第3話 幼子の現状

 我が彼女……〝神の御遣い〟であるあわれな愛子まなごの存在を確認したのは、彼女の母親が大怪我をし、双子の兄弟が天に召されたという、大きな事故の数日後であった。


 神獣である我は、この世界の神から、地上に生みとされた〝神の御遣みつかい〟をサポートして欲しいと頼まれたのだ。だが、我は子供が得意ではないというか、どう接して良いのか分からない。なので、その〝神の御遣い〟の様子を見てから考えると答えたのだ。


 魔法で姿を消し、物陰からこっそりと様子を伺う。その子はまだ二歳の小さな女の子だった。「母親がお前のせいで死んでしまった」と父親に言われたのもあるだろうが、母親が大怪我をして運ばれている所を見たのだろう。思い出してはグチャグチャな顔で「かあさま、かあさまぁ!」と叫びながら大泣きしていた。


 泣く子はどうも苦手だ。どうすれば泣き止むかなんて分からないからな。我は少し離れた所から父親が訪れると言っていた日までの三日間、その子供をじっくり観察することにしたのだった。彼女はたまにだが、能力を無意識で使ってしまっているようだ。


 この森に住んでいるのであろう小動物達が、地下牢の天井近くにある小さな窓だと思われる、外とを繋ぐ隙間からスルッと入ってきては、彼女の足や手にスリスリと体を擦り付けたり、可愛らしい声で鳴いたりして愛想を振り撒いていた。不思議なことに、我には動物達が悲しむ幼い彼女を必死になぐさめているように見えた。


 その動物達は、体の何処どこかしこに傷をっており、彼女は「いたいね、だいじょーぶ?」と傷口辺りを優しく撫でてあげていた。すると痛みが引くのか、動物達はクルリと回って見せると、彼女はとても良い笑顔で微笑むのだ。そして他の動物と入れ替わったかと思うと、少し経った頃に木の実や果物をお礼に持ってくるのだった。

 

 それにしても、流石は〝神の御遣い〟なのだろう、能力を使うのは「誰かのため」だけで、腕に青くなったアザがあるにもかかわらず、自分に使う事はなかった。まだ能力を理解していないのか?我はもう少し近くから、見守ることにした。


 ⭐︎⭐︎⭐︎


 公爵家の森の中、薄暗い小さな家の地下牢へ放り込まれてしまった小さな子供を見守って三日目。父親が来るという約束の日になったのだが、現れた男は相変わらず無慈悲でクズだった。


 立っている所を無言で蹴飛ばされた子供は、倒れたときにひざを擦りむいたらしく、赤い血がにじんでいた。小さな子供は、ひっくひっくと泣きながら小さく震え、そんな自分の体を抱き締めながらおびえている。


「おい! 大きな声を出したり、誰かに気づかれたら許さないからな!」


 高圧的な態度で声を上げるのが、この子供の父親だと言うのだから未だに信じられない。「とうさま」と声をかけた子供に「気持ち悪いみ子め!」と怒鳴っては、何度も蹴飛ばすのだ。痛む腹を押さえながら苦しむ娘は胃の中に何も入っておらず、吐くことも出来ないようで、蹴飛ばされるたびに「うぐっ!」という悲鳴にもならない声しか出ない。


 我は苛々いらいらしながらも、その男が地下牢から出て行くのをじっと待った。我が関与できるのは、この子供に関してのみだからな。表向きは神との約束という理由だが、他の人間にまで関与しては、世界を大きく変えてしまうことになるからだ。


「ふん。今日は話にならんな。明日の朝、様子を見に来るからおとなしくしていろ。その時、父様に起こる悪いことを教えるんだ。嘘を教えたり、誤魔化したりしたら、お前の兄姉や母親みたいにしてやる!」


 どうやら父親はこの娘の能力を、多少なりとも理解はしているらしい。大きな声で怒鳴られ、脅された小さな子供は、今も恐怖におののき、ブルブルと震えている。こんなに小さな子供を脅すなんて、酷い男がいるものだ。


 それにしても、神は我に御遣いのサポートをしろと言ったが、子育ての間違いではないか? どう見ても、この子はやっと歩ける程度の幼子おさなごだろう?


「はぁ――――」

 

 男が去った後、我は大きなため息を吐いた。我は神獣フェンリル。数千年単位で長く生きてはいるが、子を成した事は無い。さて、どうしようか……取り敢えずは現状を把握はあくする所からだろうか?


