四方守山の怪談

弓長さよ李

第1話【ツチノコ】

 営業事務の戸倉さんは、ツチノコを見たことがあると言う。


「8歳か9歳か、いまいち定かじゃないんスけど、直前に見た緑の巨人伝がえらく面白かったのは覚えてるので、多分春休みだったと思います」


 学校の仲間で集まって、近所の山に肝試しに行ったのだそうだ。


 一番近いサティまで自転車で1時間はかかる田舎町では、娯楽といっても図書館の児童書を読むことと、テレビくらいしかなかった。


 なので、誰から言い出したものか、その提案はひどく魅力的に聞こえた。大人たちには「勉強会をする」と嘘をついて、学年もバラバラな子どもたちが7、8人集まった。


 さて、この近所の山というのが四方守山という。平成以降、あちこち伐採され、道も整備されたこの山は、しかしなぜか、ある一定以上の年代の大人たちからはあまり入らないように言われていた。


 実際、昼は穏やかな山も、日が沈むと不気味な表情を見せる。踏んだ小枝が折れる音すら、飛び上がるほど恐ろしく聞こえた。


 戸倉さんたちは恐怖と高揚が入り混じったまま、身を寄せ合って歩いていった。


 30分は歩いただろうか?ふと、妙な音が聞こえた。


 それは、何かを引きずるような音だった。


 鈍く重い、明らかに何か大きなものが地面の上を移動していく音。

  

 それに重なって、小さい水音のようなものも聞こえてくる。


 ずず、ずず、ぴちゃぴちゃ、ずずず、ぴちゃ。


「普通だったら逃げるところだと思うんスけど、その時は行ってみようってことになったんですよ」


 好奇心だったのか、強がりだったのか、ともかく戸倉さんたちは懐中電灯の灯りを頼りに、音のする方に向かった。


 ずる。ぴちゃぴちゃ。ずずず。ぴちゃぴちゃ。


 歩くほどに、音は粘着質な響きを増していく。耳障りで、生理的嫌悪感を催す異様な音。


「少し地面の角度がキツくなったところがあって、そこにいたんス」


 倒れた木々の間で、太く長い何かがもぞもぞと身を捩っている。


 懐中電灯の光がそれを照らした。


 蛇のような、「何か」がいたという。


 はっきりとは見えなかったが、その全長の中程だけがぽっこりと膨らんでいて、片方の先端に口のような、二つに裂けた部位があった。


「ツチノコだ」


 以前読んだ古い雑誌のことを、戸倉さんは思い出した。胴体だけが長い蛇のような生き物。あちこち違う部分はあるが、確かにそれは彼の知っている情報と一致していた。


 魅入られるように、一歩踏み出したその時。


「助けて」

 

 しわがれた声が響いた。

 

「助けて……助けて……」


 間を開けて、声は続いた。それに合わせて、水音が大きくなってゆく。


 誰かが食われている、そう思った。大きな蛇の体内で、生きたままゆっくりと体を溶かされる、そんなイメージが頭の中を満たす。


 「どうしよう」と、そう戸倉さんが口にしようと思った、その直前。


 蛇のようなものの体が激しく痙攣し、けたたましい笑い声が聞こえてきたという。何かを嘲笑うような、おかしくてたまらないという声。


 気がつくと、全員が泣きながら走り出していた。小枝につまづくのも、靴紐がほどけるのも構わず、ひたすら走った。


 その背後からは、ずっと「助けてくれ…助けて……」と、しわがれた声が聞こえていたという。


 その後山を降りた戸倉さんたちは、たまたま近くを見回っていた駐在さんに見つかり、勉強会という嘘がバレて大人たちにこってりしぼられた。


「あの時の怖さと比べればマシでしたけどね」


 その後、ニュースや新聞を見てみたが四方守山で誰かが行方不明になったというような事件は、ひとつもなかったそうだ。町の人が誰かいなくなったという話も聞かなかった。


 結局あの声の主が誰だったかは、分からずじまいなのだそうだ。


「すごい体験をされましたね」


 怪談好きの私は、やや興奮気味にそう言った。


 戸倉さんにはよくホラー映画の感想を聞いてもらったり、ネットで知った話を見せたりしていたのだが、本人がそういった体験をしているというのは、この時まで知らなかった。


「まぁ、そうスね。あの時は流石に怖くて、しばらく蛇とかミミズを見ただけで飛び上がってたス」


 本気なのか冗談なのか区別のつかないすまし顔で戸倉さんはそう言った。ただ、彼が長くて足のない生き物が苦手なのはよく知っているので、本気なのだろう。


「あはは。まぁ、実際に体験した方にとってはトラウマですよね。すいません、なんか勝手に盛り上がっちゃって」


「いや、別にいいスよ。喜んで欲しくて話したことスし。あ、ただ実はこの話、続きっていうか、後からちょっとおかしいなって思うところが出てきて」


「なんですか!知りたいです!……あ」


 私が思わず身を乗り出すと、戸倉さんは、ツインテールにまとめた長い髪をいじりながら苦笑する。


「ほんと好きスね、こういう話。実は、この時のことをじいちゃんに話したんスけど……」


 彼のお祖父さんは、地元の怪談や言い伝えに詳しく、何か知らないかと思ったのだそうだ。


「狼のはずだって言うんスよ。蛇じゃなくて」


 戸倉さんは、お祖父さんから聞いたと言う四方守山の昔話を語り始めた。

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