第7話 雨上がり、塔の猫のかげ
八重の指がタロットカードの縁を撫でると、薄暗い蛍光灯にもかかわらず金箔を鈍く輝かせた。埃まみれの説明書の頁をめくる音が、雨の合間に溶けていく。
「隠者に……カップの3、それと……」
「なになに、これどういう意味なの?」
横から無理やりのぞきこんでくるトキコの頭を押し返しながら、八重は必死にカードと説明書を見比べる。
「つまり──」八重がカップの6を掲げた瞬間、雪姫のリボンが不思議な風もないのにふわりと浮いた。
「思い出から抜け出せていない……」
「思い出、ですか?」
「隠者はプロフェッショナルのカード、カップの3がチームワークだって。いや……ここは仲間が集まってくると読むべきか……? 思い出を抜け出せないプロフェッショナルを集める……」
「どういうことでしょうか……?」
雪姫が唇に指を添えて八重と一緒に考え込む。するとすぐに八重が顔を上げた。
「あ、ピンときたかも」
「なになに!」
目をキラキラさせるトキコに顔を近づけ、八重は張り切って言った。
「思い出の檻から抜けるには、この学校に棲むプロフェッショナルに逢いに行こう!」
トキコがグラウンドから聞こえる水溜りの跳ね音に合わせて拍手した。
何やら盛り上がるふたりにまったくついていけない雪姫は、トキコに「どういうことでしょうか?」と目で訴えるが、トキコはこういうのはノリだからとウインクで返す。
反応の悪い雪姫に八重がじれったそうにくいかかった。
「つまり夏合宿! オカルト合宿やるよ!」
「へ?」
「都市伝説のことは都市伝説に聞くのが一番手っ取り早いってこと!
予言の止め方なんて私たちにわかるわけがないじゃない。だから……」
八重はカップの6を手に取り、ふたりへ見せる。
「思い出にとらわれている……」
次に隠者のカードを手に取り、
「都市伝説のプロフェッショナル……すなわち、この学校に居る七不思議たちに……」
最後にカップの3をふたりへ掲げた。
「お集まりいただき、助けてもらう!」
「どやぁ」と腰に手を当て三枚のタロットカードを掲げて見せる八重に、ふたりは声を失い腕組みしてしばらく考え込んだ。
やがてトキコが口を開く。
「……それって、八重が堂々と深夜の学校で七不思議試してみたいだけだよね。
ずーっと言ってたもんね、気兼ねなく思う存分やってみたいって……」
呆れるトキコへやかましく抗議をする八重を余所に、雪姫は硝子のように冷たい指先でカップの6に触れた。
「奇跡の条件……『偽物』を信じきること……」
部室の扉がきしむ。誰もいないはずの廊下で、消しゴムの転がる音がした。
「山口先輩の占いがそうおっしゃるなら他に手はありません。ダメ元でやってみるしか……」
真剣に考え込む様子の雪姫に、トキコはあははと笑いながら肩を叩いた。
「まあ、家に居てもストーカーがうざいし、夏休み暇だし、私は全然かまわないよ。でも、合宿で七不思議を試してみるっつったって、そんなの逢えるかどうかわかんないよー?」
「……でも、案外、会えるかもしれません」
スっと顔を上げ射貫くような雪姫の目線に、トキコが固まる。
「桜田先輩、おばけって霊感や特殊な才能がないと見られないと思いますか?
ちがうんですよ、大切なのは「運」なんです」
「運?」
八重が小首をかしげる。
「はい。そして、私は運がいいんです」
八重がカードの山をぎゅっと握りしめる。去年の文化祭、校長の手のひらに触れた時の記憶が蘇る。あの時も、カップの6の絵柄のワイングラスに、誰かの涙の跡のようなシミがあった。
「山口先輩」
妙に凛と響く雪姫の声に八重は記憶から引きずり戻される。
「もう一枚、引いていただけませんか?」
雪姫が指指すカードの背に、海藻のような模様が浮かんでいる。八重は瞬間、遠くで潮騒が聞こえた気がした。
導かれるように引いたその一枚は、『塔』の正位置。
崩れ落ちる石の絵の下に、小さな猫の影が描かれている。
それはカードの中でも最悪を意味する。
雪姫が「ですよね」と呟く声に、薄暗い教室の後ろに並ぶがら空きのロッカーから、誰かがくすくす笑うような気がした。
いつのまにか雨は上がっていた。
雨上がりの匂いがカーテンを伝い、雪姫の襟カラーに夏草の影を落とす。トキコが「ねえ、この塔の猫って──」と言いかけて、再び黙る。
雪姫がなにかしんどいものを甘んじて受け止める覚悟を、今、決めたような気がした。
そこから結局、ふたりは雪姫が何を占ったのかを聞くことはできなかった。
こんな風に、『飛梅女子高等学校オカルト研究会』の最初で最後の夏合宿が行われることとなった。
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