(2)

 築き上げるのにどれだけの時間と労力をかけようが、転落するのなんざあっという間。気づけば独り。この手に残されたものなど、なにひとつありはしなかった。

 それでもかまわない。人間はなにも持たずに生まれてきて、なにも持たずに消えていく。そういうものなのだ。


 露と落ち 露と消えにし 我が身かな――


 感傷とは無縁な性格だと思ってたのに、秀吉の辞世の句までが浮かんできて我ながらげんなりする。

 なにが夢のまた夢だ。どうせ夢の中で見る夢なら、こんなしょぼくてお粗末な結末なんかじゃなく、もっと壮大で型破りで、ハチャメチャな内容だってよかったはずだ。それがどうだよ、現実は。こんなん、俺の人生のシナリオにはなかったはずだろ……。


 無様すぎて滑稽にさえ思える己の現状に、いっそ嗤いがこみあげてくる。とそのとき、


「ねえ、なにしてんの?」


 すぐ真後ろで、不愉快なほど無神経な声が甲高かんだかく響いた。

 この空気の読まなさ加減。ぞんざいな物言い。耳障りなハイトーンボイス。

 俺の人生において、もっとも縁のなかった人種――見ず知らずのクソガキは、いつのまにやら人の許可もなくパーソナルスペースの内側に入りこんでいた。


 直前まで己のうちを満たしていた惨めったらしい気分は、一瞬のうちに消し飛んだ。

 不意打ちで声をかけられたことで咄嗟に反応してしまったのがマズかった。合わせるつもりもなかった目が、まともに合ってしまう。黄色い通学帽をかぶったちっこい坊主。内心でチッと舌打ちするも後の祭り。いまさら聞こえなかったふりもできず、かといって相手をする気にも当然なれない。

 それ以上寄ってくんなオーラを纏って邪険な態度も露わにひと睨みすると、ふたたび正面に向きなおった。


 いかに無神経なクソガキといえど、ここまであからさまに態度で示せば察するものもあるだろう。大人がみんな、子供に寛大で手心を加えられると思ったら大間違いだ。ましてやいまの俺に、まっとうな大人の良識なんぞ持ち合わせる余裕など欠片かけらもないのだから。


 もともと子供になんていっさい興味もなく、日頃から身近に接する機会さえ皆無だった。擦れ違いざま挨拶をしたくらいで通報されるこのご時世、知り合いでもなんでもない子供と言葉まで交わした日には、どんな事態になるかわかったものではない。不用意に話しかけてくるようなガキと迂闊に関わりを持って、面倒ごとに巻きこまれるなど、ご免こうむるところだった。

 だいたいが見ず知らずの大人に無警戒に近づいて、平然と話しかけるガキもどうかしている。悪気なく話しかけた相手に睨まれた挙げ句、無視までされれば、いかに物事の道理や機微を解しない年齢でも、さすがに感じるものはあるだろう。場合によっては傷つくかもしれない。だが、ある意味、それも自業自得というものである。子供であることを理由に、なんでも許されると思うこと自体が大間違いなのだ。これであのガキも、そうそう馴れ馴れしい態度で見知らぬ大人に無遠慮な振る舞いをすることもなくなるだろう。そもそも、こちらにだって都合というものがあるのだ。


「他人と馴れ合うなんざ、ごめんなんだよ」


 ボソッと漏れた本音。

 そうだ。いまの俺は子供どころか、どんな人間とも関わり合いたくなかった。だれとも関わらず、だれにも顧みられることなく、このまますべてを終えてしまいたい。虚しくて結構。孤独で万々歳ってなもんだ。俺がこの世にいた痕跡ごと、パーッと消えてなくなれば、いっそせいせいするというものである。


「なれあう、ってなに?」

「うわっ!」


 不意打ちでかけられた言葉に、変な声が出てしまった。ついでにビクッと飛び上がってしまったかもしれない。反射的に身をよじれば、とっくにいなくなったと思っていたクソガキが、まだおなじ場所にじっと立っていた。

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