破滅した悪役令嬢が「どうせ死ぬなら」と急激に甘えてくる~悪役令嬢の右腕執事に転生した俺、彼女と最期の30日を過ごす~
ラムいぬ
1日目 破滅と同衾
「リリエステル様、失礼いたします」
扉を開けると、そこにはあの誇り高きリリエステル・ド・ラルスが、椅子にもたれかかるように座っている。
その姿は、今まで見たどのドレスよりも痛々しく感じた。
「……ラト。少し、話があるのだけれど」
「かしこまりました。お側に失礼いたします」
いつもなら背筋を伸ばし、高圧的な言葉を投げかけてくるはずのリリエステル様。だが今は、まるで別人のように肩を落としている。
まるで抜け殻のようだ。
「……すべて、終わったわ。わたくしの人生。玉座の隣など夢のまた夢。家名もきっと取り潰されるでしょうし」
「……公式には『自宅謹慎』と伺っておりますが、それ以上の処置があるのでしょうか」
「ほぼ確実ね。あんな大罪を犯しては、もう仕方ないもの。私をかばうような人、今は誰もいないわ」
リリエステル様は震える声で呟くと、カーテン越しに外を見る。
ここは彼女の生家ラルス公爵家の領都にある屋敷だったが、王宮からの通達で事実上幽閉されているに等しい。
むろん、下僕や使用人は多少残っているのだが、みな同様に戦々恐々だ。
「あなたは……どうするの? ラト。王太子との婚約が破棄され、私の破滅が決まった今、私に仕える価値なんてないでしょう。逃げてもいいのよ、誰も責めないわ」
「いえ、私は最後までお仕えするのが務めです。何があろうと、リリエステル様の執事ですから」
「……そう。優しいのね。昔から、いつも忠実だったわね」
その言葉に含まれるトゲはなぜか感じられず、ただ穏やかな諦念だけがあった。これが“悪役令嬢”と呼ばれ、他の令嬢やヒロインに嫌がらせを繰り返した人物だとは信じがたいほど。……自分も、いつも彼女に怒鳴られ罵倒されてきたのに。
「本当に……いろいろ、ごめんなさい」
「……リリエステル様?」
「おおかた、王太子殿下の御前で私の醜態はすべて明るみに出たのでしょう? もう、限界だわ。私が悪役だって言われたって、否定できる材料などどこにもないわ」
その瞬間、俺は頭の奥がチクリと痛んだ。
……なんだ、この既視感は?
もしや……これは、あのゲームの……。
俺は現代日本の人間だったはずなのに、気づけばこの世界で執事として暮らしている。
妹が好きだった乙女ゲームの名シーン、悪役令嬢が破滅するルート……まさにその展開に酷似している?
……そうだ、これって妹がやりこんでた“ロージェリアの花園”って乙女ゲームにそっくりだ。
プレイヤーはヒロインとして王太子を攻略する話……じゃあリリエステル様は悪役令嬢役で……。
「ねえ、ラト? 急に黙ってしまったけど……どうしたの?」
「いえ、何でもございません」
頭が混乱する。
確かに、気が付いたらこの世界の住人になっていた。
記憶が曖昧だったが、これまで執事としての日々は“こっち”で真剣に生きてきた。
けれど今、破滅の瞬間に来てようやく気づくなんて。
つまり、このゲームのストーリー通りならば、悪役令嬢リリエステル様は完全に詰み、30日後には辺境送りか、下手をすれば処刑ルート……。
「……ラト。もう、こうなったら最後のわがままを言わせてちょうだい」
「最後の……わがまま、ですか?」
「残りの日がどれほどあるか分からないけど、“どうせ死ぬなら”あなたと一緒に過ごしたいの。わたくしを甘えさせてちょうだい。今さらだけど、わがままを言わせて」
切実な瞳だった。
あの高慢ちきなリリエステル様がこんなふうに頼むなんて、正直驚愕だ。
だけど……放っておけない。
今の彼女は確かに落ちた立場だが、同時に今まで見せたことのない素直な気持ちを吐露している。俺は、どうにかして助けたいと思ってしまう。
「……わかりました。ただし、死ぬなんて言わないでください」
「フフ……ありがとう。あなた、優しいのね。でも今は、少しだけでいいから、こうして抱きついても……いい?」
「……ええ、もちろん」
リリエステル様が立ち上がり、俺の胸に顔をうずめる。
つい先日までは「ラト! そこに直りなさい!」とヒールで床を鳴らしていた彼女が、今は小動物のように身を寄せている。
