第7話 礼拝:軽輩:啓培:冷灰:成敗

 影踏みをされながら、進み続けた。


 教会前。人混みの中。


 四角いその建物。正面も四角くて、長い四角の棒のような作り。街壁の石材と同じように大きくて、頑丈に積み上げられている。


 サバディックが口を開いた。教会は、自分たち3人組の仲間のように、人々にんげんをひとりぼっちにさせないために作られたものらしい。何でそうするのかを聞くと、下唇を尖らして黙ってしまった。


 四角い大扉が3つ開かれていて、そこをくぐるためにどしどしと歩みを進める。


 その度に、ローラが足跡を踏みにじってくれた。人混みの中だから、目を引きつけるのは周囲の人だけに留まっている。


 ただ焦げた足跡までは消せない。それでも、花が咲いたままよりは足取りが軽い。


 人の流れに溶け込んで、教会へ入った。


 中は外の見た目と同じように、長い箱の中にいるよう。太陽の下にいるのと同じくらいの、とてつもなく高い天井近くの大きな横窓から朝日が差し込んでいて、街の中なのに空気がおいしい。


 建物の奥には神官さんたちが立っている。箱型の四角い説教壇tʷɨ.dza.ɣθに、皺が多い男の神官。

 その両隣にそれぞれ一人ずつ自分より少し年上に見える男女の神官。

 全員青いˈdʁaː.ɡɨsの上に白いˈʁoː.kaθを羽織っていて、一字架の

 首飾りを身につけている。


 8列を作らせるように、最前列には自分と同じ背丈の神官見習いが、説教壇の下の、また別の平たい壇に立っていた。


 真ん中よりやや後ろのほう、左から2列目のほうに、流れに合わせて縦に並ぶ。


 ざわざわとした声が、天のように高く青い天井を突き抜けて反響した。


 ぼーっと、太陽と空、雲が描かれた天井を眺める。今の自分はその太陽のおかげだと深く頷くような、ありがたさに胸があたたかくなった。もしかすると、首の痛みに気づかないまま見上げ続けることができるかもしれない。




 音が聞こえた。かーんと木を叩くような音。




 喋り声が尻すぼんで、静かになる。


 説教壇にいる皺々の神官が咳払いして、腹の底から大きく重たい声をゆっくりと出した。


「全てを照らす我らが主よ」


 全員、手首を交差させて首を挟み、目を閉じるとうつむいた。汗が飛び散る勢いでそれにならう。だけど半目にして様子をうかがった。


「願わくは御力をあがめさせたまえ」


 その声で、全員目を閉じたまま天井の太陽を見つめるように顔を上げた。


「御力が夜を退けるが如く、我らの災いをはらいたまえ」


 祈りの手は首を守るように重ねられていることに気づいた。気づけたから、首と手があたたかくなったように感じる。


「御力が草木を巡り、それらを食む器に巡り、それらの器を食む器へと巡るように、御力を我らの糧となさせたまえ」


 くしゃみが出そう。くしゃみを響かせる自分を想像して、心臓がばくばくと痛くなった。


「我らに、何者にも挫かれない御力を与えたまえ」


 皺々の神官の声に、若い神官の声がふたつ重なる。


「大いなる力に呑まれたとしても、我らを灰にくすぶる永き停滞から遠ざけ、天の巡りへと導きたまえ」


 全員が声を発するような、息を飲む音。とっさに口だけを動かす。


「巡りによりて生まれ出づる御力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり」


 ここにいる人たちと一体になったような錯覚が、自分の頭を突き抜けた。


 幸せと呼ぶような気分に、ふわふわとした高揚感。同時に戸惑いを覚えた。何も縁がない人たちに、自分たちとひとくくりにしてしまう連帯を感じている。


「そこ、正しなさい」


 皺々の神官の声に、冷や水を浴びせられたように意識がさっぱりとする。


 列の後ろががやがやし始めた。


 周囲の人の顔をうかがう。その表情……


 シャケジャックが頭を抱える。その顔を見たサバディックが深刻そうに顔をしかめた。様子がおかしい。


 振り返る。すると、ローラがいないことに気づいた。


 ローラの、麦色の髪を探して列を見通す。変だな。列を乱す動きはすぐ分かるはず。麦色の影が見当たらない。


 険が増した、皺々の神官の声が槍のように飛ぶ。


「……そこ!正しなさい」


 それに応えるように、声変わりの気配すらない高い子どもの声がした。


「そうだとも。正しくあらねばならない」


 シャケジャックに、背中を強く叩かれた。背筋が伸びる。体のまりょく浸透率を高め始めた。


「正しくあらねば」


 何かが起こる。


 子どもの声に、人とは思えない低い声が重なった。


『正しくあらねば、こうなるぞ』


 人混みが、その出来事を中心にぱっと広がる。人々の重なった影の隙間から、何が起こったのかようやく見えた。


 叫び声に耳を塞ぎたくなる。


 子ども、男の子の右肘を、紫の光帯びた短剣で切り落としていた。ローラが。


 男の子の近くには、ローラに突き飛ばされた大人の男が仰向けに後退りしている。


 目の前の光景に、喉の奥を指で突かれたような顔にさせられた。


なんで?こうなった?


