第7話 残陽①
「あまー、ひかり。学食行こう!」
午前中最後の数学の授業を終え、教科書を片付けていたところで、背後から湊——
「湊、邪魔」
「邪魔はなくない!?あと、髪の毛食べないで!」
「ご機嫌斜めだね、甘莉ちゃん。なにかあった?」
喧しい湊をスルーして、澄んだ青い瞳で私の顔を覗き込んでくる光里——
「眉間に皺を寄せない。可愛い顔が台無しだよ」
消しゴムを転がすのをやめたと思えば、今度は私の額を指で押してくる。少しくすぐったいけれど、やめてとは言わなくていい絶妙な触り方だった。
「別に。なんでもないよ」
「お姉ちゃんのことでしょ!また、なにかあったの?」
今度は私に抱きついたままの湊が指で私の頬を押してきた。額に頬に——私の顔はそんなにいじりがいがあるのだろうか。
「だから、何もない」
「いつもより口数が少ないし……図星かな」
「うるさい」
湊のからかい声を一蹴して私は席を立った。
「わあ!あま、いきなり立たないでよ!危ないじゃん」
私の肩に腕を回したままだった湊がよろけて抗議の声を上げる。
「うふふ。とりあえず、混む前に学食に行こうか」
自称スルースキルには定評のある光里に手を引かれて、私たちは教室を出た。
私の通う高校は、この辺りでは珍しく学食が存在する。だからといって安いわけでもなく、値段相応に特別美味しいわけでもない。その上、学食自体そこまで大きくないため、利用する生徒は全校生徒の半数ほどだろう。
学内にはおにぎりやパンが売っている購買があるし、家族に作ってもらった弁当を持参する選択肢もある。
私だって、夏休みまでは姉さんにお弁当を作ってもらっていたのに。
「またムッとしてる。笑顔だよ、甘莉ちゃん」
「あま、お弁当作ってもらえなくなっちゃったのまだ気にしてるの?」
「ち、違うし、ムッとしてない!」
「えー?だってさっきからあま、すれ違う人のお弁当をずっと睨みつけてるしー」
「してない!あと、作ってもらえなくなったじゃなくて、もう作らなくていいよって言っただけ。だって姉さん大変そうだし……」
「別に取り繕わなくていいんだよ。甘莉ちゃんがお姉ちゃん大好きなこと、もうみんな知ってるし」
少し青みがかった黒髪を靡かせてこちらを振り返る光里までそんなことを言ってくる。不服だ。別に私はもう——
「お!噂していたら……あま、前見て。お姉ちゃん先輩がいるよ」
「わぁ、ほんとだ。あ、でも……」
にやけ顔で前方を指さしていた湊とは対照的に、光里はどこか浮かない顔をしていた。
「……だから別に気を遣わなくていいって。光里」
学食に面した中庭に姉さんと志帆さんが向かっているのが三人の目に止まった。互いにお揃いの巾着袋を携え、肩を寄せ合いながら廊下を歩く後ろ姿が私の目にはとても幸せそうに映った。
夏の日差しは相変わらず厳しく、空気はジトッとした嫌な湿気を纏っていたが、そんな憂いを吹き飛ばすだけの明るさを二人は持ち合わせていた。
「ほら、私たちも早くいかないと!学食、混んじゃうよ」
「わ!甘莉ちゃん、ちょっと待ってよ!」
私は胸に刺さる蟠りから目を逸らすべく、立ち止まる光里の手を引いて学食に入っていった。
* * *
「お!甘莉ー」
「どうしたの、姉さん?」
午後の授業が終わり、帰宅部仲間である光里と一緒に昇降口に向かっていたところ、背後から姉さんに話しかけられた。
「あーいや、その……元気かなーって?」
いつもハキハキとものを言う姉さんにしては珍しい殊勝な態度に、思わず首を傾げてしまう。
「えーと、その……ご機嫌いかがかなーって」
再び話の見えないことを言われて、傾げた首の角度がさらに大きくなる。
「別にいつも通りだよ?本当にどうかしたの?」
