第19話
美馬の両親は仕事の都合で東京にいて、今は美馬がひとりこの家に住んでいると言う。実質大家じゃん、などと航は冷や汗をかく。
気まずい思いで芋焼酎を渡した。牛乳で割るとスイートポテトみたいで女性にも美味しく飲めるそうですよなどと苦し紛れに付け加えてみると、美馬は「祖父が好きなんです」と喜んでくれた。
女性ひとりの家に手土産が芋焼酎。口がさない人が聞いたらほぼほぼ犯罪者扱いであろう。変な気はないんです、下心なんてこれっぽちもないんですよと心の中で何度も言い訳しながら、航は勧められるまま椅子に座った。
護衛だと言うソウソウは剣に手をかけたまま、執事だというパーカーは始終笑顔のまま航の横から離れなかった。
美馬はそれを
「すっかり天道さんに懐いてますね」
と評した。
航は笑うしかなかった。
食卓には刺身や卵に加えて、ツナサラダや肉みそ、ローストビーフみたいなものまで並んでいる。暖かいお吸い物からもいい匂いがした。
「手抜きでごめんなさい」
なかなか手を出せない航に、笑いながら美馬はマグロを巻いて航に差し出した。
「お刺身切っただけです」
うふふと美馬は笑う。
「こんなご馳走ひさしぶりです……」
感無量で航はつぶやく。
「ありがとうございます。でもごめんなさい。犬のごはんのついでなんですよ」
「犬の……?」
目が点になった航の前で、美馬は食卓の具材を指した。
「お刺身は生のままでしょ。お吸い物もお肉も味を付ける前に犬に取り分けてます」
へーと航は感心する。
「健康のことを考えたらお肉やお野菜もある程度混ぜてあげないといけないかなーって。私の個人的な考えですけど」
美馬は両側に座るリクとカイの頭を撫でた。
「それに、ドライフードばっかりじゃ味気ないですものね。せっかく生まれて来たんだし、いろんなもの食べたいでしょ?リクくんもカイくんも」
ねーっと美馬が首を傾げると、リクもカイも同じく美馬の目を見ながらねーっと首を傾げる。
そう、さっきからリクとカイの方が美馬の横に鎮座し、航の横には見張りのようにソウソウとパーカーが張り付いていた。一抹の居心地の悪さを感じながらも、芋焼酎の一件があるので致し方ないと航は諦める。というか、芋焼酎をなぜ犬が理解しているのか甚だ疑問ではあった。
そういえば人より先に犬たちの方が食事を済ませたのだが、リクとカイはいかにも餓えた子供が手づかみで食べるが如くだったのに対して、ソウソウは握り飯を食うが如く大胆に豪快に、パーカーは小ぶりの寿司を摘まむかの如く品よく召し上がっていた。
躾の行き届いてないわが子を見るようで無性に恥ずかしくなり、航は思わずティッシュでリクとカイの口と手を拭いたが、
「意外と神経質なんですね、天道さん」
と美馬に驚かれ、そうだった、見えてる世界が違うんだったと思い出した。
引っ越しの挨拶は最低両隣と上下階などと言う。前のマンションに引っ越した時も航は両親にそう言われ、乾麺のそばを持って挨拶に行った。しかし昨今は無用なトラブル回避や、行っても留守ということも多いため、挨拶は不要などとネットに書いてあった。実際このマンションも何階に何部屋あるのか実は航は把握していない。さてどうしたもんでしょう、と大家の美馬に訊いたところ。
「もう、皆さんにメールで新しい入居者の方がいらっしゃいましたって連絡しましたので心配ご無用です。ここのマンションの回覧板みたいなものなので、あとで友達登録お願いしますね」
さすが大家、仕事が早い。おっとりしているように見えるが、料理のことといい犬の食事のことといい、実は天然は仮の姿では?と航は美馬を疑い始めた。それはともかく
「あの、1階は何部屋あるんですか?」
「1階?」
美馬はきょとんとした。
「1階にも住んでらっしゃる方はいるんでしょう?」
「ああ、はい。1階には祖父が住んでます。住んでるっていうか、普段は東京にいるので、たまにしか帰って来ないのですけど」
出た、黒幕・祖父。謎の不動産王。航は目をつむって思い出した。いくらデカい番犬が2頭いるとは言え、両親不在でこんな可愛い娘ひとり、こんな広い家に残すわけはないだろう。いや、残すかな。いい大人だし。いやいや、残さないだろう、不動産王の娘だぞ?誘拐されたら大変だぞ?いや、大丈夫だろう、いい大人だし。いやいやいや、悪い男にかどわかされたりしたらと、ご両親も不動産王も不安だろう、待て、今この状況、俺が悪い男に見えちゃうか?いやいやいやいや、お食事してるだけだし、お招きいただいただけだし、お土産の芋焼酎も呑ませてないし、そんな、ただの店子だし。まず、この部屋に来るまでに誰にも会ってないし、不動産王もたまにしか帰って来ないと言うし。
だがピンポーンとインターフォンは鳴った。
「あ、来たかな?」
美馬は立ち上がるとインターフォンのカメラを確認した。そして玄関に向かって行った。
玄関から中へ、ふたつの足音が近づいて来た。
リビングの扉が開き、笑顔の壮年の男性が入って来る。
「おじいちゃん。こちら新しく入居された天道航さん」
笑顔だった壮年の男性は、航を見るなり厳しい顔になった。その後ろから美馬が航に言った。
「天道さん。祖父です。今日天道さんが来るって言ったら、おじいちゃんがぜひ会いたいって」
来るって言うか。来るって言うか!無理矢理押し掛けたわけじゃなくて!!
厳しい表情の不動産王に航は心の中で訴えかけたが、届くはずもない。
「そうだ、おじいちゃん。天道さんが芋焼酎くださったの。牛乳で割るとスイートポテトみたいで美味しいんですって」
不動産王の眉がピクリと動いた。
違うんです!誤解です!航は心の中でさらに声を大にして叫んだが。
「ほう。美味しそうだね。おじいちゃんも一緒に頂いとこうかな」
不動産王の美馬にかける声は穏やかだ。だがしかし。
「全部。今ね。飲み干しとこうかな。おじいちゃんが」
誤解だと航は泣いているのに、刺された釘はデカかった。
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