8-2 「万能の神様くん」

 織葉の黒い髪が、風に揺れる。

 その手が持っている香水の瓶は明らかに――相手を操る力を持っているものだ。


 「静歌、動けそうか」

ホタルが身を強張らせ、静歌だけに聞こえるよう、小声で囁いた。静歌を気遣う声だが、隠し切れない焦りも滲んでいる。

 静歌は震える息を押し出した。先程、「琉生を眠らせる」ために使った人体改竄の力。たった一度使っただけで、心身への負担は相当なものだった。膝が震え、ままならない。

 今すぐ――織葉が行動する前に自身が先制できるか。恐らく、それが要だった。静歌はグッと腹に力を入れ、体勢を立て直そうとした。

 その時だった。


 「いいなぁ、両方」

「え?」

「借物も、人体改竄もなんて、羨ましい」

甘やかに掠れる声。ぶわ、と風になびいた黒髪が青い空に躍る。


 織葉は音も無く屈むと、その場に香水の瓶を置いた。何をするつもりか、と身構える静歌とホタルへと、真っ直ぐ歩いてくる。

「みんな、借物ばっかりだったの。能力なんて持って生まれたものなのに、織葉の周りは皆、借物ばっかり。織葉だけ仲間外れ」

黒い瞳が揺らぐ。

「仲間だ、って言ったのに。同じ目標を持ってるって。サヤの事、悲しんでるって言ったのに、

織葉の声は甘く、飴細工のようにか細い。

「それに、改竄は限定的。薬の力借りても、強い意思を改竄するなんて数日が限度。命削っても、一週間が限界。改竄はいつか解ける。

その時静歌は、オルハの折れそうな手首、目の下の隈、浮き出た鎖骨に改めて気づいた。

 命を削っているという言葉に嘘はない。無理をしている、どう見ても。


 織葉が、静歌から1メートルほどの所で立ち止まった。日に照らされた濃い影が落ちる。黒いワンピースの裾が風に遊ばれた。

「いいなぁ」

どろりと甘い声。

「何でもできるんだね。キミの力、できないこと、ないんだね。ねぇ、じゃあさ」

黒い目が、うっとりと笑う。


 「琉生が、死に急がないでほしい。琉生に、全ての目的を忘れてほしい。何が起こるか知らなかった頃に戻りたい。あの頃みたいに、ずっとずっと楽しくて笑って居たい。ねぇ、」

織葉の目は――出口のない洞窟の中で救いを求め、静歌を見上げていた。

?」


 目が逸らせない。何もしていないのに呼吸が早くなっていく。突きつけられた問いかけに、答える言葉が見つからない。自分の意思が分からない。

 乾いた唾を飲みこんだ時。


 びゅぅっ、と強い風が吹いた。織葉は目だけで素早く背後を確認すると、

「なんだ、早かったな」

あからさまな舌打ちをし、だがすぐに眼差しをとろんと緩ませ、静歌に微笑んだ。

「じゃあまたね。考えといてね。くん」


 風が吹き荒れ、巨大な燕と猫が地面に降り立った。三毛柄の翼の生えた猫の背に乗っていたのは、塩野 蒼梨花だった。警護にあたった青木と何があったのか、背中が、肩から腰にかけてざっくりと斬られている。だが、その目は爛々と目的を見据えていた。

「織葉、行くよ!」

「うん」

燕が大きく翼を広げ、地面に倒れている琉生の体躯を、器用に両足で掴む。

 同時に織葉が蒼梨花の背後に飛び乗ると、猫は地面を蹴って走り出し、燕と共に空へと飛び立った。


 一瞬の出来事だった。

 静歌はただホタルに支えられ、地面に膝をついたまま、飛び去って行く影を見ている事しかできなかった。


 ひゅうひゅうと喉が鳴る。

「静歌、大丈夫か」

ホタルに問われ、静歌は頷く。


 織葉に問われた言葉。言われたこと。全てが頭蓋骨の内側にじんわりと沁みて痛みを感じる。

 万能の神様。

 そんなわけがない。でも。

 手にした力は、事実。

 ならば、何ができる?


 その時。校舎の一角がガラガラと崩れる轟音が聞こえた。学び舎が壊される音。あの上位神獣たちは、まだ破壊を続けている。


 静歌は膝の上でこぶしを握った。

「皆を助けなきゃ」

胸の内に宿る力。先程琉生に対して発動した能力。

 織葉の桃色の唇が紡いだ言葉。

 万能の神様。


――上手く使えば、上級神獣を止められるかもしれない。


 グッと胸を抑える。そしてホタルを見た。ホタルもまた、涼し気な表情をしてはいるものの、顔色は明らかに青ざめていた。

「ホタルは長く監禁されていたから……今、能力を使うのは辛いんだね」

それでも協力してもらわなければならない状況が、静歌には辛かった。ホタルは一瞬驚いた顔を見せると、すぐに心を諫めるように表情を消し、静歌の頬に手をあてた。

「静歌の為であれば、何一つ苦しくはないよ」

「ごめんね、ありがとう」

静歌は、頬を撫でる手に自身の手を重ねた。体温の無い手には、もう慣れた。その冷たさはむしろ、熱い頬に心地いいとさえ思えた。

 

 「お願いします。もう一度だけ、力を貸して」

静歌は、校舎へと目をやった。建物が崩れる音、悲鳴が止まない。


 「あれを、止めなきゃいけないから」



<続>

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