第12話 これが運ってもんかしら
飛梅女子高等学校旧校舎三階奥の女子トイレ――
狭く細長い空間、たった一枚のすりガラスの窓から差し込むのは、かすかな光だけ。
蝉しぐれが鳴り響く中、梅雨明けの湿気が古い襖紙のように張りついていた。湿った空気がじっとりと肌にまとわりつくその中で、八重とトキコは互いの腕をしっかりと握りしめ、雪姫と花子さんの動向を一切微動だにせず見守っていた。
一見、陰キャの見本のような風貌の雪姫が花子さんと楽しげに会話を交わし、場の空気を和ませる。
そして、いよいよ核心に迫る声が、しんと静まり返った空間に響く。
「実は……いきなり呼び出したのは、花子さんにお伺いしたいことがあったからなんです」
「なあに?」
昭和初期の蓄音機から漏れる童謡のような調子で答えながら小首をかしげる花子さんに、トキコの胸はキュンと高鳴る。
まっすぐに整えられた前髪のすぐ下から、まるでガラス玉のような大きな瞳が覗き、まるで小動物のように愛らしい鼻と口元が輝いている。
「来年、2025年の7月に大災害が起きるという予言……花子さんは、そのこと、ご存知ですか?」
花子さんは驚いたように「えっ」と眉をひそめ、不安げな表情を浮かべる。
「私たちは、その予言を止めたいんです。でも、どうすればいいのか全くわからなくて。だから、花子さん、何かご存知じゃないかと思たんですが……」
「その様子じゃ、予言を聞くのも初耳みたいだね」
雪姫の説明に八重が雑に口を挟むと、花子さんはしょんぼりと肩を落とし、小さく「ごめんなさい……」と呟いた。
「なんであんたは子供にそんな言い方しかできないのっ!」
と、トキコが八重の襟首を引っ張り、後ろへ押しやりながらずずいと花子さんの前に乗り出す。
「花子さん、こちらこそ静かに暮らしていたところに、突然お邪魔してしまってごめんなさい」
トキコは女の子たちを堕とすときのとびきりの笑顔を浮かべ、雪姫の後ろから顔をのぞかせる。
まるで童話から飛び出してきた若く美しい王子様のようなトキコに、花子さんは少し頬を赤らめ、もじもじしながら上目遣いで言った。
「私はわからないけど、えらいひとに聞いてみようか」
「えらいひと……?」
花子さんは、トキコが次の言葉を挟む前にふわりと霧のようにその姿を消した。
雪姫はゆっくりと立ち上がり、眼鏡をかけ直しながら情けなく笑ってみせた。
「なんとか……お会いできましたね」
その後ろで、八重は腕を組みぶすっと不貞腐れた様子で呟く。
「これが、運?」
「運……です」
トキコもなんとか現実を受け入れようと、腰に手を当て深呼吸してから雪姫に向き直る。
「……えらいひとって、誰?」
「わかりません」
それ以上何を言えばいいのか分からず、三人は視線だけ交わして沈黙に包まれた。
そんな気まずい空気を割いて、まるで映像が立ち上がるかのようにして再び花子さんが姿を現した。
「聞いてきた!」
「なにか、わかりましたか?」
雪姫が、再び腰をかがめて花子さんと同じ目線になり尋ねると、花子さんは首を横に振りながら、つぶやいた。
「聞いたんだけど……難しくて、よくわかんなかった」
「そう、ですか……」
雪姫は少し残念そうな声で呟く。
「でも、なんだか……あなたたちの心がけ次第で止まるかもしれないって!」
「ハイハイ、私ら人類が愛を学んでどーのこーのってヤツでしょ。それが出来たらとっくに戦争なんか起きてないっつーの」
八重は大きく手を広げ、鼻を鳴らしながら嫌味交じりに言うと、花子さんはすかさず無邪気な笑顔で三人を指差しながら答える。
「いや、あんたら! ピンポイントで、あなたたち!」
「はぁっ!? なんで私ら?」
八重が大声で圧をかけると、花子さんは怯えたテントウムシが飛ぶように雪姫の後ろへ隠れる。
トキコは、八重の頭を軽く叩きながら「怖がらせるんじゃないの!」と叱りつけた。
トキコと雪姫はすっかり怯えた花子さんに平謝りし、その場を切り上げることにした。
「なーんも収穫なかったなあ」
長い廊下を八重が頭の後ろに手を組み、つまらなそうに大股で歩く。
「そんなことないでしょ! 花子さんに会えたんだよ!? あ・の・花・子・さんだよ!? 大収穫でしょ!」
興奮冷めやらぬトキコが、八重に抱きつく。
「それに、予言を止める方法を知っている人がいるってことはわかったじゃない!」
「そうなんです!」
トイレを後にしてこれまでまったく気配がなかった雪姫が、八重に抱きつくトキコにつかみかかりながら言う。
「えらいひとは、予言の止め方を知っているんですよ!
止める方法があるってことがわかっただけでも、大収穫です!」
めずらしく興奮した雪姫に、八重とトキコは圧倒されてしまった。
「やっぱりここに来てよかった……! 片っ端から、会いに行きましょう!
誰か、えらいひとを知っているかもしれません!」
「誰かって……誰に?」
トキコは自分の首元を掴んだ雪姫の手をゆっくり解きながら問いかける。
雪姫はすかさずその手を握り返し、似合わぬ明るい声で言った。
「この学校に潜む怪異、全部です!」
雪姫のリボンが風見鶏のようにくるりと回る。八重の靴底が軋む音が、廃墟のピアノの黒鍵を踏むような不協和音を奏でた。
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