 この子がどれくらい我の話が通じるか確認するために、神の力を使って小さめの犬に見える……フェンリルの姿で彼女の前に現れる事にしたのだった。


 ⭐︎⭐︎⭐︎


「クゥーン」


 急に声が聞こえ、フッと現れた我にビクッと驚いた小さな子供はバッ! と勢い良く我を振り返る。驚いた事でまた泣き出すのではと、ワタワタと慌てる我は明らかに動揺していた。そんな我の気持ちを知らぬ娘は、「ワンワン?」と可愛らしく首を傾げる。我はホッと息を吐いて、ゆっくり視線を合わせ、しっかりうなずく。


「あぁ、我はワンワンだ。そなた、名前は?」


「わたしはティア。くりす、てぃ、あーなって言うの。でも、まだちゃんと呼べないから、ティアでいいよ」


 ろれつの回らない舌でゆっくりと、クリスティアーナと名乗ったのは分かったが、自分が言いにくいだけなのにティアと呼ぶ様に催促さいそくして来たな。これはこの子……ティアの優しさなのだろうか?


「そうか、ティアだな。我は……ふむ、名前は無いな」


 子供にフェンリルと言っても分からないだろうし、「ワンワン」だと思われてるなら、今はそれで良い。ただ、犬とは呼ばれたく無いから、名前を考えるべきか?


「ワンワン、お名前、ないの? そっかぁ……うーん。そうだ! じゃあ、レオンにしようね」


 んんっ? 我の名前はレオンになった……ようだな? 我の体が白い光りに包まれてしまった。と、言う事は、我とティアは「契約」してしまったらしい。しかし、我は呪文もとなえていないぞ? あぁ、もしかしなくても、余計なことばかりする神がやったんだな? 我がこの幼子、〝神の御遣みつかい〟から逃げられないように。


 まぁ、この幼子……ティアは話もそれなりに通じるし、我が立派な淑女しゅくじょに育ててやろう。ただ、ちゃんと契約したことは伝えねばなるまい。まだ子供であろうとも、我の主人になったのだからな。


「ティア、われ……レオンは、ティアの契約しん……んんっ、になったんだ。本来なら、お互いが納得してから契約が遂行されるのだが、ティアとはアッサリと契約出来てしまった様なのだ」


 危うく契約と言うところだったな。神獣であることは、ティアがもう少し賢くなって、人を見る目をやしなってからが良いだろう。神獣を従える令嬢の価値を知る者は、さらうなり父親の様に脅すなり、強行手段を使ってまで手に入れようとするだろう。まぁ、ティアは〝神の御遣い〟だから、実はただ単に我と契約するよりも価値があるのだが……これから我が、しっかりと教えなければなるまい。


「レオンはわたしのけいやく精霊なのね! 絵本で見たから知ってるわ。あの子たちもそうでしょう?ポワポワ浮いてるの、かわいい精霊さんたちだよね」


 我の後ろを指差したティアの視線を辿って、我も後ろを向いた。確かにそこには、精霊達が沢山集まってきていた。うん? 待てよ? 人間は精霊が見える者は少ない。心の清い、優しい人間にだけ、稀に見えるのだ。


 そして、見えないから当たり前なのだが、精霊と意思の疎通をする事は難しい。ふむ、しっかり存在を理解していることから、さすがは〝神の御遣い〟なのだろう。


 それに精霊は、自然のある場所であれば、それなりに生息しているのは確かだが、王都のど真ん中にある公爵家の森に居るとは誰も思うまい。


「あぁ、そうだな。あれが精霊達だ。外では、あまり見えると言わない方が良いぞ?」


「うん、にいさまたちも言ってた。でも、わたしのせいで……」


 急に泣き出したティアに、オロオロする我。どうして良いか分からず、キョロキョロしていると……


「ありがとう……少し元気出たよ」


 ティアが笑顔を見せる。そんなティアの周りを、沢山の精霊達がグルグルと回っていた。なんだ? まさか、精霊達が自分の意思でティアを慰めたのか? そんなこと、我でも聞いたことがない。人間では、魔導師の頂点に立てる程のレベルの者が、稀に契約することもあるらしいと聞いたことはあるが……


「なぁ、ティアは精霊の言ってることが分かるのか?」


「ん? うーん、この子たちのきもちが流れ込んでくる? お話をしてるのとは、違う……よ?」


 いわゆる、シンクロ率が高いのだろう。ふむ、この子なら……一緒に居たいと思えるな。物理的にも守ってあげたいし、成長を見守りたいと思ってしまう。うむ、良いだろう。サポートするのはまだ先になるだろうが、今日から我は、ティアの育ての親となろうではないか。

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