Edosipe7’ 口から口へ (2’)

 「墓地の中を突っ切って、向こう側まで行けたらクリアーね」

「一緒に行くんだよね」

「うん。咲が怖がってるとこ見たいもん」

「…………」


認めるのは悔しいが、意地悪な灯もそれはそれで好きだ。


 どさくさに紛れて灯の腕にしがみ付いた。そのまま必要以上に全身を密着させようか迷ったが、ほぼセクハラなのでやめる。そんなことをしなくても、この細く柔らかい腕を抱けるだけで幸せだ。


 「ただ歩くだけじゃ簡単だから、怪談でも話しながら行こうか。夏だし、暑いしね」

「どこがよ。真夏じゃないんだから、夜は普通に冷えてるって」

「いや、咲がくっついてくるから暑いんだよ。っていうか、そんなに怖いかな。ただのお墓だよ」

「肝試しって響きがもうダメ」


 学生の悪ふざけなんて、痛い目を見る典型じゃないか。以前、小径ちゃんに借りたDVDでホラー映画を鑑賞してから、主人公自身が死ぬ「バッドエンド」あるいは「デッドエンド」なる結末があることを再認識してしまった。


 こういうちょっとした遊びが悪霊を怒らせ、致命傷になる可能性は大いにある。それでなくとも、私は霊や神を刺激しやすい主人公体質なのだ。


 ならどうして断らなかったかって? 自分だけでなく灯も危険に晒す恐れがあるだろうって? ふっ、愚問ね。笑わせるわ。


 灯とイチャイチャしたいからに決まってるでしょうが!


 いま私は、生まれたての子鹿のように脚がガクガクと震える中、彼女への愛情と気合いだけで立っている。


 「灯は怖くないの?」

「全く怖くないって言ったら嘘になるけど、平気だな。私は幽霊とか目に見えないものより、身近な人間の方が怖い。現実的な暴力の方が、よっぽど威圧感あるもん」

「…………」


そう言えば、彼女は怖い思いをしたばかりだったな……。


 煩悩まみれだった自分を恥じる。どうして突然肝試しをしようと言い出したのか疑問だったけれど、ひょっとすると心のバランスを取りたかったのかもしれない。怖い思いをした反動で、かえって危険の中に飛び込みたくなってしまったのかも。


 そう思うと何だか悲壮で、切実で、彼女を一層守ってあげたくなった。


 トラブルを配り歩いている張本人が言うことではないけれど……。


 「じゃあ始めるよ。これは母親の友達が経験したっていう話なんだけど……」


灯は宣言通り、地味に怖い怪談話を語りはじめた。私のために準備してきてくれたのだと思うと心温まるが、凍った背筋を溶かすほどの熱ではなかった。夜風にさらされた手足がだんだん冷たくなってくる。私は少しでも暖をとろうと、一回り小柄な彼女の背中に張り付いた。……うん、幸せ。


 話の内容はともかく、灯は意外にも物語るのが上手い。淡々とした口調にはいちいち真実味があり、墓の薄暗さと相まってホラーな雰囲気を醸し出す。古びた旅館と不可解な音の組み合わせに、最初は「はいはい」と聞き流せていた部分も、徐々に気掛かりになってきた。


 ていうか、普通に怖い。


 「はい、今度は咲の番。何か無いの、怖い話」

「そんなの無いよ……。聞いてもすぐに忘れるし」

「じゃあ私がもう一つ」

「いや、ムリムリムリムリムリ」

「そんなに怖い? 世にある怪談の中では、割とオーソドックスというか、も……」


このとき、自分の身体がふっと持ち上がるのを感じた。灯の声が遠い。突然イヤホンが外れ現実に引き戻されたかのような、無音の訪れ。


 これは、死?


 え、私、こんなところで事切れたの?


「灯。灯! 気付いて、灯!」


声は届かないが、彼女が私の異常に気付き、地面に横たえたのは見えた。身体とは別の場所に意識がある……これは俗に言う、幽体離脱というやつか?


「落ち着いてください、咲さん」


急に背後から声を掛けられ、はっと我に返る。この声には聞き覚えがあった。


「小径ちゃん、どうしてここに?」


彼女の輪郭は青白く光り、ぷかぷかと墓の上を漂っていた。慌てふためく私に対し、彼女は全くうろたえていない。宇宙遊泳を楽しむように、頭を下にしたり体勢を変えたりして遊んでいる。


「灯さんに頼まれたんです。墓の後ろに隠れて、咲さんを怖がらせてくれって。面白そうだから了承しましたが、見たところ、小細工は必要なかったみたいですね」


ふふっと彼女は小さく笑う。どうしてそんなに余裕なのか問い詰めたかったし、なんなら彼女こそ事件の黒幕なのかと訝しんでしまったが、それより差し迫った問題が他にあった。


「私たち、今どうなってるの?」

「魂だけ身体から抜け出て、黄泉の国に向かっているようです。ほら、地面がもうあんなに遠く」

「黄泉の国って、死んだ人が行くところじゃないの?」

「はい。ですから、引きずり込まれそうってことです。この墓に眠る死者たちに」


 視線を頭上の空に向けると、ぽっかりと空洞が空いていた。ずっと昔からそこにあったかのように自然に、夜の闇に溶け込んだ穴。その虚無から、骨と皮だけになった人間の手らしきものがぞろぞろと這い出してきているところを見て、首筋にぞわっとしたものが走った。


 「狙いは咲さんでしょうね」

「……どうして?」

「あなたは、霊たちの大好物なんですよ。現世で『存在』を失った彼らは、より確かで強力な『存在感』を求めている。あなたのように」


それは、理屈としては分かる。でも、墓参りは初めてじゃない。今日に限って、どうして死にかけるようなことになっているのか……。


「中途半端に霊能力の強い私と触れ合ったことで、彼岸との距離が一層近づいたのでしょう」


彼女はあくまでも冷静に、客観的な分析のようなものを口にする。


「私はただのオマケ――いや、咲さんのを思うと、あながち偶然とも言い切れませんかね」

「どういうこと?」

「……安心してください。咲さんは助かります。私が思いっきり下に押すので、その勢いで自分の身体に戻るんです」


そう言って、小径ちゃんは私の近くへ寄ってきた。


「待って、小径ちゃんはどうするの? 下から引き寄せる方法は?」

「ありません」


肩に手を置き、私と前髪越しに目を合わせる。


「どうやら私は、ここでリタイアみたいです」

「リタイア?」

「遅かれ早かれ、咲さんは幽界へ誘拐される運命でした。私はあなたを助ける為だけにし、ここに居合わせたのだと思います」

「は?」


彼女は唇を真一文字に引き結び、苦しそうに微笑んだ。


 目には涙の膜がかかり、今にも零れ落ちそうなのに、私を想って我慢しているのは明らかだった。


「そうだ。私のお気に入りの映画、観てくださって、有り難うございました。戻ったら、どうか、私の家族とクラスメイトと、灯さんに宜しくお願いします」

「何言ってるの。小径ちゃんも一緒に……!」

「さようなら」


そう言って小径ちゃんは、私の魂を突き落とした。

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