カーマンラインの魔法少女

みのる

第1話「停学ロケット」

「決めた。今晩打ち上げるぞ。」


 金曜日の夕方、コンクリート打ちっ放しの工学部棟1階にある流体力学研究室の談話室に、高く通った声が響く。声の主は少女とも呼べる背丈だが、高らかに宣誓する様はまるでジャンヌダルクのようにも見える。

 しかし虚しく、彼女の声は散らかる研究室に積もる埃を舞わせるだけだった。だが、彼女も虚空に向かって宣言したわけではない。

 数秒置いて、だんまりを決め込むつもりだった部屋の主が、観念してソファから起き上がる。


「許可は?」

「あるわけない。」


 彼女は(何を当たり前のことを。)と言わんばかりのしかめ面をする。


「何を当たり前のことを。」


 実際に言った。彼女──赤塚宵あかつか よいはこの手の冗談を言ったためしはないが、今回は事が事だけに間をおいてみる。しばらくたって再度彼女の顔を見るが、しかし、その表情は変わらない。腰に手を突き、堂々と立ってこちらを見つめている。その様を横目で確認した青年は、ため息をついてカビ臭いソファから這い上がる。


「学部のトラック、借りてくる。」


 その言葉を受け取った彼女は、その青年──日置治功ひき はるこうに一瞥もくれず、壁に掛かっている倉庫の鍵を取った。


「停学チャレンジと行こうか。」


 よいは、毎度毎度無茶を通す度、かけらの申し訳なさも感じさせない、傲慢不遜な一笑もしない。

 ただただ目的地に向かって突き進む、ロケットのような人間だった。



 国立M大学は、砂浜海岸と堤防、バイパス道路を挟んで伊勢湾に面する。砂浜海岸は海水浴場ではないが、堤防には常に開いている門があるせいで、車両は無断で乗り入れられてしまうので、釣り人の隠れスポットにもなっていた。

 午後10時、M大学の裏門から2台の2tトラックがそろそろと出場する。M大学の裏門から堤防の門まではすぐなので、サイドランプのみ点灯させ徐行しても、僅かな人の往来や通過する車に気付かれずたどり着くことができた。

 トラックから降りた4人と、周囲で監視に当たっていた6人は、街灯もない夜の海岸でも足を絡めることなく集結する。


「よし、10分でカウントスタートまで持っていくぞアホ共!1分1秒を大事にすれば停学から逃れられるかもしれんぞ。あと降りるなら今のうちだぞ。」


 治功は喉の奥を絞りながら、可能な限りの声を出し、最後通牒と言わんばかりの脅しをかける。いつも通りのよいの無茶なのに、M大学ロケットサークル20名のうち、半分ほど集まったのは、治功はるこうにとっては意外だった。宵と同じく、恐らく二度と実現しないであろうロケットの打ち上げに未練が残っていたのは、皆同じだったようだ。それと同時に、上手くやらなければ無許可の飛翔体発射で10人が一斉停学、下手を打てば一斉逮捕もあり得るだけあって、サークル長の治功としては少しでもリスクを減らしたい思いもあった。


「サー長の御託はどうでもいいよ」「それよりランチャ班が俺しかいないから人手が欲しいんだけど」「PIペイロード班は仕事ないのに逆になんでこんなにいるんだよ」「なんか見れるかもしんないだろーが」


 しかしサークル員達は、そんな治功の心配など微塵も興味を示さない。頼もしくもあるが、僅かに胃が軋む音を感じていた。

 締まらない決起集会のような輪から、一際小さな影が離れる。それを合図のようにサークル員達は、勝手にそれぞれが決めた持ち場について作業を始めた。いつものことではあるが、治功はため息をつく。その影─宵はトラックの荷台にノートPCを置き、クリアボックスから引っ張り出したケーブルに接続していく。

