『月光の騎士は、お嬢様に永遠を誓う』

ソコニ

第1話「月光の誓い」

プロローグ「宝石の導き」


王都の大聖堂で、儀式の鐘が鳴り響いていた。


宝石の魔法が世界を統べる時代。人は生まれながらにして宝石の加護を受け、その種類が運命を定めた。最高位に君臨するのは、王族の象徴たるダイヤモンド。その力は他の宝石を支配し、時には歪めることさえできるという。


「月長石の一族、月光館は滅びた」


十年前の夜、謎の炎に包まれた月光館。「運命を正しき方向へ導く力」を持つとされる月長石の血族は、一夜にして姿を消した。残されたのは、焼け落ちた館の廃墟と、白銀の月光に照らされた薔薇園だけ。


あの夜から十年。


カミーユ家の温室で、一輪の薔薇が赤く染まろうとしていた。


「この薔薇は、純白のはずなのに…」


十四歳のエリザベート・カミーユは、不思議そうに蕾を見つめている。その瞬間、胸元のルビーが不規則な輝きを放った。周囲の空気が歪み、花瓶が音を立てて砕ける。


「また制御できない…」


魔法の才に恵まれながら、その力を抑えることができない彼女。上級貴族の証であるルビーの加護は、時として重圧となっていた。


「完璧でなければ、私は…」


その時、銀色の光が温室に差し込む。まるで月の光のように、柔らかく、しかし確かな存在感を持って。


「お客様でしょうか」


振り返ったエリザベートの目に映ったのは、銀髪の少女。新しい侍女として今日から仕えることになっていた。


「リリアン・ムーンライトと申します」


凛とした声。しかし、その瞳の奥には何か秘めたものが潜んでいた。そして、その胸元には—


「月長石…!?」


エリザベートの声に、少女の表情が一瞬凍る。しかし、すぐに完璧な笑みを浮かべた。


「これは模造品にございます。侍女風情が本物を持つはずもございません」


その言葉と同時に、月長石は光を失った。しかし、確かにエリザベートは見た。あの伝説の宝石の輝きを。


「これから、お側でお仕えさせていただきます」


リリアンが深々と一礼する。その仕草には、侍女以上の気品が漂っていた。


「リリアン…あなた、本当は…」

「お嬢様」


言葉を遮るように、リリアンは再び笑みを浮かべる。


「私は、ただお嬢様の侍女として、この命を捧げることを誓います」


その瞬間、エリザベートのルビーが反応した。不安定だった輝きが、まるで月に導かれるように、穏やかな光へと変わっていく。


「まぁ…」


温室に咲いていた純白の薔薇が、ゆっくりと紅に染まり始めた。それは、まるで運命の色が変わっていくかのよう。


彼女は聞いていた。月長石は運命を導く力を持つと。そして、月光の一族は、歪んだ運命を正す力を持っていたと。


「リリアン、これからよろしくね」

「はい、このリリアン、いつまでもお側に」


月明かりの下で交わされた出会い。それは、誰も予期しなかった物語の始まりだった。


やがて訪れる婚約破棄。王家の陰謀。そして、身分を超えた愛。


全ては、この瞬間から動き出していた。月長石の導きの下で、運命の歯車が、静かに、しかし確実に回り始めていたのだ。




第1話「華やかな婚約パーティー」


王宮の大広間に、魔法の光が煌めいていた。


天井から吊るされた無数の宝石シャンデリアは、それぞれが貴族たちの魔力を帯びて輝きを放つ。エメラルド、サファイア、アメジスト—様々な宝石の光が交差する中、ひときわ深い輝きを放つルビーがあった。


「エリザベート様、まさに理想の花嫁ですわ」

「アレクサンダー王子様とのご婚約、これ以上の栄誉はございませんわね」


称賛の声が、エリザベート・カミーユを取り巻いていた。彼女の胸元で輝くルビーは、カミーユ家に代々伝わる逸品。その赤い輝きは、王家の象徴であるダイヤモンドにさえ引けを取らないと言われていた。


