第13話
「侃、就職するの?」
「え、急に何?」
最近お小遣いが増額されたこともあり、何味かも分からない――調べたところ和風とんこつというジャンルらしい、元からとんこつは和風だと思うが――ラーメンの後にコーヒーアフォガードを堪能していると、ゆっくりラーメンを食べていた伊里院さんにそんな質問をされる。
「さっき読んでた本、お仕事関係のだった」
なんで表紙も見えてないのに分かんのよ。
「いや大学は行くよ。その後の話」
「やりたいこととかあるんだ」
「……本に関わる仕事がしたいと思ってたから、それ系。出版社とかかなーって」
「自分が書く側に回ろうとは思わないの?」
「ないない」
「どうして?」
「どうしてもこうしても……、創作が仕事になるのは一握りだけでしょ。そんな不確定な仕事する気にはなれないし」
「私が買うよ?」
「一人の読者で生きられるほど甘くない」
出版不況ってあたしが生まれるより前から言われてるくらいだしね。
「いっぱい買うけど……」
「身内に買い支えられるの、なんか惨めになるから嫌」
「みっ、身内!?」
急に顔を赤くする。なんで自分は籍入れるとか宣言するのにそこは赤くなるんだよ。
「ごめん失言だった」
「しっ、失言じゃないよ!?」
「そ。じゃあ良いや」
気まずくなったかラーメンに戻るので、あたしもちょっと溶けたアフォガードを口に含む。
全然上品じゃないふっつーのソフトクリームにエスプレッソソースがかかってるだけだが、読書で疲れた脳を休めるのに丁度いい糖分だ。前までのお小遣いじゃ、毎回お店でデザート頼むことは出来なかったからね。理由は分かんないけど増額助かるわ。
あと、何故か分からないけど父がガソリンスタンドでしか使えないプリペイドカードをくれるようになったので、バイクを買ってからというもののガソリン代もかかってない。お陰で交通費として使ってた分が全部手元に残るようになったのだ。
自由に使えるお金が増えたところで図書館通いはやめられないんだけどね。変化といえば、図書館で借りられない本を本屋で買うのに躊躇わなくなったくらい。
「てか、人のこと言う前に自分の話してよ」
あたしの言葉がよほど意外だったのか、伊里院さんは疑問を口にする。
「え、私?」
「大学とか就職とか、そういう話聞いたことないけど」
「前までは就職のつもりで考えてたけど、最近は進学も良いかなって」
「これ聞いちゃ駄目かもしれないけど、目が見えなくて就職出来るの?」
「出来る仕事は色々あるよ。視覚障碍者採用してる企業だってあるし。そういうの以外だとマッサージ系が多いけど、私は翻訳系かな」
そういえば聞いたことあるな。盲目のマッサージ師の話。いやあれは漫画の話か。めっちゃ銃撃ってたわ。目見えなくて当たるの? 分かんない。
「……翻訳?」
「そう、翻訳」
「英語話せるの?」
「I want to spend the rest of my life with you.」
「待って早い早い! なんて言ったの?」
「内緒」
ロクでもないこと言ってんな? アイウォントまでしか分かんなかったわ。何望んでんの? 普段授業で当てられない(たぶん先生が気を遣ってる)から、英語喋ってるの聞いたの初めてな気がする。思ったよりだいぶ流暢だ。
「盲学校に通ってた時にお世話になった先生が、副業で翻訳してるって言ってて。ちょっと勉強してたんだよね」
「……まぁ確かに目が見えてなくても翻訳は出来る……か」
分かんないな。あたしに一番身近な翻訳家は海外小説を日本語に訳す人だけど、政治家とかが海外で対談する時とか、芸能人が海外でインタビュー受ける時とかよく隣に通訳? 翻訳? の人立ってるよね。あぁいう感じかな。
「読み書きとかも出来るの? あたし筆記体とか全然分かんないんだけど」
「あんまり触れることはないから自信ないけど、たぶん?」
「……それもそっか」
お前は筆記体以外も分かんないだろって言わないあたり優しいわね。
ともかく、日本の女子高生が筆記体に触れる機会はあんまりない。精々ブランドのロゴとか? 印刷物にはサイン以外で書かれてないしね。
そう思うと、案外目が見えなくても出来る仕事なのかもしれない。印刷してある文字まで読むことが出来るんだから、なんだか普通にやってけそうだ。「なんとなく出版社」くらいのノリで生きてるあたしなんかより、全然将来性ありそう。
「あたしが海外小説扱ってる出版社入れば、一緒に仕事も出来るのかもね。翻訳の企画持ち込んでくれたらあたしが社内でそれ受けてさー……」
ふと思いついたことを口走っただけだが、ラーメンを食べ終えた伊里院さんが水を飲んでいた手がピタリと止まり、小さく微笑んだ。
「いいね、すごく」
「まぁ、まだ5年くらいは先の話だから。出版社って大体大卒しか求めてないし」
「なら、私はそれまでに実績作っておくね」
「出来んの!?」
本当に実績作れそうだもんなぁ。「さぁ?」って笑ってるけど。
「侃もなんかしたら?」
「いや、そんな成果になりそうなことないし……」
「高校、文芸部あるでしょ?」
「……1年の時、見学だけ行ったわ」
「入らなかったってことは、合わなかったの?」
「そうね」
