第四話 幽明の幽霊

『殺された自覚、お持ちですか。』


時が止まったように動かなくなった亡霊の青年。


その間に、手記の項を後ろへめくり急ぎ校正を行う。


“そこには、致命の傷に、素い花を咲かせた青年が横たわっていた”

“その服と体、顔は、切られる前のように美しい”


項を前へめくる。


“亡霊の青年を背負った君主の少女は、山の麓に面した街の、巨大な外壁に沿いながら右へと急ぎ足で歩く”

“しばらくすると、麓の森へたどり着いた。浅いところまで踏み込み、青年を投げるように背中から降ろす”

"大きな裂傷を繋ぐように生えていたしろい花は散っており、言葉通roθʁentoːʁり切られる前の状態に戻っていた“

“少女は頭巾を跳ね上げると、濡れた紙のようにくしゃくしゃとした表情になる”

“服の下の少女の首飾りから、思念が発された“

“『あの花と錆銀(の髪)の幽霊……もしや……妹様では。』”

"少女は腰の短剣を握りしめ、歯を食いしばる"

“「腹を裂いたら出てくる……?」”

“『それは……あさってにご再考なさったほうが、運気の舞い戻り……あるような気がしております。』”

“青年の、生気のない半開きの瞳、その奥を見つめる少女。彼女は、葉冠のように編んだ髪が崩れるほど、爪で搔き乱す”

“『気味悪い色の眼です……大変な失礼を重々承知したうえで、忸怩じくじたる思いで申し上げるのですが……その眼を閉じていただけませんか。』”

“唾を吐くようなため息をした少女は、靴の裏で、少年の半開きの目を閉じた”


項をめくる。


“君主の少女が、亡霊の青年の目を指先でこじ開けた”

“その開かれた瞳はおぞましい灰色のように見えるが、鉛色。しかし君主の少女の、朽麦色の瞳には、それが灰色に映っていた”

“人に化けたḫlaθは、灰目の色を欺いている”

“君主の少女は、それが本当に灰色かどうか確かめるため、上から下から、右から、左から、あらゆる角度で見つめる”

“少女の、朽麦色の目が覚悟に染まると、口の中をもごもごと動かした”

“勢いよくその目に唾を吐きかける”

“亡霊の青年はひっくり返った蜘蛛のように突然動き出し、逆さの四つん這いで後ずさった”

“後頭部を木の幹に強くぶつけた青年は火が出る勢いで頭をさする”

“少女の目には、やはりそれは灰色に映った”

“少女は手に持っていた短剣を少年の顔へ向けて突く"


その時、青年がようやく口を開いた。


もとの場所まで項をめくり、面を上げる。


“『殺された自覚、お持ちですか。』”


 青年の背中から、薄くぼんやりとした、怨霊の細く巨大な腕が飛び出した。骨ばった長い指ととがった爪が、青年の頭の中を掻き混ぜるようにじっとりと動く。


その怨霊は、誰にも見えていないようだった。


青年は口を開けたまま、小刻みに顎を震わせる。


ぴたりと止まったとき、怨霊はすでに姿を消していた。青年は歯切れ悪くもはきはきと口を開く。


「いいえ。死んで……いませんよ。この通り」


青年は両腕を広げた。


濁った鏡の姿をしている黒破の眷属は、小鉢へと変化し、人のような舌が生えた大きな植物を芽吹かせる。


その舌は、砂色に干からびた


その有り様に、君主の少女は目を細めて顔を歪める。


青年はおどおどした声で、その干からびた舌を視線で指し示した。


「多分、嘘とか、本当のことを話しているかどうかみたいなことを試されているんですよね……?いや嘘ついてないです。だって、えっと、首切られたときの話するんですけど。ついさっきのことで」


青年は眷属と少女の表情を見て、痛みを感じているような顔をする。


眉根が皺寄り、口端が下がっていた。


青年は大きく身振り手振りをし、そして外套を指す。


「寒くてこれ被ってうずくまってたんですよ。そしたら眠ってしまって。唾みたいなの吐かれた気がして目が覚めたんです」


生えた舌がぽとりと落ちた。血は滴らず。


それは害意、もしくは攻撃性のない嘘であることを象徴している。


「えっと……今のは嘘です。本当は目をこじ開けられた時から起きてました」


少女は眷属の生やした植物に目線を向ける。


舌は落ちず、夜の凍える風に震えて縮こまった。


青年は両手で顔を覆い、うつむく。


「ごめんなさい……もしかして冗談でしたか……?真面目に受け取ってしまって……すみません」


青年ははっとしたように顔を上げて、両手を下げる。


「あ……!起きてたのに寝たふりしたのが誤解させましたよね敵意ありませんごめんなさい!」


青年は、頭の中で太った男を思い描く。その男は青年へ向けて落胆したように首を横に振っていた。


『ご不快にさせてしまい申し訳ございません。冷え込みが強くなってきておりますので、取り急ぎ2つめの質問、いえ、訂正いたします。先ほど質問は3つと申し上げましたが、勝手ながら撤回すること、ご容赦お願い申し上げます。次の質問へ参ります。』


眷属は再び、舌を生やした植物の姿を取った。


『その強大なお力は隠していらっしゃいますか。』


青年の背中から、再び透明な怨霊の腕が現れ青年の頭の中を掻き回す。頭から腕を引き抜いた怨霊の影は、消えずに漂った。


青年は首をかしげながら、頭を横に振る。


「いいえ」


眷属が思念を発する僅か前に、青年が口を開く。


「えと……自分、臓器の弁がきちんと開かないとまりょくが浸透しないらしいです……元仕事仲間が教えてくれたんですけど」


舌は再び、干上がった大地のようにひび割れた。


青年はその舌の様子と、眷属、少女の様子を見て顔を青ざめさせる。


『……次の質問に参ります。その足跡に咲く花について何かご存じでしょうか。』


青年は首を横に振る。


舌はただ静かに、夜の凍える風に縮み上がった。


変化のない舌を見て、青年は深い息を吐いて胸をなでおろす。しかし、固い表情の少女を見て息を詰まらせた。


『ではいつからその花は咲くようになりましたか。』


青年の頭へ、透明な怨霊の腕が突き刺された。


「えっと……」


青年は左へ、右へと揺らすように首をかしげる。


「生まれた時から………」


舌が砂色にひび割れて干からびた。


青年はその様子と、眷属、少女の表情を見て、目と口をへの字に歪める。


「えっとーえっとえーえっと…………あ!?」


青年は、電撃に打たれたように顔をぱっと明るくする。


「たしか穴におっこちて」


透明な怨霊の腕が、蛇の如き素早さで青年の頭を掴んだ。その長い指と爪が、青年の口、目、耳、額を貫通するように通り抜ける。


青年は崩れるようにうつむき、はらわたを飛び出させる勢いで吐いた。


「おえええ……」


眷属はびくりと体を震わせて距離を取り、蛙に姿を変え、口から分厚い布団を吐き出す。


『失礼いたしました。体調が優れないにもかかわらず、このような愚問に付き合わせてしまい申し訳ございません。本日はもうお休みなさってください。』


少女の表情が、よりこわばり、目は鋭くなった。


木の幹の下に敷かれたその布団に、青年は這ってたどり着く。


青年は、苦し気で静かな寝息を立てながら目を閉じた。


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