「お嬢様」


影のような声に、エリザベートは僅かに肩を震わせる。


「リリアン…」


銀髪の侍女が、静かに差し出す紅茶。その手つきには、見る者の目を奪う優雅さがあった。


「お疲れが見えます。少しお休みを」


その声には、主従の隔てを超えた温もりが滲んでいた。エリザベートが紅茶に手を伸ばした瞬間、彼女のルビーが不規則な輝きを放つ。


「っ!」


カップが傾きかける。しかし、その前にリリアンの素早い動きが、状況を収める。


「お気をつけください」


囁くような声。リリアンの胸元の月長石が、一瞬だけ銀色の光を放った気がした。


「さすがカミーユ家の侍女教育ね」

「いえ、これは当然の…」


その時、大広間の空気が一変する。アレクサンダー王子が、ダイヤモンドの冷たい輝きを纏って近づいてきた。


「エリザベート、この度の婚約、心から喜ばしく思う」


王子の言葉に、エリザベートは完璧な礼を返す。しかし、リリアンの目は王子の胸元のダイヤモンドを捉えていた。その輝きの中に、何か異質なものを感じ取って。


「王家の儀式まで、あと一月」

「はい、身に余る光栄です」


儀式—その言葉に、エリザベートの指先が小刻みに震える。気付かれないよう、必死に取り繕おうとする彼女。


しかし、リリアンには全てが見えていた。お嬢様の不安も、王子の底意も、そして広間に漂う不穏な空気も。


「では、そろそろ正式な婚約発表の準備を」


アレクサンダーが立ち去った後、エリザベートは小さくため息をつく。その時、リリアンの月長石が再び微かな光を放った。まるで、これから起こる出来事を予見するかのように。


