日本から世界まで広げても困難極まるだろう。――――ただ一点、絵の中で最も重要な要素こそが、火花にわざわざ確認をさせる理由となっていた。


「っ、う、うん、そう、そうなの、そうなんだよ……え、えへ、えへへ、ふえへへへへ……ひ、火花ちゃんの髪、凄く綺麗な白で……表現するの、凄く、大変だったんだよ――」


「唄先生」


 火花は、ぽーんと。

 さながら蹴鞠の如く緩やかに、振り向かないまま、問いを投げた。





「――――私のことも、こんな風に、真っ赤に、したかったんですか?」





 赤。

 赤。赤。赤。赤。

 赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤!


 赤だ。真っ赤だ。少なくとも火花の目には、バチバチと鮮烈に、それが弾けんばかりに見えていた。


 火花と同じ、真っ白な髪の毛を持つ少女。その後頭部を。

 ぐちゃぐちゃに汚し塗り潰す赤は――――明確に、彼女の死を、表していた。


 だから火花は、確認した。


 昨日、自分を殴って気絶させ、この部屋へ拉致した唄は。少女の脚を掴む、手の方のモデルは。

 果たして、自分を――



「ちちっ、違うよぉっ!! 違う、違う、違う違う違う違うぅっ!!」



 当の、問われた側である唄はと言えば。

 あんまりにも予想外で、斜め上からの予期せぬ言葉に、心底戸惑っていた。首を振って腕を振って、喉を振り絞って叫ぶのと裏腹に、脳から血の気が引いて冷めていくのが、怖いほどに自覚できた。


 ――嘘、嘘、やらかした? 恐がらせちゃった!?

 ――わたし、間違えた? また間違えた?

 ――ど、どうしよう。どうしようどうしようどうしようどうしようっ!?


「っ――――ごっ、ごごっ、ごめんなさいごめんなさいっ! ごめんなさい火花ちゃぁんっ!!」


 小学校の、図工の時間。

 隣の子の似顔絵を描けという指示を受けて、唄は隣席の少女を血まみれに描いた。彼女がどんな風に死ぬのが美しいか、下腹を熱くさせながら妄想して描いた。……結果として彼女には大泣きされ、学校に親が呼び出されるという憂き目に遭ったのだが。


 そんな黒歴史を、鮮明に思い出しながら。


 無耳唄と名を変えた彼女は、あの日のままなんにも変わらない、訓練された土下座を披露したのだった。


 名前を叫ばれた少女は、今も背中を向けたままで。

 見るどころか察してもいないのに、唄は額を床へこすりつけるのを、やめられない。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃっ!! 違う違う違う違うの違うんです本当信じて全然違うの本当だからぁっ!! たっ、確かに絵とおんなじで叩いて攫っちゃったけど、こっ、こんな血が出るくらい殴るつもりはなかったよぉっ!! き、気絶したらすぐ、すぐに止めるつもりで、だって、だってわたし、火花ちゃんのこと大好きになってたからもうその時にはだから、しっ……死んじゃったら、やだ、やなの、やだよぉ……お、お話、できない、絵も、見てもらえない、感想聴けない……だから、だからわたし、本当、殺そうだなんてこれっぽっちも――」


「じゃあ」


 ほとんど前後不覚で、譫言みたいに言い訳を並べ立てる唄の声を、ぶった切るように。


 火花は、言った。声を上げた。

 冷静でも侮蔑でも詰問でもない――――寧ろ後ろからの戯言など、聞いていなかったかのように。



 弾んで昂って、上擦った歓声が、ごちゃついたがらんどうにこだました。





「じゃあ、じゃあっ! この女の子はなんで、どうしてっ! 私と違って生きたままじゃなく! 死んでいてもいいからって風に! 求めてもらえたのかなぁっ!? なんで、なんで、なんで、なんでかなぁっ!! っふふ、ふふふふふふ、ふあっはははははははははっ!」





