4章 地下室、秘密、あの日

4-1 八重子先生、サイダー、旧校舎

 夏の夜風はぬるかった。

 静歌は中庭にあるベンチでぼーっとしていた。


 先程までは図書館に居て、竹緒酉 司がかつて研究していたという「ヤヨイの伝説」について調べていた。だが資料はほぼ無く、小田が話していた以上の事を知る事はできなかった。

 結局竹緒酉 司があの旧校舎で何を研究していたのか。それは漠然とした「借物の研究らしい」という事以上のことは、資料に残っていない。


 図書館が閉館の時間となり、静歌は一度は寮に帰ったものの落ち着かず、こうして中庭のベンチに座っていた。頭上には桜の枝が揺れている。


 静歌は膝を抱えた。ここが中庭であるということを気にしなくてよいなら、芝生の上に寝転がって思う存分駄々っ子のように手足をバタバタさせたいところだった。

 だが、通りすがる人の目が、というよりも、なんとなく精神的にも肉体的にも疲れてしまっていて、そうやってバタバタ暴れる元気すらもあまり無かった。


 大抵の事はあまり気にならない性格だと思っていた。

 だがこうして考えることがありすぎると、だめだ。押しつぶされてしまう。そうならないように、あまり考えないようにしてきたのに。


 脳裏に浮かんでいるのは――と、榊と由良のことだった。


 「おい、そこの不良」

荒々しい女性の声が飛んできた。静歌は顔をあげる。

「八重子先生……」

暗闇の中でも、てらてらと光る革ジャンに、金髪のショートヘア。あけぼの 八重子やえこが、コンビニの袋をぶら下げてそこに居た。

 八重子は静歌に向かってぴしゃりと言った。

「こんな時間に寮の外にいるなんて不良だよ?」

「高等部以上は門限も消灯時間もないじゃないですか」

「一般的に見て夜遊びは不良なの」

八重子は片頬をあげニヤリと微笑んだ。

「で、どうした?」

静歌は膝の間を見つめた。そして、

「なんでもないです。大丈夫ですから」

そう言って立ち上がった。


「おーいちょっと待てぃ」

 ごつごつと厚底のブーツの音が追い付いてきて、あっという間に、行く先に回り込まれる。静歌は目を伏せて言った。

「あの、本当に大丈夫ですから」

「大丈夫って顔してないでしょうよ。アタシたちは、そういう時の為の大人じゃないの」

静歌は、肺の奥から続く深いため息を吐いた。

「なんで分かるんですか、大丈夫じゃないって」

「ま、元2課の人間ナメんなってことよ。どんだけ仕事で人の悩みに寄り添ってきた人生だと思ってんの。ほら、行くよ」

「え、え?」

「いいから。どうせ不良になるんだったら徹底的にやろうって話よ」

「いいんですか生活指導の先生がそんなことして」

「何言ってんの」

八重子は振り返ってにやりと笑った。大ぶりの花の形をしたピアスが揺れる。

「今は勤務外っしょ」


 八重子が静歌を連れていったのは――無人の食堂だった。なんとなく、拍子抜けする。

「なんか、素敵な星空とか見せてくれるものかと思いました」

「ロマンに夢見すぎ。腹空かせて考え込んでるだけで、人間はどんどん思考がマイナスになんのよ。ほら、何がいいの」

食堂の一角にある自動販売機。飲み物から軽食まで色々と揃っていた。

「い、いえあの、別にお腹は」

「空いてなくても奢らせなよ。ほら、早く選んで」

「あ、じゃあ……これで」

サイダーを選ぶと、八重子は満足げに頷いた。


 そして食堂の端のテーブルに、対面で腰掛ける。

「あの、ありがとうございました」

「奢りは内緒ね。あたしはこっち」

八重子はそう言うと、コンビニの袋からロイヤルミルクティーの缶を取り出した。ついで、チョコクッキーが出てくる。

「甘いの食べれる?」

「あ、じゃあ1枚だけ」

「2枚やるって」


 八重子はミルクティーをぐびりと飲むと、

「で?」

と、静歌に目を向けた。鋭い吊り目が、静歌を見据える。


 「あの俺、言いづらい……言えない秘密があって。俺がっていうか、家族に関することなんですけど」

「ふぅん?」

訝し気な八重子の顔。静歌は慌てて言った。

「あっ、日野先生は知ってるんですけど」

「ま、学長が知ってるならウチの学校的にはOKでしょ。で?」

「榊と由良に、言った方がいいのか、って」

静歌は、元々くしゃくしゃの髪の毛をさらにくしゃくしゃにしながら頭を抱えた。そんな静歌を、八重子は頬杖をついて見下ろす。

「そりゃあんたが言いたいって思うなら言ったらいいだろうし、言いたくないなら言わないでいいじゃない」

「その、言いたいというか、言うべきじゃないか、って」

「ふぅん? ソレは誰かに強いられて?」