「お嬢様、私はずっとお側に」


その言葉に、エリザベートは僅かに頬を染める。二人の宝石が、そっと呼応するように輝きを放つ。


しかし、誰も気付いていなかった。アレクサンダー王子が遠くから二人を見つめ、その瞳に冷たい光を宿らせていることに。


そして、大広間の片隅で、宮廷魔法官クラリスが不安げな表情を浮かべていることにも。





第2話「婚約破棄の衝撃」


宮廷時計が深々と十二回を打ち鳴らす。その音が響き渡る度に、大広間の宝石シャンデリアが共鳴して揺れる。


「第一王子アレクサンダー・ヴァレンタイン殿下と、エリザベート・カミーユ令嬢の婚約を、ここに宣言いたします」


宮廷魔法官クラリスの声が、厳かに響く。その瞬間、広間の魔力が大きく波打った。


宝石を持つ者だけが感じ取れる、異様な魔力の乱れ。リリアンは、エリザベートの傍らで身構える。


「申し訳ない」


アレクサンダー王子の声が、凍てつくように響く。その胸元のダイヤモンドが、不気味な光を放ち始めていた。


「だが、その宣言は撤回させていただこう」


広間の温度が、一気に下がる。


「エリザベート・カミーユ。君とは結婚できない。理由は明白だ」


王子の周りに、黒く冷たい魔力が渦巻き始める。


「君の魔法の力が、不安定すぎる。このままでは、王家の儀式に支障をきたす」


その言葉に、エリザベートの胸元のルビーが激しく明滅を始めた。感情の高ぶりが、魔力の暴走を引き起こそうとしている。


「私の、魔法が…?」


震える声。完璧な仮面に、確かな亀裂が入る。


「王家に必要なのは、完璧な魔力を持つ者だけだ」


アレクサンダーのダイヤモンドが放つ冷たい光が、エリザベートを取り巻く。まるで、彼女の価値を測るかのように。


その瞬間、エリザベートのルビーが制御を失った。深紅の魔力が爆発的に放出され、周囲の宝石が一斉に反応する。


「危険です!」


リリアンが前に出る。彼女の月長石から放たれた銀色の光が、暴走する魔力を包み込んでいく。


「まさか…月長石の力が!?」


アレクサンダーの声が、初めて動揺を見せる。


「お嬢様、私がついております」


リリアンの声が、エリザベートの心に直接響く。暴走していた魔力が、月長石の光に導かれるように、徐々に収束していく。


「月光館の…」


クラリスが、かすかにつぶやく。その言葉に、リリアンの動きが一瞬止まる。


「お前、侍女風情が」


アレクサンダーのダイヤモンドが、さらに強い威圧を放つ。しかし、リリアンは一歩も引かない。


「私は、お嬢様の侍女です」


その声には、凛とした誇りが宿っていた。


「王子様、私から一つご忠告を」


セシリアが声を上げる。


「愛のない婚約の破棄こそ、むしろ誠実な行為かと」


その言葉に、エリザベートの目が広がる。


「私には相応しい場所があるはず。それは…私の傀儡としての座ではない」


囁くような王子の声。その言葉の真意を、エリザベートは悟った。彼女は初めから、王子の道具として見られていただけなのだ。


「お帰りになられた方が、よろしいかと」


追放宣告に等しい言葉。しかし、エリザベートの背筋は、もはや震えていなかった。


「リリアン」

「はい、お嬢様」


二人が広間を後にする時、月の光が窓から差し込んでいた。それは、まるで新たな道を照らすかのように。


「月光館の末裔が、まさかこんなところに…」


アレクサンダーの独り言が、空虚に響く。その瞳に浮かぶ底知れぬ欲望と、リリアンの月長石が放った決意の輝き。


そして誰も気付かなかった。クラリスが密かに、保身ではない、何かを決意する表情を浮かべていたことに。



第3話「涙する私の前で」


カミーユ家の屋敷に戻った時、月は中天にあった。エリザベートの魔力の乱れは、まだ完全には収まっていない。廊下を歩く彼女の後ろには、ルビーの深紅の軌跡が揺らめいていた。


「お嬢様、まずは魔力を…」

「いいの、リリアン。もう何も…」


自室に入るなり、エリザベートは崩れ落ちる。その瞬間、抑えていた魔力が一気に解放された。赤い光の波が部屋中を駆け巡り、窓ガラスが軋むような音を立てる。


「私は、何を間違えたというの…!」


叫びとともに、ルビーの光が爆発的に広がる。しかし、その直後。


「月光の加護を」


リリアンの静かな詠唱が響き、銀色の光が部屋を包み込んだ。暴走する赤い魔力が、月の光に導かれるように静まっていく。


「お嬢様の涙は、この胸を千の剣で突き刺すよう」


リリアンは静かに寄り添い、エリザベートの肩に手を置いた。その手から伝わる温もりと共に、彼女の防壁が音を立てて崩れていく。


「リリアン、私…私…!」


堰を切ったように涙が溢れ出す。その涙が床に落ちる度に、小さな赤い光の波紋が広がった。


「お嬢様には、魔法の才がございます。しかし」


リリアンの月長石が、柔らかな光を放つ。


「才など関係ありません。ありのままのお嬢様で、十分なのです」


その時、ノックの音が響く。慌てて立ち上がろうとするエリザベートを、リリアンは優しく制する。


「セシリア様です。今夜は、お気持ちのままに」


扉が開き、セシリアが心配そうな表情で入ってきた。手には、エリザベートの大好きなイチゴのショートケーキとレモンティーが載ったトレイ。


「まぁ…魔力の濃度が凄いわ」


部屋に漂う赤と銀の魔力を見て、セシリアは目を丸くする。


「ごめんなさい、取り乱して…」

「いいのよ、エリザ。それがあなたらしいじゃない」


セシリアはケーキを差し出しながら、にっこりと笑う。


「だってね、誰だってたまには魔法を暴走させたくなるものよ。特に恋する乙女は」


「せ、セシリア!」


慌てて否定しようとするエリザベート。しかし、その仕草に合わせてルビーが赤く明滅する。


「あら、宝石が正直ね」


セシリアの軽やかな冗談に、部屋の空気が少しずつ和らいでいく。


「お嬢様、どうかこの味をお確かめください」


リリアンが差し出したレモンティーには、月長石の力が込められていた。一口飲むと、魔力が落ち着いていくのを感じる。


「リリアン、このお茶…」

「はい、少しばかり月の恵みを」


その時、窓から差し込む月明かりが、三人を優しく包み込んだ。部屋に漂っていた赤い魔力が、銀色の光と溶け合うように消えていく。


「エリザ、あなたには私たちがいるわ」

「ええ、お嬢様の味方は、ここにおります」


二人の言葉に、エリザベートは小さく頷く。ルビーが、もう不安定な輝きではなく、穏やかな光を放ち始めていた。


しかし誰も気付いていない。窓の外で、一羽の黒い鳥が二つの宝石の反応を観察していることに。王家の監視の目は、既に動き始めていたのだ。



第4話「月明かりの告白」


深夜、エリザベートの寝室の窓に、不穏な影が映る。王宮から放たれた監視の黒い鳥が、屋敷の周りを旋回していた。


「まだ眠れないのですか、お嬢様」


静かにドアが開き、リリアンが銀のポットを持って入ってくる。彼女の月長石が放つかすかな光が、黒い影を追い払うように輝いた。


「ええ、色々と考えることが…」


エリザベートは窓辺から離れ、リリアンの差し出すミルクティーに手を伸ばす。その時、彼女の指先がカップの縁に触れ、小さな閃光が走った。


「っ!」


驚いて手を引っ込めようとした瞬間、リリアンの手が優しく包み込む。


「大丈夫です。これは…共鳴現象」


二つの宝石が呼応するように輝き始める。深紅と銀色の光が、静かに溶け合っていく。


「リリアン、この感覚は」

「はい。私の月長石が、お嬢様のルビーを認めたのです」


その言葉には、侍女としての敬意を超えた、何か特別な響きがあった。


「お嬢様、私には全てが見えております」


リリアンはゆっくりと月を見上げる。その横顔に、エリザベートは見覚えのない高貴さを感じた。


「本当の愛を求めていらっしゃる。そして、本当の自分でいられる場所を」


エリザベートの心臓が高鳴り、それに呼応してルビーが鮮やかに輝く。


「月の光の下で、正直にならせていただきます」


リリアンが一歩近づく。その姿は、もはや侍女のものではなかった。


「私の想いは、月の光のよう。静かに、でも確かに、お嬢様を照らし続けます」


その瞬間、月長石から放たれた光が部屋全体を包み込む。まるで月光の結界のように、二人だけの空間が作り出された。


「でも、私たちは…」

「身分など関係ありません」


リリアンは片膝をつき、騎士のように深々と頭を下げる。


