Episode11 スクールフェスティバル (3)

 いよいよ、文化祭本番だ。


 メインイベントは一年二組の劇『閉ざされた教室の中で』だが、上演までは自由行動だ。合流も兼ねて、咲のクラスを覗きに行くことにする。


 二階に上がった瞬間から、ふわりと甘く香ばしい匂いが鼻をついた。ワッフルはあまり食べたことがないので、真っ先に浮かぶのはクレープやホットケーキのイメージだ。まだ朝ご飯を食べたばかりなのに、想像するだけでよだれが出そう。


「灯、おはよう」

「おはよう。咲の当番はいつ頃?」

「午前の後半だよ。だから前半は一緒に回れるね」

「うん。どこ行こっか」

「あっちでスーパーボールすくいやってたよ」

「うーん……」

「あと、お化け屋敷と、もぐら叩きと、射的と……」

「射的!」


勢いよく希望を告げると、彼女は目尻を下げて微笑んだ。大儀そうに校内マップを取り出し、「それじゃあ、一階に下りて右ね」と先導しはじめる。子供扱いされるのは嫌いだが、祭の日だけは甘やかされるのも悪くない。


 咲がさり気なく、私の手を取った。


 人混みではぐれるのも嫌なので、仕方なくその手を握り返す。


 でも咲の顔からは目を逸らした。


 私と手を繋いだくらいのことで、嬉しそうな表情をしてほしくなかったから。


 「やった、百ポイント」

「うわ、すご。私なんてたった二十ポイントだよ」

「咲はゲーム苦手だもんね。特に音ゲー」

「それは関係ないでしょうよ」

「次はあれ行こうよ、魔法少女」

「ああ、二年四組の女装魔法少女喫茶」

「なんで噛まずに言えるのか分からん……」


 二年四組のブースは大盛況だった。二階の廊下から喫茶店の入り口がある三階まで、階段に沿って大量の生徒や親御さんたちが列を成している。私たちもその一員となるべく、最後尾に並んだ。列が前に進むに連れて、従業員らしき生徒の姿がちらほらと視界に入るようになってきた。


「ほ、本当に男子が魔法少女のコスプレをして喫茶店を営んでいる……」

「レアだね」

「レアっていうより、アレでしょ、なんらかの法に触れてるでしょ」

「まぁ、高校って治外法権なとこあるから」


チガイホウケン? 学校の中と外に違いチガイがあることは認めるけど、ホウケンとは何だ。封建制か?


「……それにしても、羽目を外しすぎじゃない?」

「そうかな。折角のお祭りなんだから、これぐらいやらないと」


男子への耐性がないと思っていた咲が、意外なほど落ち着いている。確かに少女の格好をしている分、親しみやすいと言えなくもないけれど……。


「いらっしゃあせ。ご注文は?」


いや、絶対に親しみやすくない。明らかに運動部に所属しているであろう屈強な男子が、「マジカルカプチーノ」「ショコラブマキアート」なんてメニューが載った紙を差し出してきても扱いに困る。


 私が所在なげに視線を彷徨わせていると、咲が「どうする、灯?」と首を傾げて訊いてきた。その隣では屈強な男子がボディビルダー風のポーズを決めている。あれ、何この状況。私がおかしいの?


「えっと、このココアで」

「『イマココにある愛、あなたに捧ぐホットココア』でよろしいですか?」


うんうんと首肯すると、咲がその後を継いで注文した。


「私は『掴めドリーム、クリームソーダ』で」

「かしこまりました。少々お待ちください」


え、常連? そういえば、店名……女装魔法少女喫茶もスラスラ出ていたし、ひょっとして彼女はそういうお店の常連なのでは?


