ガラクタ山
中田滝
【其の一 ガラクタ山と噂と】
その日はとても月が綺麗な夜だった。
ガラクタ山の頂上の、その少し上で見る月は真ん丸で大きくて、
思わず手を伸ばしてしまった。
つい最近仲違いしてしまった僕のお気に入りは、
僕の膝の上で綺麗な目にいっぱいの月を映しこんでいた。
「なあなあ知ってる?ガラクタ山の噂!教えてやろうか?」
教室に入って席に着いてすぐ。
無遠慮に話しかけてきたのはクラスメイトの梶田君だ。
突然の事に驚きこそすれ、話はちゃんと聞き取れた。
その上で聞こえていないフリをするのは、ひとえに僕が梶田君に苦手意識を抱いているからである。
でもそんなことは意に介さず、梶田君は僕に向けて独り言を連ねた。
「仕方ねえなあ、そこまで言うなら教えてやるよ。誰にも言うなよ?」
口の横に右手を壁のようにして置き、
僕の耳元でひそひそと話し始める梶田君を尻目に、
黙々とランドセルの中身を引き出しに移し替える。
「満月の夜にな、ガラクタ山に登ったら帰ってこれないらしいぞ。町一番の物知り爺さんに聞いたんだ。絶対間違いないって」
耳元でひそひそ話をされるのは中々に鬱陶しい。
キリのいいところで目も合わせずに“そう”とだけ返した。
だが、一度の返事が梶田君を益々調子付かせてしまったようだ。
「お前ビビってんだろ。怖がりだもんなー。この前皆で行った肝試しでもさー」
キーンコーンカーンコーン────。
「はーい。みんな席に着いて。ホームルーム始めるよ」
始業の鐘と先生の言葉で、
始まるはずだった憂鬱な時間は幕を上げることなく終えられた。
さっき言われたことは間違いではない。
僕は自他ともに認める極度の怖がりだ。
真っ暗な夜道も。
驚かされるのも。
テレビで流れる怖い話も。
どれか一つでも自分に向けられると、ずるずると引き摺って、身を
梶田君はそれを知っていて肝試しに無理矢理連れて行ったり、怖い話をしたりしてくる。
今まで一緒に居て良い目を見た事など一度も無い。
だから僕は、短い人生と狭い世界から得た経験値から梶田君を避けるようにしている。
それでもこの日、
休み時間の度に僕の所へ来てはガラクタ山の噂を延々話していたのは、
何の変哲もないただの小学生の僕達には、
心を読むという特殊能力が備え付けられていないからだろう。
何度も話しかけてくる梶田君を適当に
いつもと違う鮮やか過ぎる幕切れに違和感を覚えていた。
いつもなら僕が少しでも精神的な傷を負うまでは決して諦める事のない、
無駄な事に全力を注ぎ込む変わり者なのに。
その違和感の正体を探るべく、
夜更けにお風呂上りで髪についた水滴を気持ち程度拭き取りながら、
今日聞いたガラクタ山の噂を思い返した。
『一つ目』
満月の夜にがらくた山に登ると帰ってこれなくなる事。
『二つ目』
頂上付近に放置されている大量のぬいぐるみ達は、
どれだけ遠くに捨てても、どれだけ頑丈な入れ物に隠しても、
満月の夜にひとりでにがらくた山まで戻っていく事。
『三つ目』
そのぬいぐるみを取ってきた人には不幸が訪れる事。
普段ならこの話を聞いた僕の心は慌てふためいて梶田君を調子づかせ、
不本意に一方的な
それでも帰り際に〝つまんねーの〟と言わしめたのは、
話の内容によるものでも、怖い話が苦手でなくなったわけでもない。
話の舞台であるガラクタ山が、根拠のない郷愁感を僕に与えてくれたからである。
根拠がないというくらいだから、勿論ガラクタ山に入れ込むような思い出があるわけではないのだが、
幼い頃に一度両親と行ってからは、何の変哲もないよくある山が妙に気になって、
暇さえあれば自分の部屋の窓から家々の合間に見えるガラクタ山を呆然と眺めている。
だが不思議な事に、
毎日と言っていいほど眺めているのにあの日両親と行って以来ガラクタ山には近付いた事すらない。
故意に避けている訳では無いし、誰かに近付いてはならないと制されたわけでもなく、思い当たる節が一向にない。
だとすれば、無意識が僕の体を操ってるんだろう。
いつの日だったか、テレビで大学の偉い先生が言っていた。