すぐにその疑問は解消される。


 男の子の目は灰色。その目は、人類の敵である証。


 男の子の鼻から、細かい格子の模様をした大きな灰色の布がずるずると狭そうに、しかし素早く現れた。


 けいれんする男の子は頭から倒れ、その近くに灰色の布が浮かぶ。


 それは、巨人の人差し指に、厚手の布をかぶせたような姿。顔があると思われる場所には六角形の仮面、それには、複雑な模様がある。ひとつの大きな目の模様の中に、3つの目が刻まれていた。


 それの存在感に、夜の風を叩きつけられたように、背筋が凍る。


 皺々の神官が大きな声を出した。


「逃げなさいはいが現れた!」


 どんぱちいが始まる。


 人混みが教会の出入り口に殺到すると同時、仮面の布が体をゆるく曲げる。


 すると、ローラの顔を真っ二つにするように、鋭い金属が床から飛び出した。


 鋭いその先端を受け流すように、ローラは短剣の身を当てる。金属は折れずにかくっと曲がって教会の茶色い壁に深々と突き刺さった。


 走るローラは仮面の布へ、紫帯びた短剣を突き出す。


 紫の刃は灰色の布を裂き、大きな穴を開けた。


 破けた布の、細かい糸が伸びて細い金属の刃になる。


串刺しにする気だ。


でも、その伸びる速さよりも速く、ローラは風のように後ろへ下がった。


 神官が叫んでからここまで、2秒程度。


 手に持っていた時計が震える。


『セリン殿、今から神官たちがはい掃除をします。出口は混み合っておりうかつに近づけば押しつぶされて危険でしょう。建物の作りそのものが、埃掃除を強制させています。契約外ですが"勧めの書"に乗っ取り、お手伝いお願い申し上げます』


 普段は声と同じに聞こえるそれが、圧縮されたように時間をかけず一瞬で伝わってきた。


 ザバディックが言っていたことを、魂で理解する。灰は、敵だ。考えなくていいくらい、直感できる。


 神官全員が首飾りを手に持ち、仮面の布に突きつけるように前へ突き出す。その一字架から紫色の光が放たれた。


 光によって、灰色の布が焦げるように小さくなる。布は仮面に隠れるように縮こまった。


 それは攻撃ができるほどの隙。朽麦色の鷹目を鋭くしたローラは、その六角形の仮面へ短剣を突き刺した。


 顔を斜めに裂くような亀裂が走った仮面。しかしそれを待っていたかのように、亀裂は笑みを作っている。


 ローラを全方位から囲んで、床から灰色の刃が飛び出した。


 叫ぶひまもないそのごくわずかな時間。


 でもローラも同じように笑みを浮かべていた。嗜虐いじめっこ的で、攻撃的な、歯を剥き出す笑顔。


 浮遊する太い刃が4本、自分ローラを守るように現れた。床から飛び出した金属はそれにぶつかってぽきりと折れると同時に、浮遊する刃も消える。じっと見ていても、ローラが生み出した太い刃にかろうじて気付ける一瞬のこと。


 ローラは短剣を逆手に持ち替えて、目の模様の仮面を刺すように上から叩き潰した。


 四方に散る仮面の破片。中から模様のない仮面が現れた。


 でもまだ油断できない。自分は体の浸透率を上げ続ける。まだだ。あと10秒。


 シャケジャックが肩に手を置いてきた。戦いは1秒未満で覆される。終わっていない。


 ローラは短剣を仮面から引き抜いて立ち上がり、もう終わったと宣言するように出口で詰まっている群衆へ目線を投げた。


 仮面は端っこから、さらさらと埃のように崩れている。でもまだ、形が残っていた。


 自分の浸透率は弁が開くほど高まっていない。けどここでもたもたできないから出口の右の壁へ走る。


 シャケジャックが意地悪な顔で笑い声を上げた。


 "俺なら意地でも相手に損をさせる"


 床から飛び出す金属で、群衆が串刺しにされる気がした。


 走る。大きく吸う空気で口が渇く。つま先がひっかかって転んだ。立ち上がれ。


 浸透率はまだ低い。でも拳を握る。


 するとシャケジャックの重たい声がまた聞こえてきた。


"拳を握るな。強い奴は手のひらで殴る"


 仮面が全部崩れる直前、やっぱり床から金属が飛び出した。天井、壁、床、仮面がいる場所を起点に出口まで刃が伸びる。


 はっと振り返ったローラは、飛び出した金属を浮遊する刃で自分だけを守った。それと同時、自分こちらの肘から先の腕と左肩が灰色の刃に貫かれる。


 まだ浸透率は低いまま。





 群衆を串刺しをするように、金属は何十本と、雷のごとく、進む。






 それでも、振りかぶって、右手のひらを前に突き出す。






 腕が伸び切るその前に、体が破裂するような衝撃ほとばしった。


 浸透率、最大。


 腕を伸ばし切る。







 突風が吹いた。飛び出した金属を根こそぎぶっ飛ばす。


 その勢いが、教会の茶色い壁をそのまま突き破った。


 埃が吹き飛ぶ。


 なくなった壁から朝日がさして、お天道様が、きらきらと舞う金属片の埃を照らした。

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