 訝しむ視線を向けていると、咲の背後から誰かが近付いてくるのが見えた。


「あら、いらっしゃい。楽しそうね」

「どうも、林先輩。お言葉に甘えて、来させてもらいました」


咲に林先輩と呼ばれた女性は、うちの学校の生徒のようだ。恐らくここ、二年四組の所属だろう。セミロングの髪にパリッと制服を着こなし、見るからに優等生のオーラを放っているが、咲のような清楚系ではなく、遊び心も知っているお姉さんといった感じ。うっすらと校則違反の口紅を塗っていても、不真面目な感じは少しもない。むしろ若干好印象だ。


「嬉しいよ」


そう言って、彼女は、ちっとも嬉しくなさそうに私たちを迎えた。


「賑わってるでしょう。この企画の案は私が出したんだ」

「へぇ、そうなんですか」

「女装にも魔法にも少女にも喫茶にも、意味なんてないのにね。私が気まぐれに意見を述べれば、勝手に盛り上がって企画になる。学力さえあれば万能だと思ってる、馬鹿な奴らだよ」


……何を言っているんだろう、この人は。ブラックジョークかな? 


 いや、咲と違って、この人は本気なんだ。本気で他人を馬鹿だと思っている。だから平然と、誰に聞かれてもおかしくないこんな場所で、酷いことが言えるんだ。でもだからって……。


「そんなこと言わないでください」


私の心の声を代弁するように、咲が呟いた。彼女はこれまで見た中でも殊に悲しげな、切なげな顔をしていた。


「貴女も思わないの? 文化祭だの体育祭だの、こんなおままごとに何の意味があるんだって」

「……思いません」

「ああ、そう。貴女はそうかもね」


林先輩は元来たほうへ踵を返し、立ち去る直前に振り向いた。


「そうだ。学校祭の出店と言えば、衛生状態が心配よね。うちはそこら辺、徹底しているけれど、咲。ね」


その言葉を聞いた瞬間、咲の顔面が蒼白になった。何事かと尋ねようとした矢先、魔法少年(青年?)が頼んだ飲み物を差し出してくる。私がぎこちなくも丁寧に受け取ろうとすると、彼はカップをすっと引いた。


「こちらのホットココアには最後の仕上げがございます」


彼は懐から謎の瓶を取り出し、『魔法』と称してパラパラとその中身をココアに振りかける。


「ごゆっくりどうぞ」


何食わぬ顔で立ち去る魔法青年。プロだ。ここの従業員は誰も彼も動きが洗練されている。恥じらいもない。毎年、部門ごとに優秀なクラスが表彰されるそうだが、今年の飲食店部門はたぶんここが優勝するだろう。でないと彼らの努力に見合わない。


「説明は無いんだね。見た感じ、メニュー名と最後の粉以外は何の変哲もないココアみたいだけど……」

「灯。その……できれば、ココアには口を付けないで欲しい。頼んだものは私が両方とも飲むから」

「いや、そうはいかないよ。さっきの……林先輩が言ったことを気にしているなら、杞憂だと思う。ちょっと怖そうな人だったけど、まさか毒を仕込んだりはしないって」

「私もそう信じたいけど……。じゃあせめて、味見だけさせてもらえる?」

「心配性だなぁ」


彼女は私のカップを引き寄せ、ワインを嗅ぐように匂いを確かめてから一口すすった。舌の上で執拗に転がし、甘味のなかに苦味や酸味がないか慎重に吟味する。彼女がココアのカップをソーサーに戻すと、肩の強ばりが緩んだのが見て取れた。


「ごめん、灯の言う通りだ。最後に振りかけたのは、たぶん塩だと思う」

「また塩か」

「最近、塩に振り回されてばっかりだね」

「食卓では私たちが振り回す側なのにね」

「塩の逆襲か」

「うん、大塩平八郎の乱だ」


改めて「いただきます」を唱え、各々出された飲み物を手に取る。


 ……咲が口を付けたのは反対側だけど、これも間接キスのうちに入るかな?


 ホットココアが喉を温めて流れるのに合わせて、かーっと顔が火照るのが分かった。


 対して正面の彼女は、涼しい顔で『掴めドリーム、クリームソーダ』をあおっていた。

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