 わきわきと指を蠢かせ、火花は今にも絵へ掴みかかりそうに迫っている。それでも足だけはその場に踏み止まっていて、前のめりになった身体の最後の防波堤になっていた。指が触れればせっかくの、精緻な血の色が掠れてしまうと、ひと欠片の理性がそれ以上を思い止まらせている。


 その後ろで、唄は床に正座して。

 ぽかんと、口を開きっ放しにしてしまっていた。


「どう見ても、どう見てもこの娘、死んでますよね? 殺されちゃってますよねぇっ!? なんで、なんでだろう……唄先生は私を連れ去るのに気絶で済ませたのに、この手はそうしなかった。そうしなくてもよかった? それとも、こうしたかった? あはっ、あははははははっ! なんでかなぁなんでかなぁ!? 殺してでも少女を求めた理由は? 引き摺ってその後どうする気? どこへ行くのかな? どうしちゃうのかな? なんでそうしたくなっちゃったのかなぁっ!? はぁっはぁっはぁっはぁっ……あぁう惜しいなぁ惜しいことしたなぁっ!! 昨日唄先生にノートとペン買ってきてもらえばよかったぁっ!!」


「……………………」


 別に、火花が興奮するのを見るのは、初めてのことじゃない。昨日も今日も、彼女が昂った姿を唄は見ている。


 けど、それは唄に対して怒った時だ。


 顔を見なくても声だけで、語気だけで、なんなら後ろ姿だけでも分かるくらい、嬉々としている火花の姿を、唄は、初めて目撃した。


 同時に――――閊えていたような胸が、ふっと楽になる。懺悔を吐き出すだけだった呼吸器が、すぅと軽やかに息を吸えていた。


「……ノートと、ペン…………そっ、か……そっか、そっかぁ……♪」


「あぁああああ時間が経つのが悔しいっ!! この新鮮で鮮明な感想を、残しておけないのが腹立たしいっ!! え、だってだって、身体目的で女子を襲ったのなら、殺すのはやり過ぎだよね? 死体を犯りたいならその場ですればいいよね? 人気なんてない河原なんだからそれで構わないはずだよね?」


 ぶつぶつぶつぶつ、止め処なく溢れ出てくる言葉。それは絵を見て噴出した、火花のイメージだった。妄想だった。


 唄が絵に込めたストーリーに漸近するグレイズの数々だった。


 ――――ゆらりと立ち上がり、明滅する視界に軽く膝を曲げながら、唄は、笑った。


 火花に、唄を責める意図などないと、そう分かったからだ。どころか彼女は真っ直ぐ、真摯に、目の前の作品にだけ、意識を集中させていた。現実と違い、標的を殺してでも手に入れたかった手の主に対して、あれこれと思索し、可能性を根掘り葉掘り鷲掴みしていく。


 そんな掘鑿こそが、戸練火花の、作品鑑賞法。



 ――なん、だろ、これ……ちょっと、身体が、おかしい……?

 ――ドキドキする、のに……苦しくない……ううん、苦しいがむしろ、心地いい……?

 ――勝手に、口が――――あぁ、あぁそっか、そっかそっかそっかそっか!

 ――これが、きっと、理想が叶った、その歓喜――――



「唄先生とは違う、話がしたかったんじゃない、欲しかったのは女の子の身体…………なんで、なんで身体が欲しかったの? 残したいから? 飾りたいから? 遊びたいから? 食べたいから? ――――自分で頭蓋を割り砕いているんだから、飾りたいは違う? けれど首から上は要らないのだとしたら……でもじゃあなんで、どうしてこの少女だったの? 欲しかったのは顔? 身体? 肉? どこ?」