「いえ、誰にも。ただ、言った方が」

八重子からの『誰かに強いられて?』という言葉に、静歌の心は揺さぶられる。何故、隠し事を言った方がいいと思ったんだろう。それは。

「誠実……そう、隠さず言った方が誠実だと思ったんです」

「そう。あんたが心からそう思ったなら、そうしたらいいんじゃない? 何に悩んでるのよ」

八重子に問われ、ずきりと胸が痛む。静歌は絞り出すように言った。


 「二人は、俺のその秘密を、受け入れてくれるかな、って」


 静歌の頭の中にあるのは、もしかしたら未来にあるかもしれない、ネガティブな展開だった。

 もしもあの二人に、引かれたり――距離を置かれたら、と思うと。まだ過ごした時間はほんの少しだけれど、静歌は二人の事が好きだった。

 がらんどうの食堂。あの二人に愛想をつかされることを考えるだけで、不安は無限に絡まり、膨らみ続ける。


 八重子はミルクティーをぐびっと飲むと、いつもの少しハスキーな声でずばりと言った。


 「じゃあ、どうなのよ」

「え、えっ?」

予想外の方向から刺された問いかけに、ただ戸惑う。顔をあげた静歌に、八重子はずばりと言葉を続けた。

「あんたはもし、自分が抱えているのと同じ秘密を木皿や水之崎が持っていたとして。そしてそれを『受け入れてくれる?』って打ち明けられたとしてよ。あんたは、受け入れるの? それとも『そんなの無理だよー』って拒否すんの?」

一息に勢いよく問われ、静歌は勢いで返す。


 「そりゃ受け入れますよ」

 「じゃ、大丈夫じゃないの」


 八重子のあっけらかんとした言葉。しかしそれがすべてだった。静歌は暫し茫然とし、自身が発した『そりゃ受け入れますよ』という言葉の後味を噛み締める。

「……はは、そっか」

「仮に考えが違って受け入れられなかったとして、今日のここまでの関係性は本物でしょ。そこを天秤にかけて、でも隠すより言った方が誠実って思うんなら、あとはもう天に任せるだけよ」

八重子は「本当にそんだけじゃない」という、堂々とした姿勢でそう言い放った。そのさっぱりした気持ちのよさに、静歌は思わず「はぁー」と感嘆のため息をつく。

「あの、ありがとうございました」

「何言ってんの。あんたの心は決まってたんでしょ。誰かに背中押してもらうだけだった。それがあたしだったってだけでしょ」

「いえ、でもあの……ありがとうございました」

静歌は改めて頭を下げた。八重子は目尻を下げ、どこかホッとしたように微笑むが、すぐにぱんぱんと手を叩く。

「はい、不良はもうおしまい。さっさと寝なさい。寝ないと、悪い思考に追いつかれるよ。ほら、クッキーももっと食べな」

「ありがとうございます、でももう2枚も」

「あと2枚食べな。夜のおやつは太るんだから、あんたが食べて」

「じゃあなんで先生これ買ったんですか」

「お黙り」


 結局、12枚入りのチョコクッキーの内6枚を食べさせられ。

 静歌は、喉の奥でぱちぱちと弾けるサイダーの甘さに目を閉じた。「秘密」に関する不安は、炭酸の泡と共に消えていく。


***


 翌日。休日の朝。

 静歌は再び、旧校舎に入ろうとしていた。古い箱に収められていたウゾウムゾウは処分され、エントランスの扉は開いている。

 昨晩、「いつか二人に話す」と決意したとはいえ、を考えると、旧校舎に入るのは一人がいいと思って、こそこそと部屋を出た、のだが。


 「おい、置いてくなよな」

「あの、水筒にお茶……一応3人分持って来たよ」

榊と由良はいつの間にか、静歌の背後に居たのだった。

「二人ともいつの間に」

「隣の部屋だからな、出かけりゃ分かる」

「榊くんから連絡もらって、すぐに支度して出てきた」

「っていうかさ、榊はいいの? 旧校舎、怖いんじゃ」

「そりゃ絶対イヤに決まってんだろ。でも、お前は能力が無い。で、俺はある。なのにお前が一人でヘンなところ探検するのを放っておくのはもっとイヤだろ」

むん、とさらに胸を張られる。榊のそんな荒削りの言葉を、静歌は暖かく感じた。

「ありがとう」

「ふん。お前の気が済んだらとっとと帰るからな」

「うん、皆で帰ろうね」

由良が深く頷く。


 静歌が旧校舎の扉を開ける。

 その時。

「あれ?」

不意に香る、バニラの香り。振り返ると。

「……」

牛光が、こちらに歩いてきていた。心なしか、いつもよりバニラの香りを強く感じる。

「先輩?」

静歌が声をかけると、

「ワタクシも行くよ」

牛光が、にこりと笑った。



<続>

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