「あと、なんでもないんだけど……ああ、でもなんでもあるっていうか」
目を右往左往させながら、やはり要領を得ない言葉を口にする姉さんに、私も光里も何も言えなくなってしまう。
「ほら、早くしないと。他の人を待たせているわよ」
姉さんがなぜだか戸惑っていると、後から追いついてきた志帆さんが重そうな荷物を携えながら、そう姉さんをせかした。
蛍光灯が一部消えていて少し暗い廊下でも、志帆さんの艶やかな黒髪は変わらぬ輝きを放っていた。彼女が運んできた風には、使っているであろう柔軟剤か、シャンプーか、とにかく心を落ち着かせる上品な花の香りが乗っていた。
「こんにちは志帆さん。その荷物重そうですね。私も持ちますよ」
「篠澤先輩、私も持ちますっ」
「二人ともありがとう。だけど大丈夫だわ。生徒会室はすぐそこだから。ほらなゆた、行くわよ」
「あーうん。またね甘莉!それに光里ちゃん」
『ねーちょっと待ってよー』と私と話す時とは打って変わって、志帆さんと楽しそうに話す姉さんの背中を、私はただじっと見つめることしかできなかった。
「姉さん、なんだったんだろうね光里」
「あーどうしたんだろうね」
「……何か知ってるでしょ光里?」
「な、何も知らないよ!」
手をワタワタと振りながら必死に否定する光里。やはり彼女は嘘をつくのが下手だ。
「ふーん、そっか。正直に言ってくれたら手、繋いであげてもいいんだけどなぁ」
「え!?手繋いでくれるの!?」
お、食いついてきた。光里、なぜか隙を見ては私と手を繋ごうとしてくるのだ。
「いいよ!ほら」
私は自分の手の甲を光里の手の甲に擦り付けて、そして小指の爪を彼女の小指に当てた。
「はわわ。こ、これ!私がお姉さんに連絡したの。今日の甘莉ちゃん、なんだか元気がなくて心配って。だから、お姉さんも心配になって様子を見にきてくれたんじゃない、かな?」
慌てながらも私にLineの画面を見せてきた光里が、若干前のめりになりながらそう説明してきた。画面には確かに『甘莉ちゃんが元気なさそうで心配です。家で何かあったのですか?』と書かれていた。
「そうだったんだ。ありがとう光里。私、姉さんが帰ってきたらもう一度話してみる」
「う、うん。それがいいよ。そ、それじゃあ、失礼して」
おっかなびっくりという感じで手のひらを私の手に近づける光里。次の瞬間、私の手がぎゅっと締め付けられた。
「い、痛いよ光里」
「ご、ごめんね!?」
実際はそんなに痛くなかったのだけれど、焦る光里の表情が見たくて、わざと大袈裟にリアクションした。すると、期待通り光里は目を大きく見開いてすぐに謝ってきた。
手を握る力を強めたり弱めたり、握る位置を少し変えたりしながら歩く光里の横顔は、さぞ満悦そうだった。
「あ、甘莉ちゃん!?」
そんな彼女の反応が面白かったのか、それとも本当に今日の私の機嫌が悪かったからか分からないけれど、気がつけば私はゆっくりと光里の指の間に自分の指を小指から順に絡めていた。
晩夏の空はもう赤みがかり、昼間の纏わりつく風とは違う、サラサラとした爽やかな風が吹いていた。私と光里、混ざり合った汗はすぐに蒸発してしまう。だから、手を深く絡ませた時に感じる体温が、今はひどく心地よいものだった。
「えっとね甘莉ちゃん!そういうの、他の人にやったらダメだから、ね?」
私に肩をぴたりとくっつけてきた光里の顔は、前方に広がる鮮やかな夕日のように赤く染まっていた。
_______________________
お読みいただきありがとうございます。
少しでも面白いと思われた方は、是非作品のフォロー、⭐︎、♡よろしくお願いします!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます