6-2 学長室、困惑、コーヒー
学長の部屋には、日野、閏の他に、八重子、小田、柊、そして朱賀原が居た。
静歌は、日野の正面に置かれた椅子に座っている。静歌の後ろにはホタルが立っていた。静歌は一応「あの、座りますか?」と隣の椅子を指したが、ホタルはただ静かに首を振るだけだった。
「ウタマトイ……へぇえー」
小田はずっと、ホタルの事をじろじろと、まるで展覧会の絵画を見るように眺めている。一方のホタルは涼しい顔をしていた。
妙に取り乱しているのは朱賀原だった。文字通り頭を抱えている。
「ウタマトイと……ウタマトイと契るなんて……ありえない」
その隣で八重子が首をぐるりと回し、骨をぽきぽき鳴らした。
「とはいえ、契ってるワケだしなぁ」
柊がぼそりと呟く。
「現実を受け入れるのが先ですね」
「そう簡単に受け入れられるものかッ!」
朱賀原が声を荒げる。
「ウタマトイだぞ!? 未確認——伝承の中でしか存在を見たことが無いと」
「近年、観測報告が無いわけじゃないんだが」
日野が真顔で要らない合いの手を入れ、朱賀原が爆発する。
「山の中で仙人を見たレベルの! そんな存在と! プロでない! ましてや能力の無い一生徒が契った、などと!」
朱賀原の――普段とても丁寧に撫でつけているグレイヘアーは、汗のせいか、緊張のせいか、ひどく乱れていた。
朱賀原が落ち着くのを待って、八重子は自身の革ジャンの襟を正すと、言った。
「ま、にわかには信じがたいとは、この場の全員が思ってるよ。なんなら月路だってそうだろ?」
「あ、俺、は……」
静歌は背後のホタルを見た。ホタルはその眼差しを受け止めるように静歌に顔を向ける。そのやりとりを見て、八重子が眉を寄せた。
「まさか、元々契る気だったのかい?」
「いいえ! そんなことはありません!」
静歌は大きく首を振り、だがその声はどんどん勢いを無くし縮んでいく。
「でも、あの旧校舎に居るのはウタマトイだと薄々分かっていました」
「何!? じゃあ何故言わなかった!」
朱賀原が語気を強める。朱賀原以外の自分を取り巻く教師たちからの視線もまた鋭くなったのを、静歌は敏感に感じ取った。静歌は顔をあげる。
「ただの勘のようなものだったんです。まさかとか、もしかしたら。そんな程度で」
「それでもだな、君」
朱賀原を大きな手で遮ったのは――小田だった。黒く淀んだクマに浸された目と眉が、ぺしゃんと下がる。
「竹緒酉 司は良い人だった、って俺が言ったんだもんな」
「!」
「恩人だ、いい人だ、惜しい人を亡くした、って」
「それ、は」
思っていた事、考えていた事。胸の真ん中を突かれたような気持ちで、静歌は言葉を失う。
一方小田は白衣のポケットから水筒を引っ張りだし、蓋を緩めた。僅かにコーヒーの苦い香りが漂う。
「密かにウタマトイを呼び出すなんて、それだけで禁忌。まさか、『善人で努力家の竹緒酉 司』の研究がそこに及んでいるかもとは、言いづらかったんだろ」
ぐび、と一口飲むと、小田は顔を歪め言った。
「しかももし勘違いで冤罪だったら『竹緒酉家の人間に疑いをかけるとは、何事だ』ってハナシになるもんな」
「あ……」
静歌は俯く。まさしくその通り、何も言えなかった。
「ま、どうしようもないわな」
そう言ったのは日野だった。日野は、朱賀原を真っすぐ見た。
「朱賀原先生が戸惑う気持ちは大いにわかる。というか、こんなもん戸惑わない方がどうかしてる」
「ええ、ええ、そうでしょう」
朱賀原はやっと、乱れた前髪を撫でつけた。続いて日野の目が、静歌を見る。
「だが、静歌が自分の隠し事を言いづらそうにしてたのも俺は知ってるし――そもそもウタマトイと契った事自体、塩野に襲われなければ起こらなかった事態だった。そうだろ?」
「しお、の……?」
「ああ悪い悪い。
静歌は言った。
「あの地下施設で、その人——塩野は、兄さんの名前を出してました。親しかった、みたいな感じで」
「だろうなぁ」
日野は頷きながらも、それ以上の事は言わなかった。
「塩野、か」
八重子が苦々しく言った。
「
室内に重苦しい空気が流れる。
静歌は教諭たちの表情を見て、彼らの共有している情報の度合いに違いがあることに気づいた。
日野と閏と八重子、それに朱賀原は「塩野」という人物に対して苦々しそうにしているが、柊や小田は意味を掴みとれずにいる、という顔だ。
ぱん、と日野が自身の膝を叩いた。
「よし。解決できそうな問題から片していくか」
そして日野は立ち上がった。
「悪い、ひとまず静歌と面談させてくれ。30分欲しい。……静歌、いいか?」
静歌は頷いた。
日野がデスクの奥から出てくるのに合わせて、反射的に閏が一歩踏み出す。だが、日野は閏に微笑み、片手をあげた。
「すまん、静歌とサシで話がしたいんだ。……行こう、静歌」
日野のギラリと野性的な眼差しを受け――静歌の背後で、ホタルが僅かに警戒の色を強めた。
<続>
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