 治功は宵の横に並び、荷台に腰掛けた。


「相変わらずどっちがサー長なのか分からん。」

「私には無理。カリスマはあるのかもしれないけど、マネジメントは致命的に向いてない。皆も分かってる。」

「相変わらずだが、自分でカリスマって言うか…。」


 宵の俯瞰的なスタンスは、2人が出会った頃から変わっていない。宵の自己評価の通りに、このロケットサークルも宵の圧倒的カリスマで立ち上がったようなものではあるが、宵だけではすぐに空中分解を起こしていたことは誰の目にも明らかだった。治功は昔から、カリスマの接着剤である。

 治功のボヤキも意に介さず、宵はノートPCでコマンドラインを叩いていく。クリアボックス内に乱雑に収められている機器類が放つ蛍光色のLED点滅が、夜の海岸で特に目立った。


「宵、バレたらまずいからボックスに何か被せていいか?」

「もう終わる。排熱が籠るからなにもかけないで。」


 その言葉通りに、ボックス内の機器類のLEDは点滅を終えた。


「フライト系の自己診断終わり。」


 宵が簡潔に告げる。すかさず治功は、片耳掛けのヘッドセットのマイクを持つ。


「ランチャ班、準備は?」

「今展開した。」


 ランチャを搭載した2台目のトラックは、治功たちのいる1台目からは50mほど離れたところに移動していた。暗闇に慣れてきた目が、遠目で6人ほどの人影を捉える。


「OK。搭載行くぞ。終わったら言って。」

「そっちから2人ほどよこしてくれ。どうせ起動は赤塚が1人で出来るだろ。」

「まぁな。」


 治功は1台目の荷台で追跡用のアンテナを展開していた2人に、「あとは俺だけで出来るから」と言ってランチャへ向かうよう指示を出した。


「治功。そっちだけじゃなくてハイゲインアンテナも出して。」

 宵がノートPCから顔を逸らさずに指示してくる。

GNSS衛星測位システムのローデータも拾う。それだとビットレートが悪い。無制御だしランチャー傾斜5度ぐらいだから固定しても十分拾える。」

「GNSS?どうせ拾えないのに、何を見るんだ?」


 GNSS衛星をはじめ、ので、光学機器と地上通信系以外は意味がないはずだ。


「GNSSのデータ乗せない状態で観測データ送れるように作ってない。何が起こるか分からないから意味なくても本来の形で打ち上げたほうがいい。」

「それもそうか。」


 リスクはなるべく減らした方がいい。治功は大人しく従い、高利得ハイゲインアンテナを設置した。


「サー長、こちらランチャ班。ロケット搭載完了。ランチャあげていいか?」


 治功は宵の方を見る。宵はこちらを見ず、「いいよ」と短く言う。


「OK。ランチャ上げ。発射上下角85度、方位角90度。」

「ランチャ上げ了解。」

「ランチャ固定完了次第、アンビリカルの最終確認。終わったら一報入れて、こっち戻って。誰か2人だけ堤防で監視行かせて。」

「了解了解。」


 ランチャ班長は治功の指示を聞きつつ作業を進める。トラックの荷台から徐々に先端が尖った円筒と、それを下から支えるようにトラス状のランチャーが屹立していく。

 M大学ロケットサークル初の観測ロケット、「シンフォニー号」。

 全長4.5m、直径0.53mのややずんぐりしたロケットは、単段式固体燃料モーターによって高度110kmまで到達する性能を持つ。

 かつての学生ロケットでは宇宙空間到達──高度100kmカーマンラインを突破することは夢のまた夢であったそうだが、JAXAの観測ロケット事業の大きな見直しによって、一般の大学機関でも本格的な観測ロケットの同等品が手に入るようになってからは、このクラスの学生ロケットは標準的なスペックとなっていた。