無意識というのは手を伸ばせば伸ばすほど遠くへ行って見えなくなってしまうんだと。
僕は、僕の中にある無意識が見えなくなってしまうのが嫌で、
渋々考えるのを止めて三日月に照らされるガラクタ山を見ながら眠りについた。
ピピピピ───。 ピピピピ───。
いつも通りの変わらない電子音で迎えた朝。
時に欠伸をして、寝ぼけ眼を擦りながら登校する。既に登校していた梶田君は、
僕の存在に気付いても一向に近付いて来ない。
寂しいわけではないが、いつも当然のようにあるものが途端に無くなると不思議な感覚に襲われる。
十中八九、昨日の僕の反応が鈍かった事が原因だろう。
面白くもない事に労力を割けるほど梶田君は辛抱強くない。
やっと穏やかな朝の時間を過ごせると思ったのだが、
梶田君の視線が横目に映る度になんだか申し訳なくなって、ありもしない罪悪感に襲われた。
「おはようございます」
「「おはようございます!!」」
「いい返事ね。朝の会を始めます。皆座って」
「「はーい」」
先生の言葉に操り人形かの如く大きい声で返事をするクラスメイト達を、
黙ったまま何処か遠くから無感情で見ていた。
どうにも僕には協調性というものが欠けているらしく、クラスメイトと一緒に声を張り上げる事は出来ない。
そんな自分がかっこいいと思っているかというとそういうわけではない。
自らあぶれる事によって目立とうとする協調性の無さではなく、
単に波長が合わないだけなのである。
だからといって、先生が僕を注意する事はない。
多くの経験を積んできた大人でも、約三十名の生徒全員を注視し続ける事は出来ないからだろう。
そんな先生のおかげで悪目立ちをせずに済んでいるのだから、好意を寄せる程ではないが悪く言うつもりはないのだけれど。
「今日は再来週に行う校外学習についてお話したいと思います。再来週の校外学習は、月見山に行って四年生全員でゴミ拾いをしたいと思います。前日に作文用紙を2枚渡しておくので、校外学習の翌日にゴミ拾いの感想と、何故ガラクタ山と呼ばれる程ゴミが溜まるのか、みんなの考えを書いて提出してください。最低でも一枚半は書くように」
「えー」
「えー、じゃないの。校外学習の日は授業無いし早く帰れるんだから、それぐらいは我慢してね。詳しくは今から配るプリントに載ってるから、お家に帰ったらお父さんかお母さんにも見せておいてね」
「めんどくせー」
生徒達を宥める先生の声に、
クラスのガキ大将である舟木君が分かり易い不平を唱えた。
見慣れた光景に、誰も違和感を感じている様子はない。
「うーん、じゃあ舟木君だけ学校で先生とお勉強しよっか。みんな外出てるからマンツーマンで一日中勉強教えてあげるね」
「そっちのほうが絶対めんどくせ~」
「じゃあ我儘言わないの。プリント回ってきたら今の内にランドセルに仕舞っておいてね。もうすぐ1時間目始まるから席に座っておくように。じゃあ、また終わりの会で」
言われた通りに回ってきたプリントをランドセルに仕舞う。
軽く目を通しただけだが、概ね先生が話したことが書いてあるだけだった。
補足事項として、詳しい日時や集合場所、当日の持ち物などが書いてあったが、それはまた帰ってからでもいいだろう。
ガキ大将の舟木君が大声で愚痴を垂れ流しながらプリントを大袈裟に見せびらかしているが、
今すぐ使用用途があるほど重要な物ではないし、あの行動にも別段意味はない。
あるとすればただ目立ちたいだけか、程度が低く意味を履き違えた同調圧力だろう。
キーンコーンカーンコーン───。
今日もまた始まった。
小学生という名称の子供達に義務付けられた朝から夕方にかけた憂鬱な時間が。
「やあ葉月君!僕のクラスのほうが早く終わったから迎えに来たよ」
まだ日が高い夕方。
小学生の義務を終えて帰り支度をしているところに隣のクラスの
いつからだったか彼とは随分長い間の友達で、何事も無ければこうして毎日一緒に帰っている。
僕のクラスのほうが早く終わることが多く、
大抵常葉君を隣のクラスの扉の前で待っているのだが、今日は違ったようだ。