 止まらない。止まらない。止め処なく流れ出る言葉たちを、火花は決して止めようとはしなかった。


 ひと言ひと言、一音一音がいちいち背後で、ぞくり、ぞくりと唄を震わせているだなんて、まるで考えもせず。


 妄想は、感想は、止まることを知ろうとしない。


「なにか、なにかあったはずだよね? そうだよねっ!? 手の主がこの娘を欲しがる理由……うぅうううう分かんないっ!! 分かんない分かんない分かんない分かれないっ!! どれもあり得る、どれも否定できない、どれも決定打に欠ける! 顔が可愛かったの? 性格がよかった? 身体つきがよかったの? どれも分からない、断定ができないっ!! それもこれも!! 女の子の顔がっ!! 地に伏して描かれていないからっ!!」


 だから、こそ。

 この作品は、素晴らしい。


 ――――呟くようにして、火花は、その場に膝から崩れ落ちた。膝蓋骨への気遣いが微塵も感じられない、重力に身を任せた落下。身長がいきなり削がれたかのようなその動きに、にこにこと眺めるばかりだった唄も慌ててしまった。


「ひ、火花ちゃ――」


「少女が、殺された理由。殺される被害者に、少女が選ばれた理由。少女が、これから辿る末路。――――そのどれもが、分からない、分からないからこそ、無限に想像できる。ありとあらゆる想像を、理由を、動機を、結末を! 溢れる『物語』をこの絵はっ!! 全て受け容れるっ!! 何故ならあらゆる証拠が削ぎ落されているからっ!!」


「――――っ!!」


 座り込んでもなお興奮したままの彼女へ、思わず駆け寄った唄は。

 まるで、蜘蛛の巣に捕らえられた獲物のように、火花の腕に、ぐるりと巻かれて、捕まった。


 左膝を軸に反転した火花は、唄の首に巻きついては彼女の顔を、ぐい、と近くに寄せる。吐息が勝手に混ざり合う距離。上気して濃くなった甘い香りが鼻を衝いて、唄は、咄嗟に視線を逸らしてしまっていた。


 コミュニケーションが不得手な彼女の、その癖を。

 気にして指摘できるほど、火花の熱量は低くなかった。


「ひっ、火花、ちゃ――」


「『貴女が欲しくって』――――最高級です、文句なしに今までの作品の中で五本指に入る傑作ですっ!! 唄先生……あなたの真髄は血の鮮やかさですけど、あなたの武器は、色彩豊かに見せてくる人間の表情ですっ! 丁寧に描かれたあの顔が、絵に込められたストーリーに深みと説得力を与えてくれる――――なのに今回はっ!! まったくの逆の手法っ!! 敢えて顔を描かない、情報を削ぎ落とすっ!! 勇気が要る挑戦だったでしょう、不安だったと思います――――でもその勇気が、唄先生を一歩先の、新しいステージまで押し上げたんですっ!! 私っ、この絵大好きですっ!!」


「っ、…………」


「私をモデルに、こんな素晴らしい絵を描いてもらえて…………嬉しい、です……! この感情を、『嬉しい』なんてありきたりな言葉でしか表せないのが悔しいくらい、すっごく、嬉しい……!! っ、ありがとうございますっ! 唄先生っ!!」


「……………………」


 ぎゅうっ、と力いっぱいに細い身体を引き寄せ、抱き締めてくる火花。


 ――――なのに唄は、目を逸らしたまま、キリキリと痛む胸から手を離せなかった。


 伝う鼓動は、先刻火花に抱きついた時と同様。だがあの高鳴りよりずっとずっと、息が詰まるような重苦しさを持ったそれが、唄には、堪らなく気持ち悪かった。


 彼女の心臓を速めるのは、褒められた喜びでも、抱きつかれた嬉しさでもなく。



 ――――――――吐きそうなほどの、後ろめたさ。



「っ――――ご、ごめんっ、ごめん、ね……火花、ちゃん……」


「ぉわ……、……?」


 火花にとってそれは、あまりに予想外な行動だった。

 唄が、抱きつく火花を引き剥がして。

 両手で肩を掴み、真っ直ぐ見つめてくるなんて――――一昼夜を共に過ごしてしまった身では、到底想像できない行動だった。


 髪と同じ、橙色の眼が。

 一ミリの誤差なく自分へ向いている様を、火花は、初めて目の当たりにした。


「ご、ごめん、ごめん、ごめんなさい……違う、違うの、そんなんじゃないの……」


「……唄先生……?」


 ――気持ち悪い。

 ――気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いっ!!