「この想いは、永遠に変わることはありません。そして…」


言葉が途切れる。月長石の光が、一瞬だけ激しく明滅した。


「リリアン?」

「いいえ、何でも…」


しかし、エリザベートには分かっていた。リリアンが何か重要な秘密を抱えていることを。


「あなたの出自は、月光館と…」

「お嬢様」


言葉を遮るように、リリアンが顔を上げる。その瞳には、決意と共に深い憂いが宿っていた。


「今は、ただの侍女として、この想いだけを」


その時、窓の外で黒い鳥が大きく羽ばたく。月長石の結界が、その視線を遮るように光を強める。


「リリアン、私…」


言葉につまるエリザベート。しかし、その躊躇いの中にも、確かな期待が滲んでいた。


「お休みなさいませ、お嬢様」


去り際のリリアンの背中に、エリザベートは確かに見た。騎士の誇りと、深い覚悟の影を。


窓から差し込む月の光が、まるでリリアンの想いの残響のように、エリザベートを優しく包み込む。そして、ルビーの柔らかな輝きが、確かな答えを予感させていた。


黒い鳥は、その夜の出来事を王宮に報告することはなかった。月光の結界が、全てを包み隠したのだから。





第5話「戸惑いの日々」


朝の光が差し込む着替えの間。エリザベートの周りに、ルビーの魔力が淡く漂っていた。


「お嬢様、本日の服は…」


リリアンの手が近づいた瞬間、二つの宝石が呼応して輝く。昨夜の告白以来、魔力の共鳴が一層強くなっていた。


「ちょっと、リリアン…」


エリザベートの頬が赤く染まる。魔力の波動が服の布地を揺らし、まるで恥じらいを表現するかのよう。


「これは困りましたね。宝石の共鳴が、お着替えの邪魔をするとは」


リリアンの声には、かすかな愉しみが混じっていた。


「まぁ!エリザ、今朝はどうしたの?」


突然現れたセシリアの声に、エリザベートは思わず飛び上がる。その反動で、ルビーの魔力が小さな渦を巻いた。


「セ、セシリア!ノックくらいしてちょうだい!」


「だって、廊下まで魔力の波動が漏れてるから心配で」


セシリアの目が意味ありげに二人を見つめる。リリアンは変わらぬ態度を装っていたが、その月長石は密やかな光を放っていた。


「お嬢様、お熱はございませんか?魔力が不安定なようで」

「もう、からかわないで!」


エリザベートの抗議に、リリアンの月長石が柔らかく応える。まるで、密やかな笑みのように。


「まるで新婚さんみたいね♪」


セシリアの言葉に、エリザベートのルビーが急激に輝きを増す。魔力の波が部屋中を駆け巡り、カーテンが大きく揺れた。


「な、何を言うのよ!私たちは…」


言葉が途切れる。その時、廊下に重い足音が響く。


「これは、王宮からの…」


ヘレナ侍女長が、表情を引き締めて入ってきた。手には王家の紋章が刻まれた封筒。


「クラリス様からです」


その言葉に、リリアンの月長石が警戒するように輝く。


「宮廷魔法官からの直々の書簡とは」


セシリアの声から、遊びの色が消えた。エリザベートは無意識に髪に触れる。不安のサインを見逃さなかったリリアンは、さりげなく一歩近づく。


「お開きになりますか?」

「ええ、読みましょう」


封蝋を解いた瞬間、ダイヤモンドの魔力が微かに漏れ出す。アレクサンダー王子の影響力が及んでいることの証。


しかし、手紙の内容は意外なものだった。


『エリザベート様、お目もじを賜りたく。事は宝石の共鳴について—』


「宝石の共鳴…」


リリアンの声が、かすかに震える。エリザベートは思わず彼女の方を見やる。


「お嬢様、私」

「分かっているわ、リリアン」


エリザベートは静かに頷く。二人の宝石が、決意を示すように輝きを増した。


「なるほど」


セシリアが、珍しく真剣な表情を浮かべる。


「月光館の伝説は、本当だったのね」


その言葉に、部屋の空気が凍る。リリアンの月長石が、一瞬だけ激しい光を放った。


「セシリア様、それは」

「大丈夫よ、リリー。私はあなたたちの味方だもの」


セシリアの宣言に、ヘレナも静かに頷く。


「お二人の幸せのため、この老いた身を賭けましょう」


支援者たちの言葉に、エリザベートの目に涙が浮かぶ。その涙が床に落ちた瞬間、ルビーと月長石が呼応し、虹色の光が部屋を満たした。


新たな一日が始まろうとしていた。それは、戸惑いと希望が交錯する、確かな一歩となるはずだった。



第6話「侍女の献身」


婚約破棄の噂は、魔力の波のように貴族社会を駆け巡っていた。


