第15話 温かい場所

 彼と一緒にいると楽しくて、安心して、側にいたい、そう思った。


 小さい頃から親が仕事で遅く、私は1人で過ごす時間が多かった。だから誰かが側にいてくれる安心感を彼といて初めて知った。


「いらっしゃい、渚咲ちゃん! ようこそ八神家へ!」


 両親の都合で八神家に住まわせてもらうことになった1日目。


 私は1人でも大丈夫だと言ったが、お母様は心配で友人である八神裕子さんを頼り、私は八神家に3ヶ月間住むことになった。


「ありがとうございます」


 八神家の方は皆優しかった。親しくもない私に優しくて、ここはとても温かい場所だ。


「お母さん、夜にクラッカーは近所迷惑だから禁止だからな?」

「大丈夫よ~。お祝いはやっぱりクラッカーでしょ」

「やっぱりってなんだよ。藤原、お母さんのことは気にせず好きなもの食べていいぞ」


 久しぶりに賑やかな食事だ。私の知ってる静かでカチャンとたまに食器の音がするぐらいの食事の時間とは違う。


「ありがとうございます」


 少し羨ましい。両親、お母様とは仲が悪いわけではないが私は父親とあまり仲が良くない。なので家族全員で夕食を食べることなんて数えるほどしかない。たまにあっても静かだ。


(いいな…………)




***



「渚咲、こんなところで寝たら風邪引くぞ?」


「ん…………」


 亮平くんとショッピングモールへ行って、夜、リビングで勉強していたらどうやら机に突っ伏して寝てしまったようだ。


 ゆっくりと顔を上げると亮平くんと目が合った。


「おはよ。大丈夫か?」

「…………大丈夫です。少し遊び疲れてしまって」

「あぁ、たくさん遊んだもんな」


 亮平くんはそう言って爽やかな笑みを浮かべた。


 最近よくあることがある。彼といると心に温かいものが広がっていく感覚になる。


(この感じは何でしょうか……)


「疲れたのなら今日はこのまま寝たらどうだ?」

「そう、ですね……この問題を解いたら寝ます」

「じゃあ、解き終わるまで俺もここにいるよ。キリのいいところじゃないし」


 亮平くんはそう言って手元にある小説を読む。


(貸した本……ふふっ)


 1人は慣れっこだ。けれど、今、亮平くんがここにいてくれると知った瞬間、嬉しかった。どうやら誰かといることが増えてから1人でいることが寂しくなったみたいだ。


「亮平くん好みの本のようですね」

「あぁ、面白いよ、この小説」


 亮平くんとは好きな本のジャンルが同じ。だから感想の共有をよくする。その時間は私にとって大切で特別な時間だ。


「そうです。亮平くんにはまだ伝えていないことがありました」

「伝えていないこと?」

「はい。明日から3日間ほど、家の方に帰ろうかと思いまして。お母様が帰ってくるみたいなので」

「そっか、久しぶりに会えるのは嬉しいな」

「はい……嬉しいです」


 嬉しい。けれど、怖い。お母様に会うだけならいいのだが、もし、あの人もいたら……。


「亮平くんはお父様とは仲が良いのですか?」

「お父さんと? どちらかというとあんまり。一緒の家にいても話すことほとんどないし。お母さんと違って色々と厳しいから俺は嫌いとまでは言わないけど苦手だ」

「苦手……ですか」


 私はどうなんだろうか。お父様のことは嫌いじゃない。けれど、会うのが怖い。私も苦手ということだろうか。


「渚咲のお父さんとは会ったことないけど、どんな人なんだ?」

「どんな人……そうですね、自分に厳しくて、何もかも完璧な方です。だから私が頑張ったことでもお父様にとっては当たり前のことで……ほんと凄い方なんです」


 自分自身が頑張ったと思えることができてもお父様にとっては大したことのないこと。だから小さい頃から一度も褒めてもらえたことはない。


 何かあるごとに褒めてほしいわけではないが、一度でいいから頑張ったねと褒めてほしい。


 目線を下にやり、勉強を再開すると横にある椅子へ亮平くんが座った。

 

「亮平くん……?」

「渚咲も凄いよ、俺からしたら。誰よりも努力家だと思う」

「…………ありがとうございます」


 亮平くんに頭を優しく撫でてもらい、胸が温かくなる。


 頑張ってもお父様は私に興味なし、だから努力なんて無駄なものだと何度か思ったことがある。けど、この瞬間、無駄ではなかったと少し思えた。




***



「亮平、ご飯できたわよ」

「あぁ、うん。渚咲は……って」


 リビングで勉強をしているとお母さんから呼ばれて渚咲に伝えに行こうとしたが今日は家に帰っていていないことを思い出した。


(渚咲がいるのが当たり前になってた……)  


「あらあら渚咲ちゃんがいなくて寂しいのね」

「っ! 違うから……いただきます」


 寂しくなんてない。明日になれば学校で会えるし……って、何か寂しいと思ってるやつが思うこと考えてるな俺……。


「ほんと亮平は素直じゃないわねぇ~」

「いつも素直だが」

「も~可愛くない」

「俺に可愛さいらないだろ」


 寂しくなんてない、そう思っていても夕食後、スマホを見ると渚咲からメッセージが来ていて嬉しかった。


『明日、亮平くんのアルバイト先に行くの楽しみにしてます』


(素直じゃない、か…………)




───────翌日の放課後




 渚咲にはどの時間に働いているかは伝えたが、いつ来るのかは聞いていない。一度家に帰ってから来るそうだが、いつ来るのかと思うとドキドキして仕事に集中できなくなっていた。


 水分補給をしに水を飲み、ホールへと戻ろうとすると休憩でやって来た1つ上の先輩に話しかけられる。


「なぁ、八神。超絶美人なお客さんがいるぞ。見た方がいい」

「いえ、大丈夫です」

「興味なしかよ。見ないとか損だぞ」

「損も得もしないと思いますが……」


 先輩の可愛い女の子好きは出会った頃から変わらない。見るのが好きという変な趣味を持っている先輩。ストーカーにならないか心配だ。


 仕事に戻ると窓際に座っている人と目が合った。さらりとした綺麗な髪。あそこだけ世界が違うんじゃないかと思う雰囲気がある。


(渚咲だ……)


 もしかしてだけど、さっき先輩が言っていた超絶美人なお客さんというのは渚咲のことだったのだろうか。


 彼女のことを見ているとあちらも気付き、渚咲はふんわりとした笑みを浮かべた。


 渚咲が来るまで緊張すると思っていたが、彼女の笑顔を見たらやる気が出てきた。


(よしっ、残り2時間頑張るか)


 渚咲は1時間ほどいて、帰る際に俺に「ケーキ、美味しかったですよ」とこそっと伝えてくれた。


 自分が作ったわけではないが好きな店なので美味しいと言ってくれて嬉しかった。


 バイトが終わり、カフェから出ると帰ったはずの渚咲が店の前に立っていた。


「渚咲?」

「ふふっ、亮平くん、アルバイトお疲れ様です」

「……待っててくれたのか?」

「待っていたのは10分ほどですよ。亮平くんと会って話したくて先程まで図書館で時間を潰していました」

「話?」

「はい。特に話すことは考えてはいないのですが……と、とにかく会いたいなと」


 自分は何を言っているんだと思いながら渚咲は俺に向かって小さく笑った。


「疲れたから帰る前にコンビニに寄ってアイス食べようと思うんだけど……」

「! 私も行きます! 甘いもの食べたいので」


 帰るところが違い、本当ならここでまた明日と言ってお別れ。だが、まだ彼女と話したい、一緒にいたいと俺は思った。

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