 しかしそんな学生ロケット最盛期も今は昔、から2年が経過し、ロケットという輸送機器自体が過去のものとなり始めている。

 そういった流れには当分逆らえないと判断したM大学経営陣は、ロケットサークルに今年度いっぱいの活動停止を通告した。それが先月のことであった。

 宵も治功も、大学に入学しロケットサークルを立ち上げてから、いや、初めて出会った小学校6年生の頃からその瞬間を待ちわびていた。しかしどうやら、2年前のあの日、その瞬間が永遠に奪われたらしいことを察してから今日まで、ほとんど諦めかけていた治功とは異なり、宵は耐え忍んできたらしい。

 治功にも、宵をこの道へ誘った者として責任を感じないわけではなかった。だからこうして、人生をかけた無茶を実行しようとしている。


「治功。」


 治功の真正面に宵が立っている。正確には、2人の身長差は15cmほどあるので、治功からは頭頂部しか見えない。治功はやや後ろに下がり、目線が合う距離感を選ぶ。宵はそれを見届け、言う。


「呆けている暇はない。各員退避完了した。GO/NOGO判断。」

「あ、ああ、悪い。」


 治功は頬を叩き、インカムのPTTスイッチを押す。


「これよりGO/NOGO判断を行う。フライト班。」

「GO。」

「追跡班。」

「若干1名だけどGOです。」

「ランチャ班」

「同じく1名だけどGO。」

「射場監視。」

「GO。むしろ今しかない。」

「PI班。」

「GO。」

 隣の宵が答える。

「兼、ミッションマネージャー。」

「GO。」


 ミッションマネージャーを兼任する宵から、二度目のGOが返ってくる。これで全ての準備が終わった。一度息を飲み、治功が答える。


「サー長こと打ち上げ責任者、GOです。打ち上げ断行。タイマースタートします。フライト班用意!」


 治功の号令に合わせ、フライト班が自動カウントダウンシーケンスを実行する。カウント開始からロケットは自律で打ち上げ判断を行い、僅か30秒ほどで打ち上がる。

 フライト班のノートPCと宵のノートPCからロケットの最終自己診断が流れる。

 自己診断をクリアしたロケットは、搭載している電池からの給電に切り替え、トラック上の発電機から供給される電源を遮断する。

 それからわずか数秒後、カウントダウンシーケンスが完了する。シンフォニー号の打ち上げシーケンスは高度に自動化されているが、最後の判断は人間に託されている。宵の手元のスイッチがカウントダウン完了プラスマイナス1秒以内に押されない限り、ロケットは点火しない。

 打ち上げ管制システムがTマイナス5秒を告げる。

 顔は見えないが、宵はこんな状況でも、冷静を崩さない。

 爆発的なエネルギーを放出するただその時まで、ひたすら冷たく静かに待つ、ロケットのような人間だ。


「治功。」


 治功は驚きのあまり目を剝く。それはこんなタイミングで話しかけてきたことではなく、宵のその表情を見たからであった。


「人類最後の、ロケット打ち上げだ。」


 自動管制システムがカウントダウン完了のビープ音を鳴らす。宵が、10年来の付き合いである治功ですら見たこともない涙を流しながら、ゼロコンマのずれもなく、発射スイッチを押す。

 突如、閃光が夜の海岸を照らす。低く腹に響く轟音と共に、閃光が鋭く上昇する。




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【WADO公式観測宇宙飛翔体発射記録 #27】

 日本標準時9月8日22時20分、快晴、月齢 14.3。

 打ち上げ機:M大学ロケットサークル観測ロケット「シンフォニー号」

 目的:宇宙空間の記念撮影及び、搭載GNSS-TEC機器による電離層鉛直構造の観測

 ※尚、実際の打ち上げについては関連諸機関の認可を得ず、学生の独断により実施されたために、上記の目的は正確なものでない点に留意。

 特記事項:同打上実験では、20XX年2月25日より継続する全地球的宇宙空間隔離現象(通称:天蓋)発生後、初のカーマンライン(高度100km)突破を達成し、宇宙空間に到達した。


WADO/JAXA

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