カミーユ家の応接室。来客の魔力が充満し、空気が重く淀んでいる。十数個の宝石が放つ好奇と侮蔑の波動が、エリザベートを取り囲んでいた。


「お茶の温度は八十五度。エメラルドの魔力を帯びた方には、この温度が最適かと」


リリアンの仕草には、ただの侍女を超えた気品が漂う。銀のティーポットから注がれる湯気が、月長石の魔力を帯びてかすかに光る。


「まぁ、魔力の調整まで」

「これは見事な手際ですわ」


かつての同情の目が、純粋な驚嘆へと変わっていく。


「エリザベート様、アレクサンダー様のご判断は、少々性急だったのではと」

「ええ、特に魔力の不安定さなど」


その言葉に、エリザベートのルビーが不規則な輝きを放とうとする。しかし、その前にリリアンの月長石が反応。銀色の光が、さりげなくルビーを包み込んだ。


「お嬢様の魔力は、既に安定しております」


リリアンの声には、凛とした威厳が宿っていた。その瞬間、彼女の背後に騎士の幻影が揺らめいたように見えた。


「リリアンさん、その仕草…まるで昔の月光館を思わせますわ」


老婦人の何気ない一言に、応接室の空気が凍る。


「申し訳ございません。このような下賤の者が、月光館の名を汚すつもりは」


完璧な謝罪の言葉。しかし、その声には確かな誇りが滲んでいた。


「いいえ、むしろ懐かしく」


老婦人は静かに目を細める。その瞳には、十年前の記憶が浮かんでいるようだった。


「私の母が、月光館にお世話になったことがございまして」

「まぁ、それは」


エリザベートが身を乗り出す。月光館の話は、リリアンの謎に繋がるかもしれない。


しかし、その時。


「失礼いたします」


新たな来客の到着を告げる声。魔力の波が大きく揺れる。


「クラリス様がお見えです」


ヘレナの声に、応接室の空気が一変する。宮廷魔法官の来訪は、ただ事ではない。


「お嬢様」


リリアンが一歩前に出る。その背中は、もはや侍女のものではなく、守護の騎士のようだった。


「エリザベート様、お久しぶりです」


クラリスの登場に、応接室の魔力が大きく波打つ。彼女の胸元のサファイアが、不思議な輝きを放っていた。


「ご来客の皆様、申し訳ございませんが」


クラリスの一言で、貴族たちは静かに退室していく。残されたのは、エリザベート、リリアン、そしてクラリス。


「月の加護が、確かに感じられます」


クラリスの言葉に、リリアンの月長石が反応する。


「宮廷魔法官様、私は」

「隠す必要はありません。むしろ、お二人にお伝えしたいことが」


クラリスのサファイアが、真実を告げるように輝きを増す。


「王家の儀式に、ある異変が起きています」


その言葉が、運命の歯車を大きく回し始めた。



第7話「揺れる心」


夜更けの書斎。クラリスのサファイアが放つ青い光が、壁一面に広がった魔法陣を照らしていた。


「これが、王家に伝わる禁断の儀式」


クラリスが掲げる古文書には、複雑な魔法陣が描かれている。その中心には、ダイヤモンドを頂点とした宝石の配置図。


「全ての宝石の力を、一つに集める儀式…」


エリザベートの声が震える。リリアンは彼女の背後で、月長石を警戒するように輝かせていた。


「そう、アレクサンダー王子が目指しているのは、絶対的な力の集中」


クラリスの言葉に、書斎の空気が凍てつく。


「しかし、その儀式には特別な力が必要です。情熱を司るルビーと…」

「運命を導く月長石」


エリザベートが振り返る。リリアンの表情には、深い覚悟が刻まれていた。


「月光館が滅ばされた、本当の理由」


クラリスの言葉が、十年前の悲劇を照らし出す。


「私の家族は、儀式を止めようとして…」


リリアンの声が途切れる。その瞬間、月長石から溢れ出た銀色の光が、彼女の本来の姿を映し出した。気高く凛とした月光館の末裔の姿を。


「リリアン…あなた」

「お許しください、お嬢様。こんな大それた身分を隠して」


リリアンが頭を深く下げる。しかし、エリザベートはその手を優しく取った。


「隠す必要なんてなかったのに」

「でも、お側にいるためには」


「お二人の宝石には、特別な力が眠っています」


クラリスの声が、二人の間に響く。


「愛による共鳴。それは儀式の力をも超える可能性を」


サファイアが青く輝き、エリザベートのルビーとリリアンの月長石が呼応する。赤と銀の光が交差し、幻想的な光の渦を作り出す。


「私には分かります。お二人の絆が、運命さえも変えようとしていることが」


クラリスの言葉に、二つの宝石の輝きが増す。


「王子は、その力を恐れている。だからこそ、婚約を」