その温もりに、俺は少し胸が苦しくなる。……どうして、こんなに追い詰められているのに、気丈さを保とうとするんだろう。
「これまでのわたくしと比べたら、随分と滑稽でしょう? でも……もう何も残っていないの。せめて最後の数日くらい、こうやって寄り添わせて」
「……はい。お休みになりませんか? 今日は疲れましたよね」
「ええ……同じベッドでも、いいかしら? どうせ世間の目なんて、もうどうでも……」
熱を帯びた瞳で、リリエステル様は切なそうに微笑む。
俺は、その微笑みに胸を刺されるようだった。執事として許される行為かどうかなど、もはや関係ない。
俺は小さく息をのみ、その言葉を受け入れる。
「お嬢様が望まれるなら……」
その夜。俺たちは同じベッドに横たわった。
灯りを落とし、カーテンをきっちり閉めた部屋の中、暗がりのなかでお互いの体温だけを感じる。彼女はそっと俺の腕をつかみ、逃がさないかのように軽く指を絡める。まるで小さな子供が安心を求めるように。
「ラト、まだそこにいる……?」
「ええ、ずっとここにいますよ」
「少し……顔を近づけても、いい……?」
「……はい」
いつもは高飛車な口調を取るリリエステル様だが、今夜は違う。愛らしいと思えるほどに弱さを見せてくれている。
彼女の隣に腰を下ろすと、ベッドの柔らかな弾力が微かに沈んだ。リリエステル様の寝間着は薄い素材で、肌がほんのり透けている。
その姿を見た瞬間、正直どぎまぎしてしまう。
だけどここで変な邪念を抱くわけにもいかない。
俺はあくまでも執事、主を安心させることが第一だ。
「明かりを消しますね」
「ええ、……お願い」
部屋のランプを落とすと、月明かりが差し込む程度の暗さになった。
リリエステル様が布団に潜り込むのを確認し、俺も少し距離を置いて横になる。
するとすぐ、リリエステル様の細い腕が俺の腕を探るように伸びてきた。
「……もうちょっと、近くていいんじゃない?」
「失礼いたします」
お互いの体温が伝わる距離。
金色の髪からかすかにいい香りが漂ってくる。優雅な香油の香りだろうか。
リリエステル様の横顔はいつ見ても整っている。
まるで人形のように完璧な容姿だが、今は少し切なげな表情を浮かべている。
「ごめんなさい。……昨日までのわたしなら、こんなことしなかった。いまさら優しいふりをしても手遅れなのかもしれない。でも……全部終ってしまうなら、せめてあなたの温もりに甘えたくなったの」
「……どうか、ご自分を責めないで。俺はリリエステル様に仕える執事。これが最期だろうと、最後までお守りいたします」
そう言った途端、彼女は目に涙を浮かべながら、俺の胸にそっと額を寄せてきた。
自然と、俺の腕は彼女を抱き寄せる形になる。
胸のあたりに伝わるかすかな震えと、甘い香り。
いつもは高嶺の花のように遠いはずの主が、こんなにも近い。
「……ラト……少し、乱暴するわよ」
「えっ……?」
彼女は俺のジャケットの胸元を掴むと、そのまま引き倒すようにベッドの上へと引き寄せた。
軽い衝撃とともに、彼女の金色の髪がさらりと俺の頬をかすめる。
「嫌なら、止めて。でも、わたし……あなたの声が聞こえるところにいたいの」
「……わかりました。リリエステル様の好きなように」
そのまま、彼女は俺の肩に頭を預ける。
時折、鼓動が聞こえるほどの至近距離だ。
もぞもぞと彼女がシーツの中で体を動かすたび、俺は自制心を試される。
けれど、彼女の震える呼吸と頬の熱を感じると、抱きしめずにはいられない。
暗い部屋には、外からの月光だけが淡く照らす。
しばらくして、リリエステル様が俺の胸に顔を埋めながら小さな声で言う。
「ねぇ、ラト。わたし、あなたにだけは、こんな姿を見られてもいいって思えるの。……もう、誰からも称賛されないし、みんなわたしを見放した。でも、あなたは――」
「最後まで、傍にいます。リリエステル様を……放っておきません」
「ふふ……あなたって、ほんとに変わらないわね。もう少しだけ……強く抱いて」
少し遠慮がちに、しかし確かな意思を込めて、俺は彼女の華奢な肩を抱きしめた。布団の中で、柔らかな温もりが重なる。
そうして俺とリリエステル様は、一夜を共にした。
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