 ――きっと――――気持ち悪いって、思われる――――


「……顔を、描かなかったのは…………そんな、高尚な狙いとか、理由とか……そんなんじゃないの……。単に…………わたしが、まだ、ちゃんと……火花ちゃんの、顔を、見られてなかっただけ……ちゃんと、知っていなかった、だけ、なの……」


 どくん、どくん。嫌な音が体内に響き渡る。胃も肺も脳すら揺らして、酔って吐きそうになる。


 この感覚に、馴染みがない訳ではなかった。むしろ直近、昨日にだって感じたものだった。あの時はそれでもまだ、欲望の方が勝っていたけれど。


 殴って気絶させるのと、口八丁で騙すのとでは。

 後者の方が必死で恣意的で、己の罪科と長々向き合わされて――――自分には不向きだと、唄は冷静な片隅で思考した。


 それでも、昨日と同じで。

 止められるほどに弱い欲望では、全然ないから、だから――


「……じゃあ、私の顔をよく見たら、今度からは顔も、描いてくれるんですか?」


「………………見る、だけ…………だと、ちょっ、と……足りない、かも……」


 期待するように上目遣いをする火花へ、唄は。

 燃えるように熱い息を必死に抑えながら、わずかに指へ込める力を強めて言った。


 逃がしたくない。離したくない。

 それになにより――――そう、したい。


「足りない……えっと、それじゃあどうすれば――」


「っ……火花ちゃん……!」


「? はい」






「――――――――――き、ききっ、きっ、き……キス、しちゃ……ダメ、かな……?」






 一秒。二秒。三秒。

 静寂の一瞬一瞬が、唄の臓腑を冒す猛毒のようだった。


 火花の顔を、表情を、窺い知る余裕は、時間と比例して指数関数的に削れていって――


「――――あっ、あのあのっ、へ、変な意味はなくってね別にだってわたしその同性愛者とかでもないしっていうか人を好きになるとかどんな感じかさえ分かんない社会不適合者でダメダメな破綻した人間失格なんだからさだからそう変な意味とかはないのないない全っ然ないっ!! ちょっと、その、あの、か、形っ!! 火花ちゃんの形を身体で理解しようって本当ただそれだけで嘘なんか全然これっぽっちも――」


「唄先生。ちょっとストップです」


「はっ、はひっ、――――――――!?」


 火花からの制止に、反射的に従った――――その、瞬間だった。


 ぐいっ、と膝を伸ばした火花が、上半身を一気に持ち上げて。

 唄の手をすり抜けて、逆に再び、彼女の首へ腕を巻きつけて。



 艶めく柔らかな唇を、唄のそれへと優しく、押しつけた。



「――――――――――――――――――――――」


「――――んっ、っふ、ふふ、っふふふふふふ。……ちなみに言うと、ファーストキスですよ。唄先生」


 顔を真っ赤にして、ぺたぺたと、頬を触る唄へ火花は、悪戯っぽく笑って言う。

 ぺろり、残り香を嗜むように舌を這わせて。


「次の作品では……顔、描いてくださいね。……今のでちゃぁんと、分かりましたよね? 私の、形……♪」


「………………………………」


 未だ唇に残る、ぷるぷるとしたあの感触を消したくなくて。

 同時に、あの感覚が幻じゃないことだけは確かめたくて、頬の周りだけを執拗に撫でてしまう唄は。



 煽情的な火花の声音を聴いてもなお、腰を直角に曲げた姿勢から現実に戻るのに相当の時を要したのであった。

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