「破棄したのね」


エリザベートの瞳が、決意の色を帯びる。


「リリアン、私もう迷わない」

「お嬢様…」

「あなたと一緒なら、どんな運命でも」


その言葉に、月長石が強く反応する。銀色の光が書斎を包み込み、魔法陣を描いていた青い光を消し去った。


「月の加護による浄化の力」


クラリスが驚きの声を上げる。


「これこそが、月光館の真の力。儀式を無効化する聖なる光」


「お嬢様」


リリアンが片膝をつく。その姿は、まさに月の騎士そのものだった。


「この命に代えても、お守りいたします」

「いいえ、二人で守りましょう。私たちの未来を」


エリザベートの言葉に、リリアンの瞳が潤む。


「これが私たちの、本当の契り」


二人の宝石が放つ光は、もはや儀式の魔法陣などいらないほどに強く、純粋なものだった。


「王家の陰謀は、始まったばかり」


クラリスの警告の言葉が、夜更けの書斎に響く。しかし、もう二人は恐れてはいなかった。


互いの想いと、宝石の力。それは、いかなる陰謀をも打ち砕く光となるはずだから。




第8話「新たな朝」


夜明け前のカミーユ家の温室。エリザベートは、あの日リリアンと出会った場所に立っていた。


「あの時の白薔薇が、こんなに美しく」


純白だった薔薇は、今や深い紅色に染まっている。その変化は、まるで彼女自身の心の変容のよう。


「お嬢様、そろそろ準備を」


リリアンの声に振り返ると、彼女は正装の侍女姿で佇んでいた。しかし、その佇まいには確かな変化があった。隠す必要のない、月光館の誇りが宿っている。


「ええ、クラリスとの約束の時間ね」


その時、温室の空気が一変する。黒い影が、ガラス越しに忍び寄っていた。


「王家の使い魔ですね」


リリアンの月長石が警戒の光を放つ。エリザベートのルビーも呼応するように輝き始める。


「まさか、こんな早朝から」

「気付かれていたようです」


二人の宝石の光が交差し、銀と紅の結界が温室を包み込む。黒い影は、その光に触れた途端に消え去った。


「エリザ!」


セシリアが駆け込んでくる。その表情には、ただならぬ緊張が浮かんでいた。


「大変よ。アレクサンダー王子が、儀式の準備を始めたって」

「やはり」


リリアンの声が冷たく響く。


「お嬢様、もう隠れている時間は」

「ええ、分かっているわ」


エリザベートは静かに頷く。二人の宝石が、決意を示すように輝きを増した。


「私たちの力が、王家の野望を止められるのね」

「はい。月光の浄化と、ルビーの情熱が結びつけば」


その時、ヘレナが入ってきた。手には一通の手紙。


「クラリス様からです。至急とのこと」


封を切ると、中から青い光が漏れ出す。


『儀式は満月の夜。それまでに、二つの宝石の力を完全なものに』


「満月まで、あと十日」


セシリアの声が、緊張を帯びる。


「十日で、私たちは」

「必ずや」


リリアンの声には、揺るぎない確信があった。彼女は薔薇に手を伸ばし、その花びらに触れる。


「この薔薇のように、私たちも変わっていける」


月長石の光が薔薇を包み込むと、花びらがさらに鮮やかな色を帯びていく。


「お嬢様こそが、私の月光を導く光」

「リリアン…」


エリザベートは、リリアンの手を取った。


「あなたは私の騎士。そして、永遠の」


言葉にできない想いを、宝石たちが代弁するように輝く。赤と銀の光が溶け合い、温室全体を幻想的な光で満たしていく。


「まるで新しい魔法ね」


セシリアの言葉に、ヘレナも静かに頷く。


「お二人の絆こそが、最強の魔法かもしれません」


朝日が昇り始め、温室に差し込む光が二人を包み込む。それは、新たな戦いの始まりを告げると同時に、確かな希望の光でもあった。


「行きましょう、リリアン」

「はい、お嬢様」


二人が歩み出す後ろ姿に、セシリアとヘレナは温かな視線を送る。


「愛の力は、運命さえも変えていくのね」

「ええ、そしてその運命を、私たちが支えていきましょう」


新しい朝の光の中で、物語は次なる章へと進もうとしていた。王家の陰謀、そして満月の夜に待ち受ける戦い。しかし、二人の心はもう迷いを知らない。


互いの想いと、宝石の力。それは、いかなる運命をも切り開く光となるはずだから。




























































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