読む方かと思ったら、全員書く方だったんだよね。中学の文芸部みたいに好きな小説の話とかして読み合ってるもんかと思ったら、全員ノートパソコン相手にカタカタやってた。本なんてほとんど置いてなかった。
「……そっか。なら……」
何を言うでもなく、伊里院さんはラーメンに戻った。
食後。
いつもならすぐ読書に戻るところだが、何か言いたいことがありそうなので水のお代わりを注いで待つ。
「侃が翻訳して欲しい海外作家とか、いる?」
急に聞かれて、一瞬言葉の意味が分からなかった。
海外小説の翻訳本も割と読むけど、あたしは日本語以外読めないのでまだ日本語訳されてない作家についてはあまり詳しくない。とはいえ、浮かばないわけでもない。
「……いや、いるっちゃいるけど……」
「誰?」
「中国系なの。ちょっと前から中国のウェブ小説はネットで盛り上がってんだけど、翻訳ソフトかまして読むとあんまり楽しめないし、よっぽど売れないとちゃんとした日本語訳が出版社から出ることないしさ、全然読めてないんだよね」
「中国語……」
「……流石に分かるとは言わないわよね」
「ちょっと、うん」
「まぁ文字数がなぁ……」
中国語って全部漢字なわけでしょ? 日本語とは比べ物にならないほど文字数多そう。目が見えなくて指先の感覚だけで文字を読んでるやつが覚えられる言語ではなさそう。
「え、簡体字? 繁体字の方?」
「待って、分からん」
「……台湾とか香港で流行ってるのか、中国全土で流行ってるのか」
「たぶん中国全土の方」
「なら簡体字。それなら常用2500字の非常用1000文字だったはずだから、覚えることも出来ると思う」
それがどのくらい多いのかもよく分からんけど、日本語がひらがなカタカナ込みで2000文字だからちょっと多いくらいってことかな? アルファベットだけの言語と比べたら天地の差だと思うけど。
「えーと、ちなみに繁体字? の方だと?」
「5000字くらいだったと思う。画数も多いから、たぶんそっちは無理」
「へー」
多すぎて現実味がないわ。日本語の倍って。日本でも2000文字って言いながら言語として学校教育で習うのは1000字くらいだったはずだし、その5倍覚えないといけないとなると流石に無理ゲーがすぎる。小説なんて普段使わない難しい文字や表現使ってナンボってとこあるしね。
「え、そんな覚えようと思って覚えられるもんなの言語って……?」
あたし小学校から習ってる英語未だになんも分かんないんだけど。
「5年もあるんでしょ?」
「まぁあるけど」
「なら、大丈夫」
「……そうか」
「日本語の読み書きだって2年くらいで覚えたし……」
「マジで!?」
「マジで」
あ、これ嘘ついてない時の顔だ。真顔だもん。
「……そっか、生まれた時から全盲か」
「うん。小学校に入る前に点字は覚えたけど、盲学校だと授業でも日本語に触れる機会があんまりなくて。中学入ったくらいで『あ、覚えれば読めそう』って思って、それから覚えたよ」
「そ、それであの字か……」
なんというか、明朝体なんだよねこの子の字。
普通の人間は上手く書こうとしたところでもっと手癖が出るもんだけど、そんなブレが一切ない。同じ文字を書いたら全く同じに見えるくらいにはブレないのだ。
本などの印刷物で明朝体に触れ、それを真似て書こうとしたからそうなったと、たぶんそういうことだろう。
「話すのを覚えなくて良いんなら、侃が就職するまでには全然間に合うと思う」
「……まぁ期待しないで待っとく」
「一緒に勉強する? 楽しいよ?」
「絶対嫌だ!!」
一緒に暮らしてると分かるけどこの子、『勉強楽しい』タイプだもん! 誰に言われるでもなく家で普通に予習とかしてるし! あたし家で教科書開くのすら嫌なんだけど!? そもそもの感覚が違いすぎるの!
偶然用があって帰ってきた長兄なんて「この子が妹だったらなぁ……」って言ったのよ!? そりゃ上二人はどっちも賢くて有名私大入ってたけどっ、大学受験するのが嫌で中高大一貫校入ろうとした瞬間だけ勉強頑張ったのは確かにあたしだけど……!
だって高校の偏差値高いのに中学の偏差値めっちゃ低かったんだもん! 大学にエスカレーター式で進学するためにこの学校入るなら、高校受験より中学受験した方が絶対効率良いって……気付いちゃって……っ!
そんなこともあってか、普通の中学から外部入学してきた人たちの学力は、内部進学生よりずっと高かったりするのだが、まぁあたしはその中でも下の方だけどね。
「……一緒に働けるの、楽しみ」
「そりゃ、あたしもそうだけど……」
なんだか、この関係がずっと続くような、そんな気がして――
おかしいな。お世話をするのは高校2年の、今だけだったはずなのに。
「大学、一緒に行く?」
「いいの?」
少しだけ不安そうな顔で、私を見る。
「いーよいーよ。お世話期間がちょっと伸びるだけでしょ。折角一貫校入ったんだし、勉強好きなら、大学でも楽しめるよ」
「……ちょっと?」
「ちょっとだよ、ちょっと」
だって、
――離れる未来が想像出来ないのは、なにも彼女だけではないのだから。
死ぬまでのあと何十年のことを考えたら、学生時代の5年なんて、
ちょっとだよ、ちょっと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます