第18話:私達の希望

 彼が教えてくれた住所に行くと、店の前に彼女が立っていた。店長から許可はもらっていると言って、開店前の店に私を招き入れた。本当にここで働いているのだろうか。未成年なのに。


「学校辞めてからずっとここに?」


「うん」


「親戚の店?」


「いや、全然知らんおっさんの店。死のうとしたら捕まって働かされてる」


 働かされているという割には元気そうだった。鈴木くんは彼女をここで働かせている謎の男のことは信用しているのだろうか。私のことはあんなに警戒していたくせに。


「店長さん、どんな人?」


 私の問いに、彼女はこう答えた。「麗音みたいな感じ」と。信用している理由はその一言で理解出来たが、納得はいなかった。


「……で、話したいことってなに」


「私もね、死のうと思ってるの」


 出来る限り冗談っぽい雰囲気でそう言ってみるが、彼女はそれを冗談として受け止めなかった。驚きもせず「だから麗音は君を僕に会わせたくなかったのか」と納得するように苦笑した。


「鈴木くんには伝えてないけど……まぁ、なんとなくは察してるだろうね。でも彼は私を引き止めなかったよ」


「ただの同級生でしかない自分が踏み込んだところで無駄だと分かってるんだろう。あいつはそういうやつだ」


「知ってる。……優しいよね。……そういうところほんっと大嫌い」


 嫌いというよりは、恐ろしかった。月子や海がその優しさを信じていることが。その信頼がいつか、恋に変わってしまうのではないかと。私も油断したら彼に落ちてしまうのではないかと。そうはならないと、海に証明してほしかった。


「……で? どうしてそれを僕に話す? 一緒に死んでほしいのか?」


「ううん。むしろ君には生きててもらわなきゃ困る」


「はぁ? 僕に何させる気だ?」


「一緒に死んでほしいわけじゃない。君ならちゃんと話を聞いてくれるだろうと思って。理由も聞かず、馬鹿なこと言うなって怒ったりしないだろうなって思ったから」


 案の定、彼女は怒らなかった。呆れるようにため息一つつくだけで、そのまま話を続けた。


「月子はどうするんだ。彼女を一人にするのか」


「もちろん、彼女も連れてくよ。……こんな地獄に一人になんてさせるわけないじゃない」


「……何があったんだよ」


 何があったも何も、私は最初から絶望の底にいた。そこに差し込んだ一筋の光が、月子だった。彼女が私に愛を教えてくれた。それだけで充分だったのに、海が私達を光の元へ連れ出してくれた。幸せだった。だけどその幸せは、悪意を持つ周りの人間にめちゃくちゃにされた。私は再び絶望の底に落とされた。だけど月子も海も、再び光さす場所へと向かっている。また傷つくかもしれないという恐怖と戦いながら、前へ進もうとしている。私がついているから一緒に行こうと月子は手を差し伸べてくれる。だけど私はこのまま静かな闇の中に閉じこもっていたい。月子と一緒に。二人で。静かな闇の底で、いつまでも輝く一番星を眺め続けていたい。


「お願いだから君は生きててね」


「なんでだよ」


「私達がこの世界で苦しみながら生きたことを忘れないで居てくれる人が必要なの」


 そう。星は彼女だ。闇の底から見える一番星。私達の手の届かないところで永遠に輝き続ける星。その輝きは私が奪っていいものではない。


「君には、私たちの苦しみを背負ってこの先の人生を全うしてほしい」


「めちゃくちゃなこと言いやがって」


「後世に語り継いでよ。友人達が差別によって殺されたって」


「……なんで、僕なんだ」


「こんなお願いが出来るのなんて、君しかいないじゃない」


「美夜が居るだろ」


「はぁ? 美夜ぁ? 本気で言ってる? あの子には荷が重すぎるよ。こんなの背負わせたら簡単に壊れちゃう」


「僕なら壊れないとでも?」


「壊れないよ。海は。今だって壊れてないでしょ」


「……壊れてなかったら、死のうとなんてしないだろ」


「でも生きてるじゃない。もう死ぬ気はないんでしょう?」


「……はぁ」


 ため息を漏らすと、彼女は呆れながら私に問う。「どこまでが本気?」と。全部だと答えると、彼女は諦めたように笑って言った「なら、約束の日までに気が変わることを祈ってるよ」と。


 翌日。私は美夜に海の居場所を教えた。君が元カノのことを忘れさせてあげなよと、彼女に恋心に火をつけて。別に彼女の恋が叶おうが叶うまいが、どちらでも良かった。美夜の切なくも熱い想いが、海の心を少しでも乱せばそれで良かった。

 効果は思った以上だった。美夜は海と付き合うことになったらしい。あれほど自分を愛してくれる男の想いに応えようとしなかった彼女が、美夜の想いにはあっさり応えた。やはり彼女は、男性の愛では満たされないのだ。それが証明されて喜ぶ私を見て、月子は複雑そうな顔をしていた。美夜の恋心を利用したことに思うことがあったのだろう。顔には出ていたが、言葉にはしなかった。ああ、やはり彼女は優しい。私の全てを受け入れてくれる。良いところも、悪いところも。だから私は彼女が好きなのだ。だから私は彼女に恋をしたのだ。彼女を愛したのだ。その気持ちが偽物だなんて、もう二度と誰にも言わせない。必ず証明してやる。文字通り、命をかけて。想いは消えるどころか日に日に大きくなっていく。私は歳をとり、大人に近づいていく。大人になれば真実の恋に目覚めてしまうかもしれない。そんな不安を解消してあげたいと宣言した通り月子は変わらず私に愛を注ぎ続けた。


 やがて高校を卒業し、少し経った頃。月子が言い出した。ビデオメッセージを残さないかと。


「ビデオメッセージ? 誰に?」


「私達が居なくなった世界で、女性と結婚するであろう未来の美夜と、海に」


 結婚。同性同士で結婚することを許される未来なんて、私は考えたこともなかった。考えないようにしていた。考えれば、期待したくなってしまうから。月子はそれでも信じたいと言った。彼女は私がまだ生きたいと思うことを期待しているのだろうか。未練を抱かせて、留まらせるつもりなのだろうか。私の疑念に、彼女は首を横に振る。そして俯き、声を震わせながら語った。


「……海がいつか男性と付き合うかもとか、私にはどうでも良い。そんなどうでも良いことで不安になってる君に、私はずっとムカついてる。だから……少しでもその不安を消してあげたいんだ。私のこと以外考えられなくしてあげたいの」


 と。決して表に出そうとはしなかったが、どうやら私が海のことばかり考えているからヤキモチを妬いているらしい。嬉しかった。彼女がヤキモチを妬くほど私を求めていることが。そしてそれを正直にぶつけてしまえば喧嘩になるかもしれないと、必死に抑え込んでいるいじらしさが愛おしかった。そんな気持ちが顔に出ていたのか、彼女は「そんな嬉しそうな顔しないでよ」と呆れるように笑い「愛してる」と言う。私もと返すと、彼女は嬉し泣きをしながらうんと頷いた。

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