迎えに来てくれた常葉君に簡単に挨拶を済ませて帰路に着く。
「そうだ、聞いたかい?再来週の校外学習の話。突然で驚いたよね。なんだってわざわざ山に登ってゴミを拾わなくちゃいけないんだ。そんなの、そういう仕事の大人達に任せればいいと思わない?まあ、早く帰れるっていうのは魅力的だけど、なんだか上手く言い包められている気がするんだよね。
常葉君の言い分はよく分かる。
言い包められている気がする、というのもよく分かる気がする。
とはいえ、ただのゴミ拾いなら完全に同調していたけれど、
「そういえば葉月君はガラクタ山がお気に入りだったね。ほぼ毎日家から眺めるほどに。、、でも不思議だね。毎日見ているのにどうして足を運ばないんだい?何か霊的なものに阻まれているという可能性も充分にあると思うんだ、僕は。おっと、葉月君は怖い話が苦手だったね。ごめんよ」
怖い話というのは聞く側が怖いと認識して初めて成立する。
つまりこの場合は不成立。単なる日常会話だ。
「怖くないのかい?意外だね。どうやら僕が思っている以上にガラクタ山がお気に入りみたいだ。あの葉月君が怖がらないなんて。じゃあ、あの噂話も知ってるかい?」
噂話、、。
梶田君から聞いた話の事だろうか。
「やっぱり知ってるみたいだね。本当かどうかなんて帰ってこれないなら確かめようがないのにね。どうしてそんな噂が広まったんだろう。誰かの作り話かな」
言われてみればそうだ。
でも、帰ってこなかった人の知り合いが気付いたらどうだろう。
「気付いたら通報してもっと騒ぎになっているんじゃない?行方不明を警察に言わずにただの都市伝説で片付けることなんてないだろうし。全部憶測に過ぎないけどね」
まあ尾ひれを付けるからこそ噂話は面白みが増して広まっていくものだろうしいいんじゃないだろうか。
大の大人達が本気で取り付くとは思えないし。
「そうだね。噂は噂として楽しむのが一番だよ。何事も確信に触れる前の半信半疑な状態が一番楽しいものさ。人はせっかちな生き物だからすぐに痺れを切らしてしまう事が多いけどね」
常葉君はそう言って前を見たまま小さく笑った。
感情の乗っていない、乾いた笑いだった。
「っと。もうお別れだね。葉月君との時間は楽しいからいつもすぐに過ぎていってしまうね。また学校で会おう。それじゃあ」
楽しそうな、物悲しそうな。
そんな複雑な表情をする常葉君と家の近くの曲がり角で別れた。
二人でいる時間が楽しく、短いものだと思っているのは僕も同じだ。
かと言って、それが恋慕の情だとかそういうくだらないものに揶揄されるのは到底承認出来ない。
もっと特別な、友情とも似て非なる感情なのだ。
僕が彼に持ち合わせているのは。
それを何と呼ぶのかは今のところ知らないけれど。
常葉君と別れて数分。
慣れた手付きでポストに入った鍵を手に取り、家に入った。
不法侵入ではない。
言わずもがな自宅だ。
玄関で靴を脱ぎ、下駄箱にしまって、廊下を歩きながら校外学習のプリントを取り出す。
居間に着いても立ち止まらずに、プリントをテーブルの目立つ位置に置いて、そのまま二階の自室へと上がる。
プリントを置くという動作が加わったが、何て事のないいつも通りのルーティンだ。
ここからの行動も、別段変わる事はない。
早々に宿題を済ませ、暇潰しに漫画を読んで、空腹と夕食を待つ。
夕食が出来て母親が呼びに来ると、下に降りて親子三人で食卓を囲む。
仲が悪いわけではないと思うけれど、食卓での会話はあまりない。
いや、食卓に限らず口数の多い家族ではないかもしれない。
そのほうが、過干渉されずにいて心地良いのだから文句は言わないけれど。
夕食を終えれば家族が順番にお風呂に入って、歯を磨いて就寝する。
何も特別ではない習慣。
一日の流れ。
だが、僕だけはそこに、ガラクタ山を見るという習慣を追加する。
昨日より少し逞しくなった三日月が、今日も雲の隙間からガラクタ山を照らしていた。
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