第9話 学校の七不思議・踊り場の大鏡
旧校舎一番東側、二階踊り場に鎮座する大きな姿見――
『昭和45年卒業生寄贈』と、赤い文字が半ば剥げ落ちた趣ある刻印が残る。
埃に覆われ、ガラス面は霧のように霞み、三人が並んで立つと水底に沈んだ黒い金魚のようだ。八重がスマホを掲げる指先に、廊下の蜘蛛の巣が銀糸を揺らした。
すっかり眠気から覚めた八重は、目をキラキラさせながらスマホのインカメラに向けて、今か今かと待ち侘びるかのように、鏡を背に立っていた。
「七不思議って、スマホに対応してんの?」
と、腕を組んで八重を眺めるトキコが呟く。
「鏡だろうが、カメラだろうが、光を通せば霊界共通語よ!
未来のツレとツーショット写真、撮っちゃうんだもーん♪」
と、映えた七不思議の写真を撮りたい八重は、上目遣いでスマホの画角を細かく調整する。
このがさつな女が未来の伴侶をこんなに前のめりで知りたがるのを意外に思われるかもしれないが、そうではない。要するにせっかちでミーハーなのだ。これから待ち受ける自分の未来の答え合わせをとっととやってしまいたい。自分の伴侶がどんなもんかを知りたいだけなのだ。
そんな八重をため息交じりに眺めるトキコに寄り添うように、雪姫が柔らかい声で声をかける。
「手鏡も用意してきましたから」
「ありがとう、雪姫ちゃん……」と、とにかく面倒くさいトキコは力なく微笑む。
「おい、トキコもスマホを構えなって。時間が迫ってるぞ」
「わかってるよ」と言いながら、トキコはスマホの電源を入れると、すぐに休みなく何度も振動し、通知で画面がチカチカと点滅し始めた。
鬼電と鬼メールを、鬼無視し続けるトキコに、八重が恐る恐るたずねる。
「……な、なんか、エグい量、通知来てるけど」
「ああ、多分、元カノ。しつこいんだよね」
「……返事くらい返せば? 心配してんじゃない?」
「もう別れてるんだから心配されることなんか何一つとしてないんですけどね。……それに、返事なんかした日にゃ、朝まで止まらくなるよ。私が家にいないことに気付いて、焦って連絡してきてんじゃないかな」
「もう少し……穏便に別れられないもんかね」
「みんな私を愛しすぎて、言葉が通じなくなっちゃうから……」
「こわっ。きもっ」
八重とトキコがブツブツ言い合いをしていると、キチンと腕時計を手にした雪姫が、静かに告げる。
「先輩方、まもなく二十二分です。三、二、一……二十二分になりました」
八重はインカメ越しに、曇った姿見の中のシルエットを凝視する。
そこには、人影がちらりと見えるような気がするが、曇った鏡はただかすかな輪郭しか映さない。
がたいが大きいわけでもなく、むしろほっそりと華奢な印象を受ける。
「んー……誰かいるような気がする……? けど、よくわかんないなあ」
と、誰もがスマホと手鏡の位置を微調整するせいで、肩や腕がぶつかり合い、蒸し暑い夜の中で触れあう肌にじっとりと汗が滲む。
「八重、邪魔っ!」
「だって、よく見えないんだもん!……って、トキコが映り込んでるだけじゃん!」
「こっちもずっと八重が映り込んでんだよ、もう少しそっち寄ってよ。んああ、通知も邪魔だなあっ!」
「これ以上横に動いたら、画角から外れちゃうんだよっ!」
小突き合うふたりの間で静かに手鏡と腕時計を見守っていた雪姫が、再び声をかける。
「あと十秒です」
「ぎゃー! どけ! トキコ!」
「んぎゃぅ!!」
「桜田先輩!!」
パニックに陥った八重はトキコを突き飛ばし、鏡の中央を独占すべくインカメラに映るぼんやりとしたシルエットにズームをかける。
しかし、よく見るとそこには、やはりトキコが映り込んでおり、八重はますます焦りながら、スマホの画面をピンチイン、アウトとせわしなく操作する。
「三、二、一……。山口先輩、終了です!」
雪姫の声に、八重はガクリと肩を落とす。わなわなと怒りがわいてきて、振り向きざまに怒鳴った。
「んもー! 結局トキコが邪魔で映んなかったじゃんかー!」
「人のこと、階段下に突き落としといて、邪魔になるわけないじゃないの!」
すぐ後ろにいると思ったトキコは、バランスを崩しながらも、雪姫に支えられて、階段の手すりにしがみ付いていた。
「死ぬかと思った! 八重、絶対許さんからなー!」
雪姫に抱きかかえられながら、踊り場に戻ってきたトキコは、八重の首を絞めようとする。
「えっ、落ちてたの全然気が付かなかった! ごめんごめんごめんごめんごめん!」
「頭からいってたら死んでたよ!」
「でも、ずっと映ってたじゃん……」
「映るわけねーだろ! あそこまで落ちてたんだぞ!」
「お二人とも、ご近所迷惑ですので……っ!」
揉み合うふたりの間に雪姫が割って入ると、新入生に諫められたこともありトキコは怒りを一旦静める。だが、茶道室までの帰り道、トキコはずーっと恨み言を呟き続けた。
そんなトキコを無視して、八重がふと雪姫に尋ねる。
「ところで、転校生はなんか映った?」
雪姫は少し残念そうに肩をすくめ首を振り、「なにも」と寂しげに呟いたのであった。
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